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962:オランダ管轄・バタビア裁判・第93号法廷/チェリボン憲兵隊・清水事件
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    :第93号法廷/チェリボン憲兵隊事件

     

    起訴理由概要:昭和17年4月より20年9月の間チェリボン憲兵分隊に属し検挙せられた男女を問わず尋問に際し拷問し各種の暴行を加えその結果多数を死亡させ、心身に多大の苦痛を与えた。

     

    チェリボン憲兵分隊・松岡剛三憲兵大尉・滋賀:48/8/20求刑死刑>49/1/17判決15年:弁護扇
    ・西壽憲兵曹長・福岡:死刑>5年
    ・若松修作憲兵軍曹:2年>無罪
    :清水辰雄憲兵軍曹・岩手:死刑>死刑>49/4/9銃殺
    ・山田達雄憲兵軍曹・京都:死刑>15年

     

    清水辰夫憲兵曹長岩手・駒澤大学中退・元僧侶・32歳

     

    絶筆
     さらば同胞達よ!
    この握手が終れば永久に逢へないのだと思ひつつ川辺さんの所迄来た時、枯れ老いたる川辺さんの姿が、故郷に居る父の姿に似てゐるので思はず「御父さん、只今より出発致します」と云ってしまった。
    然し川辺さんは耳が遠いので聞えなかった。
    東海林閣下、村瀬課長と一通り挨拶を終り、獄庭の中央に立ち全員「君が代」の合唱をなし、大日本万歳を三唱し最後の敬礼をなし、山口、谷口両大尉と一緒にホールセールを出てカントルに行った。
    すぐに面会室に行ったら、皆んなが待って居てくれた。西田閣下を始め松岡分隊長、小松さん、西、山田さん、チェンボンの隊員は皆んな来てくれた。
    見送り人が予想意外に多いので驚いた。
    これも私の為特別に許可を得て来てくれた事を思ふと感謝せざるを得なかった。
    逢って見れば別に話すこともなかった。
    かれこれ一時間も話した事だらう。
    山口大尉が来てM・Pが来たことを告げられた。
    いよいよ出発である。
    ここでも又別れの握手をなし、面会室を出てカントルに行ったらM・Pが待ってゐた。
    やがて手錠をかけられた。
    今度こそ本当にチビナンの日本人と御別れである。
    谷口大尉より「エスコット」を一本貰いライターを以て火をくれた。
    両側に居並ぶ同胞の見送りをうけ激励の言葉を受けチビナンを後にしたのは八時半頃と思ふ。
    ヂープのエンヂンは非常に軽かった。
    町は平穏である。
    裁判の時幾回となく行った白亜の建物を右に見、やがてヂープは左に曲がった。
    右の運河にはネシアの女達が洗濯を盛んにしてゐた。
    やがて右の小路に曲がり着いた所はグルドックである。
    事務室に入り休んでをると軍曹が来た。
    獄衣と着換へろと言ふから服を脱ぎ獄衣と着換えた。
    佐々木惣一さんと西さんが包んでくれた豆板と砂糖の包みを検査したが豆板だけ渡して砂糖は保管して置くと云って渡してくれなかった。
    別に検査は何もなかった。
    スラバヤの人達はよつんばいになって尻の穴まで検査されたと云ってをったがそんなことは何もなかった。
    看守につれられ独房に入った。
    ここは我々がかってグルドックにおった時水くみをやった独房でJブロックである。
    私の独房は17号室で英軍当時ボコールの玉峰氏が入った室である。
    兎に角グルドックに着いたのは九時頃だったと思ふ。
    11時過ぎ検事代理とロシア人通訳が来て嘆願書が却下されたので死刑を執行する。
    何か云ふことはないかと聞くから、何もないがどうして検事が来ないかと聞いたら「一寸身体具合が悪いから代理が来たんだ」と女みたいなやさしい顔をした25位の男が答へた。
    通訳さんは遺言書を書きたければ紙と鉛筆をやる様に話すがどうかと云はれたので私は「お願ひする」と答へた。
    それから検事代理と通訳さんは帰って行った。
    やがて昼食が来た。
    肉ばかりの多いナシゴーレンとスープが来た。
    馬鹿に御馳走が多いではないか云ったら看守は「日本人には特別の待遇をしてゐる。なんでも好きなものを注文してくれ」と云った。
    昼食を食べしばらく横になったら曹長が来て飯は充分かと聞くから充分であると答へたら何でも好きなものを注文してくれ、出来ないものは出来ないと云ふからこの刑務所で許す範囲ならどんな料理でもする。
    私は有難うと云った。
    この曹長は混血で私がかってグルドックにをった時居た人で、其当時は階級章はつけてゐなかったから分らないが、兎に角記憶にある人である。
    午後2時ごろになったら佐藤さんがやって来た。
    実は今日午前八時迄検事局に来いと云はれたから行って見たら、清水さんの嘆願者が却下になって、執行する旨通知を受けた。
    そう云へばここ二、三日頭が痛くて、くしゃくしゃして、誰に当るともなく全く困ってをった。
    「やはり執行の通知のある時には予感がしますよ」と占師の様な事を云った。
    私は佐藤さんに「いよいよ明日は御別れですね、長いこと御世話になりました」と云ったら、佐藤さんは「いや明日ではありません、兎に角今週中に執行するそうです。然し何時ともはっきり検事が云ひませんでした」と云ったのでそう云へばロシア人の通訳さんが土曜日に執行すると云ったが、今日は一体何曜日ですかと聞いたら、佐藤さんは「水曜日ですよ」と答へたので私は「てっきり今日は金曜日だと思ひまして、明日執行されるものと覚悟しておりましたが、成程よく考へて見ると、執行通知の来たのは火曜で、火曜日はキリストの坊さんが来る日だ、「余程キンタマが上がって居るんだなあ」と思はず云ったら、佐藤さんは「しっかりしなさい」と云はれた。
    ...すっかり覚悟はきめたものの、二日延ばされるとは困ったことになったと考へたり、又どうせ生きるなら1分でも一秒でも生きたらよいではないかとも考へたりした。
    夕食はやはり特別に作ったものでぺろりと平げてしまった。
    燈がついた。十燭光位の電灯であるが、つかないよりましである。
    然し困った事には何時になってもアンペラをくれないのである。
    段々夜が更けて寒くなって来た。
    それに蚊が多くて眠れない。
    もっとも前日迄は毛布と蚊帳を吊って居ったから、たいして寒くもなく蚊に襲はれる心配はなかったので、一晩位ならば我慢するが、これが三日も続いたらどうなるだらうと思った。
    兎に角寒くてねむれなかった所が看守が外戸を開けて、たいくつだらうから話をしようではないかと云ひ中戸の外に椅子をもって腰をかけ色々話をした。
    私の入った17号は一番最初曽根大尉、玉峰通訳、星野曹長らのそうそうたる連中のゐた室であった。
    然しいづれも皆立派であると指を立てて見せた。
    余程古い看守である。
    一時間交代づつ看守が変るがどれも印象はよかった。
    とうとう一晩話をつづけた。
    朝になってから眠った。
    看守が大きい声で呼ぶので目をさましたら、松本弁護士が来て居た。何時かと聞いたら十一時ですよと云ふのであわてて起きた。
    「良くねむるんですね」と云ふから、「いや、夜は寒いのと蚊が多くてねむられないから昼眠ることにしましたよ」と答へた。
    松本弁護士から色々激励され、「この死は決して犬死ではない、吾々若い者は日本内地に還ったら、この運動を起さなければならない。安心して逝ってくれ」と云はれました。
    色々話はつきなかった。
    面会時間が一時間しかなかったので遂に別れなければならなかった。
    松本さんがかへった後、所長が鉛筆と紙をもって来てくれた。
    「何でも書きたいだけ書いてくれ、事務室に請求すれば何時でもやる。然し書いた紙数だけは後で員数をかぞえるから、その時事務室からやった紙と一致せねばならぬ」と云はれた。
    午後になって佐藤坊さんがやって来た。
    佐藤坊さんの云ふのには「チビナンではもう処刑されたものと思って、本朝、黙祷をやった。清水さんはもう仏になってますよ、私が半沢さんに実は土曜日に延期になりましたよと云ったらびっくりして居りました」と云はれた。
    然し清水がもう仏になったと思ふと生きてをる自分の姿が誠にあさましかった。
    明八日は午後又来ますが其時引導を渡すと云はれた。
    チビナンに於て半沢さんの淋しがっておる気持を云ってくれた。
    今晩もまたねむられないと思ふと全く生きているのがいやになって来た。
    案の定、蚊がぶんぶんせめて来た。
    後半夜になると寒くてたまらない、又例の如く看守と話して夜を過した。
    こんな事が一週間も延期されたら精神的にまいってしまう。
    若い元気のある私でさへ之丈まいってしまったが、これから来られる年寄の方は本当に困る事と思ふ。
    ねむらなければ種々悩みが襲ってくる。
    妻のある人は妻を思ひ浮かべるであらう、私は妻子がないから別に考へる事もないが、それでも父母の事、兄弟の事が浮かんできて非常に悩まされた。
    殊に遺言書を書く時は一層深刻なものである。
    ジョクジャの佐藤大尉が佐藤坊さんに対し「私には結婚適齢期になる娘があるが、私が戦犯者として、しかも死刑を受け死んだ後、私の娘をもらってくれる人があるだらうか」と嘆いたと言ふが事実そこまで深刻に考へさせられる。
    死刑求刑を受けた時の心理状態判決後の心理状態嘆願書却下により呼び出し状が来て限られた時間内に於ける心理状態、是等を分析して説明したならば各々異った意味がもたれるであらう。
    死の恐怖は全然なく、只愛著心が起るのみである。
    銃口の前にたちたる其の心理状態は未だはっきりしたものがないが、恐らく死の恐怖から来る悩みはないと思ふ。
    二日間死を延期してもらったが死に対する恐怖観念ではなく愛執の観念であったのである。
    この心理状態を現在居られる独房の方々に参考迄申述べるつもりである。
    書くことがえらい横道にそれたが再び元にもどり書き続けたいと思ふ。
    八日午後2時、佐藤坊さんがやって来た。
    刑場に於ける今迄の前例を拝聴後、続いて家内の冥福を祈る為読経に移り、それが終って面会時間が一杯だったので佐藤坊さんは明日7時に来る約束をしてかへられた。
    其の後、藤井氏が三十分間の予定で面会に来られ色々と話した。
    いよいよ明日は永遠にかへらぬ日である。
    総てのものが一切無になる日である。
    光陰は矢の如く過ぎて行く。
    いたづらに露命を無常の風に残すこと勿れ。
    今其の意味がはっきりして来た。
    然り。
    出発から佐藤坊さんに引導を渡される所迄書きました。
    独房の皆様にだけ読んで頂ければ幸甚の至りです。
    【2012.05.18 Friday 01:01】 author :
    | 戦争犯罪 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2018.08.10 Friday 01:01】 author : スポンサードリンク
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