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952:オランダ管轄・バタビア裁判・第88号法廷/ ジョンベル憲兵隊市民虐待・和田事件
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    戦犯裁判オランダ管轄バタビア裁判
     

    952:第88号法廷/ ジョンベル憲兵隊市民虐待・和田事件
     

    起訴理由概要:昭和17年4月以降20年9月までジョンベル・ボトウォン・及びバニュソンギ憲兵分隊乃至分遣隊隊員として、職務上検挙せる男女の尋問に際し拷問して、故意に飢えしめ拘禁室又は小室に数日間満員の状態で押し込める等によって多数の被拘禁者を死に至らしめ心身に多大の苦痛を与えた。
    和田は、和蘭国籍の婦人を強制して慰安所に閉じ込め売淫させた。
    小癲Χ極椶肋赦20年8月24日非合法に2名を殺害した。

     

    起訴理由概要2:和田都重はジャワ島ジョンベル憲兵分隊長にして、川田原金之助、今野勝彌、野口武、山本虎夫、半沢勇、河端正次、天野進一、石川春雄、橋本一義、小高寛、南良治、小野軍次郎、佐々木敏夫、佐藤和義、梅本行雄、太田秀雄、梅本行雄等は、同分隊員であるが、同人等は、昭和十七年四月より、同二十年九月に至る間、同分隊または同分隊所属の「ボントウオソ」「バニュウワンギ」等の各分遣隊に勤務中、それぞれその在職期間中、所属地区に於て多数の一般市民である男女を検挙して、その訊問に当り、手拳、竹刀、バット等をもって長時に亘り殴打して出血する傷害を與え、または、火責め、水責め、或は、後手に縛って吊り下げ且故意に飲食物を給與せず、飢えしむる等の組織的兇暴及び虐待を加えて被検挙者を死に至らしめ以て彼等に対し、深刻なる身心の苦痛を與えたが、就中和田都重は、部下と共謀して「シャーンポーン」と呼ばれる下宿屋を慰安所に当てオランダ国籍の婦女を同所に収容して日本人相手に売淫を強制し、野口武は、婦女「イエ・セリセルデ・モルヤーン」に暴行脅迫を加えて、日本人松崎と強制的に性交せしめ、実松勇雄は、「ポントウオソ」及び「バニュウワンギ」に於て「ア・ハ・ファンデス」「ヨピイ・スラック」の二名を強姦し、小高寛、梅本行雄は、昭和二十年八月二十四日頃、「バニュウワンギ」附近の「カリグラタク」に於て、「ア・セ・ツロツコ」及び、「ファンデルツースト」の二名を上司の命を受け殺害した。

     

    起訴解説:バナルカン抗日組織摘発事件/ジェンベル憲兵分隊管轄のバナルカン県で、バニュワンギ管轄の憲兵分隊が、1943にオランダ人元行政官が組織した反日地下組織111名を逮捕した事件、1944/6頃に行政官18名や官吏ら20名を逮捕した事件に関係していると思われる。

     


    ジョンベル 憲兵分隊
    和田都重憲兵大尉・奈良:48/5/29求刑死刑>48/09/11死刑>48/10/26逃亡後発見射殺・40歳・#79:弁護萩原扇
    川田原金之助憲兵中尉・鹿児島:20年>15年・47歳
    今野勝彌憲兵中尉・福島・旧制中学卒:死刑>死刑>逃亡未遂>49/1/20銃殺・42歳
    野口武憲兵中尉・熊本 :死刑>無罪・45歳
    山本虎夫憲兵准尉 ・岡山:20年>10年・50歳
    半沢勇憲兵曹長・福島・31歳・安積中学校卒:死刑>死刑>銃殺・公報49/9/26・30歳
    河端正次憲兵曹長・石川:5年>5年・34歳
    天野進一憲兵軍曹・神奈川:5年>5年・30歳
    石川春雄憲兵軍曹・愛媛:20年>15年・28歳
    橋本一義憲兵軍曹・熊本:20年>15年・27歳
    小高寛憲兵軍曹・千葉・日本軍法会議公権剥奪:死刑>死刑>逃亡未遂>銃殺・28歳
    南良治憲兵軍曹・徳島:死刑>死刑>銃殺・29歳
    小野軍次郎憲兵軍曹・栃木:20年>20年・30歳
    佐々木敏夫憲兵軍曹・東京:10年>10年・25歳
    佐藤和義憲兵軍曹・福島:5年>無罪・29歳
    梅本行雄一等兵・岐阜・降等処分:20年>10年・27歳
    太田秀雄憲兵曹長・宮崎:死刑>死刑>銃殺・29歳
    実松勇雄憲兵軍曹・長崎:審議未了>東部ジャワ移送>48/3/15スラバヤ自決・32歳

     

     

    今村中尉:御別れの言葉

     

    父は敬明や仁子によく言っておくが守ってくれよ。

    お前達は持って生れた天分で父の志を継がうといふなら、第一に寸時も忘れてならぬことは、天子様に忠義を尽すと云ふことだよ。

    日本は小さいが天子様を中心として国内を結束して国外に発展せしめて聖運を起さねばならぬ。

    日本臣民であるものは官吏であらうが商人であらうが農民であらうが皇室を中心と仰ぎ奉り、以て平和な東洋の覇者となるべきだ。

    即ち日本国と日本国民の天職であると云ふことを一日一時たりとも脳裏から放してはならぬ。

    忠義の次ぎは至誠だ。

    至誠は鬼神を哭かせ天地を動かすと言ふがこれは真実だ。

    父は若い時から心身を君に捧げ国に尽す事のみ心懸け来た。

    この胸中は光風霽月、ただ至誠の二字あるのみだから必ず鬼神を哭かせ天地を動かして見せる。

    敬明も仁子も世は変りて共産主義だの、民主主義だのと色々世間は云ふが主義などは何でもよい。

    日本の歴史をよく見よ。

    共産主義でも民主主義でもかまわぬから、これらの主義から日本に適したよい処をとって行く事が一番必要だ。

    そして忠義を尽すことだ。

    次には至誠の二字を深く心胆に銘じておくべきだ。

    次には人間には第一に身体が丈夫でなくてはいかぬ。

    身体あっての仕事だ。

    常に心身の健全と云ふことに注意をせぬといかぬ。

    又学問は読む学問も必要だが耳学問も亦必要だ。

    人は活きた書物だから広く人に接して識見を広めることが肝要である。

    それから社会の事々物々には必ず表と裏があるものだから単純な考へではいかぬ。

    処世の修養は広く深く事物の表裏を洞察して宜しきに通ずるのがその眼目だ。

    観察の精は西洋人の特色で、粗は東洋人の弱点だ。

    物事を為すには順序といふものがある。

    突飛は禁物だ。

    常識の周到な運用が大切だ。

    苟くも天下に一事一物を成し遂げようとすれば命懸けのことは始終あるもので父は今迄生きて居たのが自分にも不思議だと思ふ位だ。

    敬明、仁子は此の覚悟を以てゐてくれよ。

    仁子は女だからよく母につくせよ。

    敬明は決して人に依頼心を起してはならぬ。自分でやれよ。

     あとをたのむ天子は一系富士の山

     同県人各位万歳

     祖国日本万歳

     皆様御元気にて

            さようなら 勝彌

     

     

     

     19日の朝も前夜と同じ獄の明けであった。

    気持は変らず平静。

    ただこれからは「逝くだけだ」と思ふので何とも感じぬ。

    人間の気持と云ふものは不思議な様にかんずる。

    この刑務所は和蘭人の兵隊がゐるが、日本人の死刑者だといふので見に来るのだろう、或る時は五人、或る時は二人位でよく来る。

    元気な日本人の笑顔を見て「あきれた」と云ふ様な顔をして笑ひを合して愛嬌よく手真似に親指を立ててゆく。

     

    最後の生の日、二十日は未明に起き獄衣を着換へ「海征かば」及び「君が代」を合唱祖国万歳、チビナン皆様の万歳を唱へ終わった。

    「海征かば」「君が代」の合唱の時さすがは鼓動が激しくなり泣きつつ唄った。

    終ると共にこの和蘭、米、英、ソ打倒を怒鳴った。

    胸がスーと静まった。

    それから又平静となり皆笑ひ声になった。

    少し盛りのよい朝食が運ばれたが皆食って終い、検事が来るので、書物を渡さねばならぬ。

    鉛筆を返納せねばならぬし其の時は逝く時です。

    ・・・私は飽く迄“打倒和蘭”を叫びつつ逝きます。

    残念ですが絶筆と致します。

    4名何れも元気皆様も御元気にて。

    長い間お世話になりました。

    永久の御別れです。

    さよなら。

     

    ・・・独房を出て刑場に行ったなら時間があるそうですので私は次の事を叫びたいと思います。

     

      天皇陛下万歳

      祖国万歳

      チビナン日本朝鮮の方々万歳

      父上妻子妹弟に別れの挨拶

      打倒和蘭

       そして元気で行きます。

     

     

    半沢勇憲兵曹長:独房悲歌
    本論の中枢となるのは已に処刑された犠牲者を中心に論説せるのと自分が自らそれらの犠牲者と同じ境遇にあって、死を直視しつつ、彼等を見送る目に悲惨な一面が包まれているのを痛切に感じたからに外ならない。
    彼等が処刑に臨み、その態度において立派なる最後を遂げ、見る人、聞く人に壮絶の感を与へるとも、その裏に底流するところの真実が、より一層啾々たる痛哭の響を持って吾が胸に疼くのである。
    人間として予期しなかった苛烈なる現実に逢着した者の、その内面に於て幾多の矛盾に衝突して如何に煩悶したか、そしてその煩悩を如何に整理したか、これは吾々青年が、その境遇に逢へば、等しく受けねばならぬ衝撃なのであることに思ひを走らせ、幸ひにこの境遇に陥るを免れたる青年は、単に自己の幸ひを喜ぶことであってはならない。
    この故に吾々は、その教訓を外見的な皮相な面に視線を向けず、彼等の味った煩悶に就いて共に味はうことに依って、真の教訓を覚えるであらう。

    何の為に死ぬのか、いや死なねばならぬか、一応は死ぬ者にとって考へねばならぬ問題である。
    犠牲、だが何の犠牲か、曰く日本の再建の為の、否、報復の犠牲であると。
    松田長官は、犠牲でも何でもない全くの犬死であると云ってゐた。
    又、犠牲との見解を持する側にも三色あって、勝村少佐は、日本再建の為の犠牲であって有意義であると提唱していた。
    和田大尉は、犠牲は犠牲であっても、報復の犠牲であり、無駄死であると云ひ、浅木少尉は、犠牲が有意義であるか無駄になるかは、将来の日本人が立証して呉れるものであると折衷説をもってゐた。
    その何れが真であるかはその人々の信ずるところであり、誰しも容喙すべきではないが、既にここにも煩悶となる重大なる一因がある。
    谷口少佐が、処刑の寸前にすら、自分は何の為死なねばならぬかと云ってゐたが、人間として、理性が働く以上は、思索し、死ぬ迄に、一通り頭の中を整理して置きたいと努力するであらう。
    だが簡単な割算の如く清算できる問題でない。
    然し納得しようがしまいが、否応なしに、刻々と時が、死を強要しつつあるところに言ひ知れぬ苦悶が内在してゐる。
    それが種々雑多なる表現によって看取されるが、何時頃から起きた言葉か明瞭な記憶になってゐないが多分山根軍医が、最初用ひた言葉と思ふ。
    行き詰まった時に「ヤケ」と云ふ言葉が流れてゐた。
    自分は、その叫びの中にも一種の悲痛な響きを感じてゐた。
    人間がその人生に於て最も厳粛な時は死であらう。
    そして、その死の前に勇敢な日本軍人であった人々は苦悩して居る。
    何故であらう。
    云ふ迄もなく、吾々が過去に於て教育された天皇陛下のために笑って命を捧げる日本軍人の死生観原理は、何の勇気も与へず、それを口にする者も居ないのは悲しい限りである。
    臨終の際、天皇陛下万歳を三唱するのは日本軍人の典型であり、それが,国運の隆運を祈る日本人の表徴でもある。
    山畑君が出発の前日、天皇陛下万歳を言ひたくないが、云はないと残った家族が苦労するでああらう、家族の為に万歳を云ってやるかな、と、さびしそうに云ってゐた。
    又、橋本君は、刑場に発つ前迄、天皇陛下万歳を三唱しないと云って居たそうである。
    これは一寸滑稽な冗談のようだが、どうして、これ迄、口に出す迄は考へに考へた結果であらう。

    青年が純粋に信じてゐた筈の確固たる何かを見失うと同時に、総てが瓦解したのだ。
    死ぬ者にとっては、退廃的な虚無観で充満し、和田大尉や、山根軍医が、地球が破裂して一切が消えれば好いと云ったが、その心は寂寞として荒廃なるを知らう。
    後日和田大尉が逃亡するに及んだ一端も窺知できる。
    死ぬ意義を発見納得し得ない苦悩が深刻な一面を呈してゐる。

    漸く青年期に達すると兵隊に入り、戦争に従事してきた吾々青年は、国家社会、政治は勿論、自己の人生にすら無批判であったと云へよう。
    一途に養はれて来たものを信じ、それが凡てであり、忠節を尽すことによって報いられるものが何であるか、深く考へてみる必要はなかった。
    只尽すことが要求され居り、そして尽すことが吾々の道であった。
    それが終戦後、殻を破られ、吾々が嘗て想像しなかった事態が展開し、宛前顛倒した観がある。
    昔売国奴と呼ばれて国外に隠遁して居た者が、今や逆転し、桧舞台に立って指導して居る。
    悪と信じて居たものは、今や悪でなかった。
    これが人生の最高と思って居たのは、無智以外の何ものでもない。
    ここが難しい問題であろう。
    覚醒したときは万事休すである。
    そして一切を運命として諦めんとする。
    覚醒が希望となり、発奮となる立場と異り、覚醒は後悔になって、責め、萌芽せんとする思念は、自ら断たねばならぬ。
    無智なるものは、無智なる時に死んだ方が楽であると思ふ、ここに彼等が苦悩の痕を見逃せない。
    栄枯盛衰、有為転変は世の常として、無常観に感傷を覚えるは、蓋し日本の詩文学に伝統なる「もののあわれ」が中枢であるとも、源平や戦国時代の感傷を、今更吾々が味ふ無知が覚醒して、絶望に連る程、哀れなものはない。

     

    正直な本心からの論考なのだが、「無知が覚醒して絶望に連なる」なら、「哀れ」でしかないのだろう。
    苦しみ悩み続けた末に、惨めに処刑されていく己を「哀れ」と思うのは自然なことなのかもしれない。

    だが、憲兵になるほど優秀な方だったのなら、徴兵拒否して生き延びる途を選べなかった時に、別の覚醒をしとくべきだったね。
    無実の容疑で逮捕され、長期間の拷問の末に死刑判決を受け、家族と祖国を思いながら胸を張って銃口の前に立たれた方は、哀れだけど惨めではなく、むしろ美しい。
    また、和田大尉のように死に抵抗して逃亡するのもアリだな。

    しかし、覚醒したツモリで惑わされたまま、惨めに死んでいくのは惨めだわな。

     

     

    太田秀雄憲兵准尉 手紙
    次々に続く死刑執行、独房も大変淋しく成りました。
    私等も後追ふのも真近であります。
    根立、林両兄も本日出発致しました。
    両兄とも出発は非常に元気で行かれました。
    根立さんからは、兄の様に御心配を受け私は一入淋しさを感じます。
    林さんの御様子は虫が知らすと申しますか何時になく「太田君話をしようしよう」と申して居られ林さんの独房に参っては面白い昔の話をして遊びましたが、様子が違ふ様に感じて居りました。
    本日又ジョクジャ佐藤大尉、大塚さん等出発致されました。
    何か状況が変った様に感じられます。

    私は次の事をお願ひ致したいと思ひます。
    実は遺書を書いても完全に父母の手許に届くか如何かも判りませんし手紙の制限を受けるので私の言度い事が書けません。
    月並の手紙なら書かない方が良い、と思って書かないのです。
    貴男にお願ひすれば、心残すことはありません。

    <死刑囚としての生活>
    〇犒瑳の独房は、厳しい規制はあるが、自治制を認められて娯楽、読書の設備があり其の上既決になった日本人一同より月二回の差入を受け又日曜毎に慰問の芝居、劇、浪曲、漫才、唄等が聞け、其の上、戦友の差入慰問、尚県人会の一同より差入慰問を受け、斯うした死刑囚が世界中に又とあらうか。
    同胞愛、戦友愛に抱かれ愉快な日を最後迄送って逝けるのは日本人戦犯死刑囚位なものでせう。
    私は此の事を強く父母兄弟に話して頂きたいと思ふのであります。

    嘆願書に就いて
    私の為の嘆願書を見て無念で残念で泣きました。
    私の為め父母が心配して八方飛廻り頭を下げる姿を見て毛唐に頼み入る親等の事を考へると何と申上げて良いかお詫びの仕様もない。
    有難さに胸の詰る思ひがした。
    孝行の真似も出来ず天命と云え先立つ私をお許し下さい。

    死刑執行に就て
    私としては勤務に於て私生活に於て天を仰ぎて恥じず、俯して悖る事は何一つありません。
    此点御安心して下さい。
    只二十世紀の残虐憲兵として蘭軍法の極刑に斃る。
    然しファンデルプラスの検事総長宛の住民指導のため云々と云ふ電報私信の一事を見て判る様に彼等の民衆指導の宣伝材料の犠牲であった事を言って下さい。


    絶筆
    昭和24年1月17日朝、チビナン刑務所より、グロドック刑場へ出発時の訣別

    友々の固き握手が胸に沁み

    於護送車

    空高き椰子の林を走り過ぐ

    腕の鉄鎖エンヂンの音によくひびき


    愚感綴(執行前日二十二時三十分)
    今床の板に左手を枕にして、天井から降りた守宮(やもり)を眺めている。
    想ひは爪哇の三年のこと、窓には星見えず、稲妻が光る。
    何処かで守宮が啼く。
    明日の出発のことを考へる。
    心に問ふ「何を考へてゐるのか」「何も考へてゐない、ボーっとしてゐるだけ」

    守宮が蚊を食ふたのであらう。
    首をのばして口をもぐもぐさせてゐる。
    足がだるい。
    二日間夜の寒さに疲れたのであらうか。
    眠くなって来る。

    回想

    爪哇富士や遠く霞みて記者の旅

    女働く一文銭の夢の島(バリ島)

    ドリヤンのにほひの強き竹の家(マドラ島)

    二十日(死刑執行の朝)
    窓の空が白み始めた。
    大体私の希望は書き上げた。
    今迄少しも淋しいと思ったことがなかったが、空の白み行くのを見ると、皆さんと別れる時が近づいたと思った時、胸に熱いものが出来た。
    脈に手を当てて血の流れを調べて見る。
    平常と同じ。
    自己暗示を与へての様になるが白み行く空を眺めている。
    便所の臭気が鼻につく。
    看守の軍靴騒がしくなる。
    ネシヤ囚の祈り声しきり、爪垢掃除、後数時間、何も感じない。


    遺 詠

    合掌の死囚にくるる秋の夕

    明月や夢は故郷に駈けて飛ぶ

    灼く塀に堪へてのびゆく獄の椰子

    山ゆかば二百十日の銃殺台

    水盃の門出にわびし今日の月

    万歳のわが声とどけ天が原

    灼くる白壁に歩みの速き影時計

    鉄窓の夜空に光る雲の花

    格子窓ほたる恋しや片団扇

    獄友逝くも相変わらずの虫の声

    戦友の情に灼くる囚屋かな

    【2012.05.13 Sunday 17:27】 author :
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      【2019.04.06 Saturday 17:27】 author : スポンサードリンク
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