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783:ニューヨーク日本国連代表部で「日王が私の前にきてひざまずいて謝罪しなければならない」と喚いた婆さんイ・ヨンス
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    李容洙(イ・ヨンス):くらじさんの「従軍慰安婦問題を考える」 1990/03/11 (Sun)


    【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

    1928.12.13生。韓国の大邱(テグ)の金持ちではないが、ご飯を豊かに食べていける家庭に生まれる。16歳の時に、日本人の男に台湾へ連れ去られ、以降、慰安婦を強いられる。(参考:「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」)

    2007.2.15米国下院外務委員会アジア太平洋環境小委の「慰安婦聴聞会」にて金君子、ジャン・ラフ・オハーンらと共に証言を行う。


    【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

    船で台湾へ向かっている時、軍人達に繰り返し強姦される。(参考:「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」)


    【考察】


    同女の証言には全く信憑性がありません。

    それは、「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」と「証言集会(同志社大学)」の連行時の内容を比べると明白です。(以下、「証言」・・・「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」、「同志社」・・・「証言集会(同志社大学)」)

    友達と川辺で貝を採っていた時に、見知らぬ男2人が見ていたのは同じなのですが、その後、連行されるのが
     ○「証言」・・・それから何日かたったある日の明け方
     ○「同志社」・・・その後、1ヶ月か2ヶ月が経った頃。ある日の夜
    同女の家の窓を叩いたのが
     ○「証言」・・・一緒に貝採りをしていた友達
     ○「同志社」・・・軍人に首の方に何かを突きつけられた、ある女性
    その後
     ○「証言」・・・友達の招きに従い、母には何も言わないでこっそり家を出て友達の後に付いて行く
     ○「同志社」・・・怖くなって居間で座っていたところ、その女性と軍人が入ってきて、口を塞がれ、背中に何かを突きつけられて連れて行かれる

    「証言」では、その後、友達に付いて行くと川のほとりで日本人の男の人(※国民服に戦闘帽をかぶっていた)が立っていて、ワンピースと革靴をもらい、「もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。」となっています。また、その男が慰安所の経営者でした。

    「証言」と「同志社」では、連行された時の話が全く別物になっており、物に目が眩んで人さらいについて行ったのが、軍人に無理やり拉致されたことに変更されています。しかも、「同志社」では、日本軍人の理不尽な暴力もかなり追加されています。

    今回は、連行時のみにスポットを当てて比較しましたが、まあヒドイものです。

    さらには、「同志社」では、連行された時に母が側にいなかったことを恨んでいて、証言集会の20日前に、母がいなかった理由を「赤ちゃんが泣いていたので、部屋から離れていた」と弟から初めて聞いたと語っているのですから開いた口が塞がりません。(※父のもとに行っていたと思っていたら、赤ちゃんをあやしていたということだったので、誤解による恨みが晴れたという話)
    「証言」では「私は足音をしのばせてそろそろとプンスンの後について行きました。母には何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました」と記述されており、自ら母にばれないように出て行っています。
    このような、観衆を取り込む為のテクニックを駆使している所を見ると、「プロ証言者」と言ってもいいかも知れません。

    ------------------ 以下、2007.4.23追加 ------------------
    <連行時の証言の変遷>

    1993.7「写真記録 やぶられた沈黙」

     1944年夏、友達の母親に「豊かな生活ができる」所へ行かないかと誘われるが断る。  
     その何日か後、その友達が家に誘いに来て外に出ると、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。

     → 明記はされていませんが、「友達は母親に言われて同女を呼びにきた」ということを想像させる内容です。


    1993.10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」

     1944年秋 友達と川で貝を採っていたら、日本人の男の人と老人に行こうという仕種をされ逃げる。
     その何日か後、友達が家に誘いに来て、ついて行くと国民服を着た日本人の男がいて、ワンピースと革靴をもらって感激してついて行く。

     → 夏から秋に変更され、また、最初、友達の母親に誘われたという記述が削除され、その代わりに貝採りのエピソードが追加されて「人さらい」色が濃厚になっています。さらに、連れ去った男が日本人だったという情報も追加されています。
     友達の母親のエピソードを削除した為、友達が何故、同女を呼びに来たかを説明する為に貝採りのエピソードが必要になったのでしょう。「日本人の男が先に友達をたらしこんだ後、同女を呼びに行かせた」ということを想像させる内容になっています。

    ------------------ 以下、2007.6.19追加 ------------------
    1996.8「私たちと戦争責任」

     1943年、友達と川で魚を捕っていたら、軍服を着た男二人(日本人かどうかは不明)に指差され逃げる。
     同10月のある日の明け方、女の人が家の中に入ってきて「黙っておいで」と言われて引っ張って行かれる。この女の人には「韓国語で話すな」と言われる。
     堤防の所に連れて行かれると前に見た男がいた。先に来ていた親友に赤いふろしきを渡され、その中には靴が入っていた。

     → 何故か1年前倒し。日本人かどうか不明確になった代わりなのか、国民服が軍服に変更されています。
     また、家に来たのが、友達から女の人に変更されています。その女の人は「韓国語を話すな」と同女に言っているので人身売買の業者関連なのでしょうか、それとも、男に脅されていた被害者の1人なのでしょうか。
     さらに、靴をもらって「感激してついて行った」という同女が責めを負うべき情報は削除されて、あくまで合意なしで連れて行かれたことになっています。
    ------------------ 以上、2007.6.19追加 ------------------


    2005.4「証言集会(同志社大学)」

     1944年、友達と川で貝を採っていたら、軍服を着た人と白い服を着た人が見ていたので怖くなって逃げる。
     その1、2ヶ月後、軍人と首に何かを突きつけられた女の人が家に来て、同女も口を塞がれ背中に何かを突きつけられて連れ去られる。

     → 1年前倒しされたものが、何故か元に戻っています。
     家に1人でやってきた女の人の他に軍人も一緒に家に入ってきたことになり、女の人はその軍人に首に何かを突きつけられていたことになっています。完全に被害者です。さらに、女の人に「黙っておいで」と言われて引っ張られて行った話が、「口を塞がれて何かを突きつけられて」とかなり強制色が強まりました。
    どうやら、1996年〜2005年の間に、同女の「軍による強制連行」の話が出来上がったようです。


    同女の証言を時系列に並べてみると、日本を批判し易いように徐々に証言を変えて来たのが良く分かります。証言の変遷から推測するに、友達の母親の誘いに乗って売春婦もしくは慰安婦にさせられてしまったという所でしょうか。
    「私が慰安婦として強制連行された当事者であり、証人だ」(2007.3.4朝日新聞)などと、恥ずかしげもなく良く言えたものです。

    ------------------ 以上、2007.4.23追加 ------------------


    ------------------ 以下、2007.8.28追加 ------------------

    <ご参考・連行された西暦と年齢>

    同女の証言毎の連行された西暦と年齢をまとめると以下の表の通りです。

    14歳〜16歳とばらばらですが、まず、大前提として知っておかなければならないのは、韓国では、今でも満年齢より数え年を使用するのが一般的だと言うことです。年齢を満年齢で言うか、数え年で言うかで最大2歳の差が出てきます。

    数え年とは、生まれた時に1歳で、正月毎に+1する数え方。同女の場合、12月13日生まれなので、12月13日〜31日は「数え年=満年齢+1」になり、それ以外は「数え年=満年齢+2」になります。

    1928年生まれの同女の満年齢と数え年は以下の通りとなります。

      1942.1.1   ・・・ 満年齢13歳 数え年15歳
      1942.12.13 ・・・ 満年齢14歳 数え年15歳
      1943.1.1   ・・・ 満年齢14歳 数え年16歳
      1943.12.13 ・・・ 満年齢15歳 数え年16歳
      1944.1.1   ・・・ 満年齢15歳 数え年17歳
      1944.12.13 ・・・ 満年齢16歳 数え年17歳
      1945.1.1   ・・・ 満年齢16歳 数え年18歳
      1945.12.13 ・・・ 満年齢17歳 数え年18歳
      1946.1.1   ・・・ 満年齢17歳 数え年19歳
      1946.12.13 ・・・ 満年齢18歳 数え年19歳


     連行された年 連行された年齢証言 1928年12月生まれの連行時の実年齢
    1993.7 破られた沈黙 1944年夏 16歳 満15歳、数え17歳※不一致
    1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 1944年秋 満16歳 満15歳、数え17歳※不一致
    1996.8 私たちと戦争責任 1943年10月 14歳 満14歳、数え16歳
    1998.8 英文中国日報 1944年 数え年16歳 満15歳、数え17歳※不一致
    2005.4 証言集会(同志社) 1944年 韓国の年齢で16歳 満15歳、数え17歳※不一致
    2007.2 JANJAN 記載なし 15歳
    2007.3 フランス ルモドン紙 1944年秋 14歳 満15歳、数え17歳※不一致
    2007.8 戦争と性
    (※西暦の記載は無いが、1946年春に帰郷して母が「私の娘は3年前に死んだ」と言っているので、おそらく1943年) 15歳

    つまり、連行された西暦は1943年か1944年で、季節は夏か秋。また、連行された年齢から算出される西暦も1943年か1944年になります。
     ※14歳を満年齢だとすると、1943年に連行(数え年だと1941年に連行されたことになる)
     ※15歳を満年齢だとすると、1944年に連行(数え年だと1942年に連行されたことになる)
     ※16歳を数え年だとすると、1943年に連行(満年齢と明記されているものもあるが、1945年に連行されたことになり、あり得ない)

    なお、連行された年と年齢が一致しているのはの「私たちと戦争責任」のみであり、西暦の証言は「1944年」が圧倒的に多いものの、年齢から逆算した西暦は「1943年」が圧倒的に多いことになります。


    ちなみに、同女が故郷に帰った年は明記されていないものがほとんどなのですが、曖昧なものも拾い集めてみると、以下の表の通りとなります。

    証言 備考
    帰ってきた年 帰ってきた年齢
    1993.7 破られた沈黙 明記なし
    (おそらく、1946年or1947年の12月13日) (注1) 19歳
    1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 麦が青い芽を出す頃
    (西暦不明) 記載なし
    2007.8 戦争と性 1946年春 (注2) 17歳 (注1)同女が故郷に帰った時の母の「私の娘は3年前に死んでしまっていない」という発言、及び、その時、同女の法要を行っていて、誕生日(12月13日)に法要をしていたと記述がある。
    同書では、1944年夏に連行されたと証言しているので、1946年12月に帰ったとすると約2年4ヶ月で3年には足らず、1947年12月だとすると約3年4ヵ月になる。
    また、帰ってきた年齢は19歳と明記されており、これが数え年なら1946年になる。(満年齢なら1947年)

    (注2)こちらは、帰ってきた年が明記されているが連行された年は明記されていない。「破られた沈黙」と同じく、「私の娘は3年前の夜に死んだ」という発言があるので、そこから逆算すると、連行された年は、1943年になる。

    どうやら、1946年に故郷に帰ってきたというのが正しそうです。

    なお、同女の証言では、「同女の法事をしている時に帰ってきた」という内容が多いのですが、法事が誕生日に行われていたとすれば12月に帰ってきたことになり、◆↓┐僚佞傍△辰討たという証言と矛盾します。おそらく、法事の際に帰ってきたというのは、物語をドラマティックなものにする為の演出でしょう。
    ちなみに、◆↓┐任蓮∨〇の話は出てきません。

    ------------------ 以上、2007.8.28追加 ------------------

    ---- 2007.8.28 <何故、「1944年から3年間」なのか>を削除 ----



    【信憑性】

    信憑性は全くありません。


    【資料等】 
    年月 資料名等 著者 出版社 容 等
    1993.7 写真記録 破られた沈黙 −アジアの「従軍慰安婦」たち 伊藤孝司 風媒社
    1928年12月13日生まれ
    大韓民国ソウル市在住
     
     私大邸で生まれました。家は貧しくて、国民学校に入学したもののすぐに夜学に移りました。
     1944年夏のある日、酒屋をやっていた友だちのお母さんが「今のような苦しい生活をしている必要はないじゃないか。私の言うところに行けばご飯がたくさん食べられ、豊かな生活ができる」と言いました。ですが私は「嫌だ」と言って飛び出て来ました。
     それから何日かすると、その友だちが私の家に来て手招きするのです。外に出ると、そこには軍服みたいな服を着た男がいて、3人の娘を連れていました。その男は私に包みを渡しました。友だちが「それは簡単服(ワンピース)と赤い靴が入っている」と言いました。私はこうした新しい物を生まれて初めてもらった嬉しさで感激しました。
     この男に「一緒について来るように」と言われ、私と友だちも含めた5人の娘が連れられて駅に行きました。それまで私は汽車に乗ったことがありませんでした。汽車の中では、私は車酔いで泣いていました。(P.72〜73)

    (※2007.4.23 追加)



    1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集 明石書店
     一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。〜(中略)〜
     当時、私の着ていたものといったらみすぼらしくて話にもなりませんでした。それから幾日かたったある日、プンスンと川辺で貝をとっていたら、向こうの土手の上に見たことのない老人と日本人の男の人が立っているのが見えました。老人が私たちの方を指さすと、男の人は私たちの方へ降りて来ました。老人はすぐ何処かに行ってしまい、男の人が私たちに手真似で行こうという仕種をしました。私は怖くなりましたが、プンスンは知らんぷりをして反対の方に逃げました。
     それから何日かたったある日の明け方、プンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。〜(中略)〜行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。〜(中略)〜それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。(P.132〜133)

     船上で一九四五年の新暦のお正月を迎えました。〜(中略)〜このように強姦されたのは私だけではありませんでした。プンスンも他の娘たちも私と同じことを軍人からされたと言っていました。その後も私たちはその船の中で随時軍人たちにそういうやり方で同じことをされました。(P.135〜P.137)

     大邱から私たちを連れて来た男が慰安所の経営者でした。(P.137)



    1996.8 アジアの声 第10集 私たちと戦争責任 戦争犠牲者を心に刻む会 当方出版
     私は、弟が四人と私の五人姉弟でした。どこでもそうでしょうが、私も一人娘ということで、父は自分が食べなくても、私に食べさせてくれました。そのくらいかわいがってくれていました。
     私はまだ幼い十四歳の時です。友達と川へ魚を捕りに行きました。その時堤防の上から、日本の人かどうか分かりませんが、軍服を着た男性二人が私たちを指さしました。私達が遊んでいるのに堤防の上から私達に対して指さしているのを見たら、まだ子どもだった私はもう怖くて、その場に父はいませんでしたが、「お父さん、お父さん」と言いながら一人で逃げてお父さんを呼びに行きました。逃げる途中に山があって、そこに小さい家がありました。中に入るとおばあさんが一人いたので、「おばあさん、かくまってください」と頼んだら、「この子は馬鹿じゃないか。いったい誰が捕まえに来るっていうのかい」と言われました。でも「捕まえに来るから」と言い張り、泣きながら「ちょっと外を見てきてください」と頼むと、おばあさんは「外には誰もいないから、早く帰りなさい」と言いました。それでも私はとても怖いので、黒いはかまを一着頭にかぶって、顔が見えないようにして走って家へ帰りました。
     その日からどのくらいたってからか忘れましたが、ある日明け方のまだ暗いうちに、だれかが私の家の透かし窓を叩きました。目を覚ましてみると、女の人がいて、「黙って出ておいで」と私を呼ぶのです。家の玄関には戸がなかったので、女は細い廊下に入ってきて、私を引っ張って連れて行きました。おかげで私は木で作られた靴を履くこともできず、裸足のままでした。私が女に韓国語でたずねると、女は「韓国語で話すな」と言いました。連れて行かれたのは堤防で、前に見た男がいました。その男はいつも帽子をかぶっていました。その男と女についていくと、踏切がありました。上を汽車が通り、下を車が通る、そして人がその横をを歩くようになっていて、そこの階段を上っていったら少女がすでに三人いました。その中にいた私の親友が赤いふろしきを渡してくれたので、触ってみると靴が入っているのがわかりました。
     私たちは四人になり、駅に連れていかれたのですが、そこでは私が韓国語を使うと殴られました。(P.61〜62)

     今考えると、十月に連れていかれたのにもうとても寒い思いをする十二月になっていました。(P.64)

     朝、港から船に乗った時には、さすがに、何も知らない私でも今度はもう家に帰れない、どこかに連れていかれて殺されるだろうなと思いました。〜(中略)〜一九四三年十二月頃でした。(P.64)

     (※2007.6.19 追加)



    1998.8.23 英文中国日報 ***** ****
    日本軍の性奴隷として足かけ三年間従事〜(中略)〜1944年のある夜、韓国の故郷からどのようにして日本軍により誘拐され〜(中略)〜慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。


    2002.6.26 日本共産との会合 ***** ****
    十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた


    2004.12 京都での市民集会 ***** ****
    1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され〜(中略)〜日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。


    2004.12.5 京都新聞 ※リンク切れ ***** ****
    16歳でわけが分からないまま連行され、〜(中略)〜1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として


    2005.4.21 証言集会(同志社大学) ***** ****
    私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。〜(中略)〜その時、私は韓国の年齢で16歳でした。


    2005.8.11 朝日新聞 ※リンク切れ ***** ****
    韓国の大邱から15歳ごろ連行された


    2007.2.16 中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言」 ***** ****
    1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され


    2007.2.26 JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」 ***** ****
    15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた
    (※2007.3.24追加)


    2007.3.6 le Monde.fr 「Le combat de Lee Yong-soo, ancienne "esclave sexuelle" au service de l'armee imperiale japonaise」
    ※フランスのルモンド紙 リンク先はフランス語 ***** ****
    現在の韓国南東部、大邸に近くで生まれたイさん(マダム・イ)が14歳のときだった。『1944年の秋のある朝のことです。寝ていると、わたしを呼ぶ女の声がします。出て行きました。日本兵がひとりいて、わたしを捕まえ、力ずくでわたしを連行したのです』。汽車は彼女をピョンヤンから中国の大連へと運んだ。大連で彼女は台湾行きの船に乗せられ、自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された
    (※2007.4.4追加)
    【2011.12.18 Sunday 17:41】 author :
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