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    【2017.08.23 Wednesday 】 author : スポンサードリンク
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    526:アメリカ/ 新田丸事件
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      戦犯裁判アメリカ管轄横浜裁判


      #-/新田丸事件

       1942
      /1/6、元客船・新田丸(のち改装空母・沖鷹)は、ウェーク島から俘虜約1200名を乗せ上海に向かった。
       1/18横浜に寄港し、おそらく情報聴取の為と思われる俘虜20名を下船させ、護送隊長・斎藤利夫中尉は軍令部に出頭し経過報告を行っている。

       出航前、俘虜全員に対して船内取締規則を通達し、反抗する者は処刑する旨も伝えていたが、横浜入港までに4回、警備兵襲撃事件が起きていた。
       軍令部中佐から、「違反者の行為は船内取締規則に対する反逆である。このような違反を見逃しておいたのでは、かえって大きな反乱を誘発しかねない。厳重な処分をせよ」と命ぜられた斎藤中尉は、九州南西近海で俘虜5名に死刑を宣告し処刑、米国旗で覆い水葬した。
       
       戦後、本事件は横浜法廷で訴追される事となったが、上官は既に死亡しており、斎藤利夫少佐が全責任を負わされる事となった。
       
       事情聴取後、一旦釈放となった斎藤少佐は、再逮捕前に逃亡し起訴を免れた。
       
       起訴されていれば、当然死刑だったろう。
       
       尚、新田丸で生存していた機関長と桜井船医も事情聴取され、船医が起訴され禁固1年の判決を受けている。
       
       

       俘虜約1200名の護送を担当したのは、特別編成の海軍兵58名で、軽機関銃3挺を携行していたからといって、危険な任務であった。
       これに対し、錯乱状態になった俘虜が警備兵を襲い銃を奪おうとする・・・それが4度も続けば反乱の意図をもって行われたと判断されても仕方が無い。
       
       平時なら厳重処罰の懲役で済んだかもしれないが、戦時に銃を奪われれば警備兵が殺害されるだけでなく、大規模な反乱となって新田丸奪取・日本人皆殺しになっていたかもしれないのだから、軍令部中佐の考えは不当とは言えない。
       ただ、護送任務の部隊に丸投げしないで、横浜特警隊に逮捕させ、軍律会議送りにするのがスジだったろう。
       
       船上処刑に際しては、甲板上で斎藤中尉が処刑宣告を読み上げ、新田丸乗り組みの2世が通訳したという。
       宣告の際には、俘虜側も立会人が同席していた可能性があるが、処刑は5名の兵曹により執行され、おそらく斬首であったような証言があるから立ち会いは無かったと思われる。
       水葬は米国旗を覆い実施されたようだから礼は尽くしていたので、多めに立ち会わせていた可能性はある。
       
       刺突演習を行ったとする説があるが、警備兵に選抜されたのは初年兵じゃなく猛者ばかりだったらし〜し、死刑だけで十分懲罰効果があるのに、勝ち組が刺突訓練して当時の負け組から憎悪を買うってのも考え難い。
       
       
       本件は、斎藤少佐・30歳の逃避行がけっこ〜ドラマチック。
       
       1946/秋、斎藤少佐は現場指揮官として逮捕され、15日間拘留尋問を受けた。
       元俘虜の口述書に基づき事前に関係者の事情聴取が実施されており、処刑時の現場写真も押収されていた。
       斎藤少佐が事実をありのまま供述した処、発令者の軍令部中佐が戦死してしまっている事を考慮され釈放となった。
       
       しかし、本事件で有罪者を出さないワケにはいかなかったGHQ法務局は、釈放当日に斎藤少佐再逮捕・起訴を決定したのだが、それを偶々聞いていた通訳の日本人女性が斎藤少佐に通報。
       
       翌日の日没後、蒲郡の自宅に密かに戻ると、当日既にMPと警官が逮捕に訪れていたという。
       
       妻に事情を話した後、すぐに変装し東京に向かい、マッカーサー宛に「法務局における処置は、ことさら罪人をつくるための、戦勝国の一方的な非人道的処置であって、自分はまったく承服できない。ゆえに自分は、あらゆる手段によって潜行作戦を展開し、貴連合軍当局には絶対に屈従しない」という宣言書を投函。
       
       以後、7年間各地を転々とする逃避行の中で、7人の女性によって救われる・・・映画かドラマ、小説化されたヨ〜なお話ww。
       
       1952/2逮捕令取り消し発表後、1953/6ヨ〜ヤク潜伏先の福島から、自宅に電報打ったそ〜だ。
      【2011.08.11 Thursday 21:45】 author :
      | B級裁判 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
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        【2017.08.23 Wednesday 21:45】 author : スポンサードリンク
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        この記事に関するコメント
        いやー貴重なお話ありがとうございます。

        僕も戦時中の小説をよく読みますが、新田丸事件のことは知っていましたが、齊藤少佐が、その後どうなっていたのかは知りませんでした。

        ずーっと気になっていたので、胸のつっかえが取れました!

        たまたま、このブログにたどり着いたので、感謝します。


        ちょくちょく遊びに来ます。


        それでは!
        | サバゲー柔道家 | 2012/09/05 12:00 PM |
         レス有難うございます。

         決してヒモタイプの男性ではないのに、女性運はドラマ化されてもいい程のオモロさのようですw。
        | 腹 | 2012/09/05 4:03 PM |
        管理者の承認待ちコメントです。
        | - | 2012/11/27 5:32 AM |
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