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321:戦犯裁判:オランダ管轄・メナド裁判:321:第2号法廷/メナド市民虐待致死事件
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       戦犯裁判オランダ管轄メナド裁判

     

    321:第2号法廷/メナド市民虐待致死事件

     

    起訴理由概要:メナド市長として、メナド軍政に関連する住民虐待致死

     

    南洋拓殖メナド支店・柳井稔支店長・東京:1946/9/27起訴>46/10/31求刑死刑>46/11/13判決死刑>47/3/17銃殺:弁護高崎

     

    一般解説:1942/1/11、佐世保海軍第2特別陸戦隊によって、セレべス海のサンギー諸島の中心都市・メナド上陸作戦が行われた。
     占領後は、この陸戦隊が第8警備隊として終戦まで駐留している。
     支隊として、北セレべス地区海軍特警隊、メナド地区海軍特誓隊などがあった。

     メナドの
    柳井稔市長は、元南洋拓殖株式会社・メナド支店長であったが、日本軍進駐以降はマレー語などの通訳として海軍第8警備隊に協力、のちに市長を任され、軍と市民間の調整に尽力した。

     しかし敗戦となると、発令権限者以上に、直接、俘虜・抑留者・市民に接触した通訳や担当者が怨みを買って告発される事となった。

     ただ市民の告発といっても、インドネシア人の告発はほとんど無かったというから、チナ華僑の告発という事になる。
     同じ市長でも、マカッサル・山崎軍太市長は逮捕・取調べを受けたが、華僑の告発が無かった為、不起訴釈放されている。

     柳井市長の訴因は、不当な軍政と、日本海軍上陸当時の反日陰謀団処刑に関する立会い人としての責任という事であるが、市長に軍政の直接責任は無いし、上陸当時の処刑立ち会いといってもタダの通訳であった彼には全く責任が無い。


    1947/3/17 山口・中野・田畑警備隊軍属(通訳)各氏と共に執行


     短期の懲役刑が限度であったろ〜に、極刑銃殺しておいて、「死刑になるような残虐行為」を既成事実にして反日プロパガンダに利用するんだから、困ったもんだ。 



     #1/メナド海軍抑留所虐待致死事件の山田兵曹長と同様、逮捕後にモロタイ(パルマへラ島の北)に送られ虐待、46/5、兵曹長と共にメナドに送り返され、9/27共に起訴、1日遅れの10/31に求刑、11/13同じ法廷で死刑判決を受けた。

     刑場は付近のヤシ林で、オランダ側は知事や軍幹部らが立ち会い、日本側も弁護人・通訳・友人1名の立ち会いが許され、
    ヤシに縛られ、5名の銃殺隊により処刑執行されたのは、兵曹長と同様と思われる。

    【2011.07.19 Tuesday 11:21】 author :
    | B級裁判 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2018.05.22 Tuesday 11:21】 author : スポンサードリンク
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      この記事に関するコメント
      管理者の承認待ちコメントです。
      | - | 2014/05/11 9:12 PM |
      コメント有り難うございます。
      コメント内にお名前が起債されています。
      ご迷惑があってはいけませんので、非公開のままにさせて頂きます。
      後程メールします。
      | 腹 | 2014/05/11 11:43 PM |
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