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2218:オランダ管轄・バタビア裁判・第37号法廷/タイ・ウボン飛行場工事虐待・泉水事件
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    戦犯裁判オランダ管轄バタビア裁判

     

    第37号法廷/タイ・ウボン飛行場工事虐待・泉水事件

     

    起訴理由概要:昭和20年1月タイウボン飛行場作業のため泰緬鉄道工事に従事中の和蘭俘虜400名が送られた。
    泉水は飛行場大隊長で、上村は補給中隊の先任将校、正井・五十嵐・本多・西川・東野・久崎は同中隊、紫垣は警備中隊に所属していた。
    昭和20年9月までの間多数の殴打虐待行為が行われた。400名中160名の病人が出たが死亡者はない。
    泉水はキャンプの管理責任、上村は俘虜に対する虐待行為を許容せる責任、正井による数次の虐待、五十嵐による虐待で1名不具となる。久崎による虐待で聾となる。本多による1名の俘虜の虐待。

     

    第75飛行場大隊長・泉水二郎少佐・千葉:47/8/27求刑20年>47/12/15判決15年:弁護萩原
    ・補給中隊・上村輝雄中尉・鹿児島:47/8/27求刑死刑>47/12/15判決死刑>48/4/10銃殺
    ・・正井政雄伍長・兵庫:47/8/27求刑死刑>47/12/15判決死刑>48/4/10銃殺
    ・・五十嵐吉平伍長・新潟:47/8/27求刑10年>47/12/15判決8年
    ・・本多初次郎兵長・愛媛:47/8/27求刑死刑>47/12/15判決死刑>48/4/10銃殺
    ・・西川吉亙篠后ζ猯鼻47/8/27求刑5年>47/12/15判決5年
    ・・東野作次兵長・大阪:47/8/27求刑20年>47/12/15判決15年
    ・・久崎日出翳篠后ε豕:47/8/27求刑死刑>47/12/15判決死刑>48/4/10銃殺
    ・警備中隊・紫垣光雄准尉・熊本:47/8/27求刑15年>47/12/15判決8年

     

     

    ウボン飛行場駐屯人員:航空部隊17名(1944/8記録)、歩兵85連隊・1028名(1945/8記録)

    https://ycu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=282&file_id=22&file_no=1

     

    45/夏、飛行場大隊の命令で、地下通信所設営のため10名使役、飛行場隣接の収容所に100名程の英俘虜。所長はチャンギーで処刑。

    戦 後 の 慰 霊 活 動 -

    「鯨烈山砲」の慰霊団団長、香川県坂出市の稲田吉徳氏は戦闘中、猛烈な下痢とマラリヤに悩まされるも村の長に介抱され一命を取り留めた恩に感謝して、地元小学校の校舎寄贈を思い立ち、自費で毎年一校を鯨烈山砲、第一中隊玉砕の地、メークテーラ近辺の村の5校に2000年から校舎を寄贈されてきました。 私たち同行団員も文房具を持てるだけ持って学校を訪問、子供達と喜びを分かち合っています。

    http://kimono-kitsuke.sakura.ne.jp/pws/pws-tkf2.html

     

     

    一般解説:鉄道使役中に多くの俘虜が死亡しているが、直接的死因の多くは病死である。飛行場大隊使役である本件の場合、400名中160名が発病しているが、死者は出していない。飛行場設営の重要作業だったから、薬剤の配給がそれなりに確保されていたかもしれないが、少なくとも虐待が行なわれていたら防げなかった死者を出していないということは、上村中尉が適切に俘虜管理を行なっていたからと思われる。

    泉水少佐は、大隊長不作為総責任

    上村中尉は虐待許容責任であって虐待関与はないので、使役の指揮官というだけで処刑した事になる。

    正井伍長は、数次の虐待だけなので、下士官として目立ったため証言が重なっただけかもしれない。

    五十嵐伍長は、不具にしたというのに求刑10年は軽過ぎる。その上8年減刑判決は、検察・裁判官が共に誣告だったと知っていた可能性がある。

    久崎兵長の聾虐待は、ビンタで鼓膜を痛めた程度のもので、判決時には治っていた程度の障害では無かったろうか。

    本多兵長の1名虐待は、兵長が残虐な性格だったら、1名虐待で済む筈が無い事から、執念深い俘虜の誣告ではないか。

    東野・西川兵長の違いは、ビンタの数、1発か数発の違いではないか。

    紫垣准尉は、収容所関係者のビンタだったから過重程度。

     いずれにしても、使役した飛行場大隊では、俘虜暴行はほぼ無く、良識的な処遇をしていたと思われる。

     

     

    【2017.02.02 Thursday 21:23】 author :
    | B級裁判 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2017.10.27 Friday 21:23】 author : スポンサードリンク
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      この記事に関するコメント
      本件、生き残りの人(既に故人)の話に話を聞いたことがあり、その内容と差がありますがもう少し詳しく調べることができれば行いたいのですがどこを調べると分かるのでしょう?といっても私が聞いているのは2〜3行で終わる話なのですが。
      私はこの中の3名の名前を聞いてます。(名前と苗字が一致)
      | ikinokori | 2017/08/20 9:08 PM |
       コメ、有り難うございます。

       この資料は、公文書館の戦犯裁判概見表の元になった資料のようです。内容が一致するかは確認出来ていませんが、全体として、一致している事件も多いようですが、一部異なる記録もあるようです。概見表自体が、公式記録が無い、若しくは関係者の記憶、弁護人のメモなどから作成した程度のものもあり、正しく記載されていると信じて入手したのですが、正確性には疑問があるようです。
       本件では、捕虜に死者が出ていないのに3名銃殺・・・が事実であれば冤罪の可能性があると考えています。
       遺書なら一部検索可能なようですから、そこから解析出来る可能性があります。
       地道な検索で見付かる事がありますので、落ち着いたら調べる予定ですが、今は手が回りません。
       こちらが見つけたらお知らせしますが、数行でも検証出来る場合があるので、宜しければお教え下さい。
      | 腹 | 2017/08/20 10:12 PM |
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