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    【2017.08.23 Wednesday 】 author : スポンサードリンク
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    198:リカバリー2010/08/24: 吉見義明の蘭印強制売淫事件裁判に対する認識って、ケッコ〜テキト〜。
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        当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。
       慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている。)

       本題じゃないが、性病が蔓延する慰安所って、軍慰安所じゃなく一般娼館のことかな?
       軍が性病罹患対策をしていなかったのであれば、新規慰安所開設しても性病蔓延は防げない。
       単に慰安婦の絶対数が足りなかったための新設なら納得する・・・が、吉見の事だから軍指定の慰安所と一般の娼館・売春施設と区別出来てないんじゃないか?w

       幹候隊長が第16軍司令部のガイドラインを無視したと決め付けているワケだが、ガイドライン無視は「強制売淫目的の婦女誘拐」を有罪にするためのオランダ側の主張であって、事実はガイドラインに従って徴募していたと判断するのが妥当である。

      判断根拠(主として女性基金調査に基づく、以下同)

      ・徴募は、陸軍第16軍だけではなく、第25軍と共に海軍でも実施され、加えてオランダ人を含む民間業者も実施していた。

      ・徴募の際は、陸軍憲兵・海軍特警隊と共に州庁の役人も同行していた。

      ・軍も州庁も日本の官僚機構であり、公に徴募する際にガイドラインが無い、若しくはガイドラインを無視するとは考え難い。

      ・憲兵らが同行する徴募の際に、徴募担当の幹候隊将校がガイドラインを無視する事は出来ない。
       よく「上官の命令は絶対」というがそれは直属上官の命令であって、上級幹候隊員が下級憲兵に直接命令する事は出来ない。
       もし威圧等でその場は見逃したとしても、憲兵が司令部に報告すれば幹候隊が処罰され、報告をしなければ憲兵も処罰される。

      ・第16軍司令部のガイドラインを通達した兵站部将校は、主に不作為責任を問われて死刑になっている。
      一方、「ガイドラインを無視した実行犯」の幹候隊長は懲役刑である。
       吉見はそこに何の疑念も抱かないから、「徴募の際ガイドラインは無視された」というオランダ側の主張を安易に信じ込むレベルの認識しか無かっただけの事。
         複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行したと言われている。
       「35人のオランダ人女性を強制的に集め・日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、連行」って、吉見は「裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。」と知っていて、強制・強制と繰り返している。
       だが、良心的オランダ人女性10名は、戦犯裁判においても真実を語り、強制性を否定した事になる。(彼女らは、報復ムードの中でも、自身に誠実だった方達だったと思う。女性基金の支給に花と感謝コメントを返してきた方がいたらしいが、好きで娼婦になったワケじゃない人生の一時期について、日本の慰藉行為は救いだったのかもしれないね。)
       オランダ側は、「理由も判らず強制連行され、意味も判らない日本語だけの同意書にサインを強制された後に、身体検査・慰安所連行・強姦」と主張しているのだが、強制を認定されなかった女性10名はガイドラインに従って応募し、強制連行された?女性らと同じ抑留所から同じバスに乗り、カナリ通りの建物でマレー語と日本語で記載された慰安婦同意書に、承諾の上サインしているのである。
       また、蘭語堪能の日本人がいた慰安所では、面談して慰安婦応募の意思確認まで行われている。
       吉見はオランダ側主張だけを採用し「強制売淫目的の婦女誘拐」行為と決め付けているワケだが、納得して自主応募した同行女性10名の存在を何故無視出来るんだろうか?
       「理由も判らず強制連行、読めない日本語だけの同意書にサイン強制」と主張する自称被害女性25名だが、同行女性10名と同じ条件で応募し、同意の上のサインしたのではないと何故判断出来たのだろうか?
       自称被害女性達は、抑留所から連行される時・サインする時に、自主応募した10名に何も聞かなかったと、何故判断出来たのだろうか?

      ・  3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。
       給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。
       週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。

       被害を捏造・誇張するために、性奴隷即ち無給の強姦主張がパターン化しているワケだが、軍慰安所は無料施設ではない。
       利用する将兵は、所定の料金を支払っている。(一例、将校・4ギルダー、兵・1.5ギルダー、慰安婦取り分1/3)
       確かに、この料金を管理人が全額ピンハネしていた可能性はある。
       ただこの場合、定期的に慰安所を巡回する憲兵に親告すれば、管理人は(スマランの場合は下士官、予備役かは不明)逮捕され、営倉入りである。
       この犯罪行為を、スマラン市内の全4軒の軍慰安所・1軒の民間軍指定慰安所管理人が行い、かつ憲兵が見逃していたとは考え難い。
       オランダ人慰安婦に性病罹患や妊娠があったというが、そもそも軍慰安所は性犯罪防止以上に、性病感染防止を目的としていた。
       性病感染は部隊の恥であり、感染が発覚すればリンチが待っていた日本軍の場合、慰安所に行かなくとも衛生具を携帯していなければ外出許可が出ないほど、厳しく教育されていた。
       勿論、不心得者がいた事までは否定しない。
       ただ、蘭人が言う「性病をうつした者・妊娠させた者」が、日本兵であった確率は低いであろう。
       また、週1回の身体検査は、主として性病検査である。
       確かに戦争末期には医薬品全般が不足していたのは事実だが、性病感染が判明して軍医が治療しなかったとは考え難い。
       もしそれが事実なら、完治まで営業停止命令された筈だが、そこに一切触れていないのも矛盾がある。
       身体検査時に医師が強姦するって、オランダじゃ〜普通にある事なのかもしれないか、占領下の蘭印・未だ戦場になっていない地域では、軍医には従軍看護婦が随行していた。
       日本の看護婦の前で、日本の軍医が強姦して恥じないなんて、特亜とオランダでしかあり得ないケースなんだよwww。
       しかし、自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。)
       しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。
       アンバラワ抑留所のリーダーが帰国後に類似証言しているが、「自分の娘を連れ去られたリーダー」というのはガセ。
       同証言は、原文を確認しなければならないが、強制連行について解放要請したのか、廃業願いの履行要請したのかが定かではない。
       「事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管した」というのは、抑留所の所管が、州庁から地域により陸軍16軍・25軍・海軍に変更されたという事。
       つまり、戦犯法廷で日本軍側が「州庁の娼婦徴募システムを軍が採用した。」と主張していた通り、もともと娼婦募集は州庁の発案で、州庁管轄の全抑留所で実施または実施予定であったという事である。
       軍政下、売春業を管轄していたのが州庁なら、娼婦不足と抑留生活改善支援の為にオランダ人元娼婦や希望者募集を考えるのは、戦況が逼迫し物資不足の蘭印では、不当とまでいえない。

       娼婦募集とはつまり、軍慰安婦に特定したものではなく、市中にあった敵性オランダ人を除く欧米人や、中国・朝鮮を含む一般の売春業者に許可したものであった。
       この話に日本軍も乗り、ほぼ共通のガイドラインの下に、軍慰安婦を募集したものと判断するのが妥当である。

       「日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。」・・・吉見が言い始めたのかは定かではないが、これを受けて「日本軍紀は弛緩しており、戦争犯罪の婦女誘拐・強制売淫・強姦が処罰されなかった。」などと指摘する者が多い。

       だが戦犯裁判において、日本側はガイドラインに従った募集である旨供述し、口裏合わせ不能の帰国者も同旨無罪を主張している。

       オランダ裁判が有罪認定したからといって、その根拠は被害証言だけであり、無罪証拠となる同意書や募集要項・通達が法廷で採用・検討されたか否かは公開されていない。

       また、同じように起訴しようとしたムンティラン抑留所では、抑留所側が応募リストを作成したとウッカリ証言してしまって不起訴になっている。
       何より、スマラン事件当事者のオランダ女性35名のうち、10名は募集要項に同意し、強制は無かったと認定されているのである。

       オランダ軍の戦犯判決が正しいという前提で、「当時の日本軍紀は弛緩しており、戦争犯罪の婦女誘拐・強制売淫・強姦が処罰されなかった。」・・・これ、当人はオランダ軍検察官にでもなったつもりで講釈ぶってるに過ぎないワケだが、こんな主張が通るなら、「当時軍政下の日本軍紀は厳正であり、軍法会議が行われなかったのは、戦争犯罪の婦女誘拐・強制売淫・強姦が行われていなかった証明である。」を前提として、「オランダ軍戦犯裁判は、事実を歪曲捏造した報復裁判に過ぎない。」という主張も可能である。

       「処罰も行なわなかった。」というのは事実に反する。

       市中で自由行動が許されていた欧人の証言では、「慰安所閉鎖後、憲兵が地位を失った。」とある。

       陸軍省の佐官が視察に来て、抑留女性5,000名のリーダーから強制売淫事件を告発されたというのであるから、慰安所閉鎖だけでは済まない国際問題である。

       強制売淫事件が発生していたのであれば、軍慰安所を企画した司令部兵站将校、募集行為を部下に命じた幹候隊長、オランダ女性引率担当の幹候隊将校、同行した憲兵・州庁役人、抑留所長、同意署名担当将校、身体検査担当軍医、4か所の慰安所管理下士官(おそらく予備役)、民間軍指定慰安所の管理者が、軍法会議・処罰されていた筈である。

       ところが、強制売淫として取り扱われず、憲兵が処罰されたのみだという。

       この憲兵とは、おそらく徴募に同行した者ではなく、慰安所巡察を担当していた憲兵であろう。

       つまり、オランダ人慰安婦の廃業願いの取り扱いに問題があったが故の処罰、と考えるのが妥当である。

       強制売淫事件が有罪となったのは、元慰安婦の25/35名の証言が採用されただけであり、10/35名の証言は無視されている。

       オランダ側の記録は、全公開されているワケではなく、ガイドラインは勿論、重要証拠となった筈のサイン済み同意書がどうなったかも一切公開されていない。

       終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。

       罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。

       有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田陸軍少佐には死刑が宣告された。

       また、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが、軍法会議の終了前に自殺した。
       裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと認定された。

       同スマラン事件では、13名が起訴され、スマラン州長官1名は無罪(州庁企画の募集実態が明らかになれば困る事と、日本軍人の犯罪を強調したかったが故と思われる。)。

       付記すれば、民間軍指定慰安所の管理者・・・実態はオランダ女性だったが、夫の日本人が戦犯訴追され、獄中死している。・・・自決と噂されていたようだが、拷問死であった可能性は否定出来ない。
      【2011.06.19 Sunday 01:30】 author :
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