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1870:1974年の国連総会決議3314・2010年の国際刑事裁判所定義によって、侵略定義が為されたと思い込んでいるのが、村山談話に洗脳されている日本人。
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     1974年の国連総会決議3314・2010年の国際刑事裁判所定義によって、侵略定義が為されたと思い込んでいるのが、村山談話に洗脳されている日本人。

     決議・第2条の「武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。」について、村山談話派の日本人は無視しているが、アメリカや国際社会では、「武力の最初の使用」所謂先制攻撃は「侵略行為の一応の証拠」に過ぎない。
     WW1まで、戦争自体は犯罪と見做されていなかった。WW1後に戦争惹起、所謂「先制攻撃を仕掛けてきたドイツを裁こう」という主張はあったが、国際社会は、従来の慣習通り、戦争惹起を侵略犯罪とは認めなかった。但し、ドイツによる中立条約違反の中立国への侵攻を、侵略犯罪として裁こうとしたのである。
     その後1928年不戦条約は、侵略戦争を非としたが、先制攻撃を侵略戦争とは認めなかった。この不戦条約は現在も失効していないので、国連決議が先制攻撃を侵略行為の一応の証拠としていても、敵ミサイル基地先制攻撃など自衛目的の先制攻撃は侵略戦争には当たらない。
     WW2開始まで、中立国への侵攻を除く自衛名目の戦争は侵略戦争では無かった。1937年中国の先制攻撃で開戦した第2次上海事変は、日中どちらの侵略戦争でも無かったが、ローズヴェルトは日本による侵略戦争と決め付け、南京攻略前に無法国家の隔離宣言を公表し日本に対し英蘭中と共に、順戦争行為の経済封鎖を仕掛け、中国に対しては軍事・経済支援して、日中間の講和を妨害した。
     日本は経済封鎖に対抗し英米蘭植民地に進攻、英米による中国援蒋ルート閉鎖の為に日仏協定に基づき仏印に進駐した。
      当時の国際常識として、経済封鎖は準戦争行為と見做されている。経済封鎖実施国に対する進攻を自衛戦争と主張した日本の行為は、不戦条約上侵略戦争では無い。
     1943年米英はカサブランカで、枢軸国の戦争を侵略戦争と決めつけて、全枢軸国対しに国家無条件降伏を要求した。 WW2開戦までは、自衛の為の先制攻撃は侵略では無かったが、英米により枢軸国による全ての戦争は自衛主張が認められず、侵略国家には国家無条件降伏が要求されたのである。
     日本も他の枢軸国と同様、カイロ宣言でも国家無条件降伏が要求されていたが、各島嶼に於ける玉砕、特攻、軍民共に死に物狂いで戦った沖縄戦などにより、アメリカはカイロ宣言の本土上陸・国家無条件降伏要求を諦め、枢軸国の中で日本にだけポツダム降伏条件を提示し、侵略国定義を撤回した。
     侵略国対象の国家無条件降伏要求が撤回されたにも拘わらず、降伏後の日本に対しポツダム条件に無い侵略犯罪を裁く東京裁判が強行されたのである。

     国際裁判形式を主張する米本国とマッカーサー間に議論があった事になっているが、対日侵略国定義を撤回したアメリカが、ポツダム降伏条件を受諾した日本に対し侵略行為を裁く東京裁判実施するに当たって議論があった筈だが、決して公表される事は無いだろう。
     
     ドイツの侵略犯罪・人道犯罪を裁くニュルンベルグ裁判条例を協議した米英仏ソのうち、米英はカサブランカ宣言通り、ドイツによる戦争全てを侵略行為として裁こうとしたが、フランスは国際慣習通り戦争自体は違法では無いと主張し、侵略戦争を行なっていたソ連も之を認めたが、ドイツに限る条件で侵略犯罪の適用を認め、ニュルンベルグ裁判の国際軍事裁判所条例は、4カ国ロンドン協定の付属書として公表された。
     一方、東京裁判の極東軍事裁判所条例は、国家無条件降伏して侵略が確定していたドイツ条例の一部用語訂正のみで、GHQの一般命令として公布された。従って、ドイツ条例は国際条約に基づいていたが、日本条例はマッカーサーの復讐心に基づいていたという事である。この事実は、東京裁判弁護団が米国連邦最高裁に人身保護令の適用を申し立てた際の却下理由、「マッカーサーから法を与えられたのであり、国際法に基づいて審査できる裁判所、司法的な法廷ではなかった。」からも明らかである。
     東京裁判の当初訴因は、米英の認識通り日本の戦闘行為全てを侵略として起訴しようとしていたので米英等だけでなく、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フランス・タイまで侵略被害国に含めていた。しかし、開廷後は先制攻撃を侵略とする定義に変更された為、合法進攻時に誤認戦闘になったタイ侵略は審理されなかった。また同じく起訴された北部仏印侵略は、取り下げられなかったが、明号作戦以降を侵略有罪にして有耶無耶にされた。ニュージーランド・カナダ侵略は、自国被侵略がなく逆に連合側に参加して日本を先制攻撃していたので、侵略審理されなかった。ただ、オーストラリアは100回近く日本に攻撃されているが、ニュージーランド等と同様に連合側の戦闘に加わり日本先制攻撃しているので、被侵略国として審理されなかった。尚、オーストラリアは、オランダと共に中立国ポルトガル領チモールに先制攻撃している不戦条約違反の侵略国である。
     これらの国々と同様、東京裁判開廷時の「日本の戦争は全て侵略戦争」基準で、上海戦から首都南京攻略戦までを中国侵略の象徴として起訴したが、裁判途中から先制攻撃が侵略基準になった為、中国の日本侵略で開戦したという弁護団の主張が認められ、松井大将の侵略・共同謀議は何れも無罪になった。
     村山談話に洗脳されたままの日本では、歪曲捏造された植民地支配やアジアに於ける残虐行為全てを侵略罪に含めて重罪と思い込んでいるが、国際的な侵略罪の認識は、カサブランカ宣言以降に米英の意向で違法化された新規の罪で、懲役刑限度の軽罪であった。
     ニュルンベルグ裁判の場合、枢軸国の戦争は全て侵略戦争という米英の認識とドイツが国外に先制進攻した戦争は侵略戦争という認識がほぼ一致しており、軽罪の侵略罪より多数の証拠が採用された人道罪が注目され、多くの処刑者を出した。
     一方、東京裁判では、アジア侵略は捏造出来ず、起訴された被侵略国も審理放棄しなければならず、中国首都南京侵略も無罪にせざるを得なかった。又共謀罪で侵略罪被告を増やしても、侵略罪では死刑に出来なかったので、アジア各地の部下による殺人事件を特定せずに、その犯罪を抑止しなかった不作為責任を侵略の併合罪にして将軍等を処刑したのである。象徴的な南京大虐殺により、大半の日本人は人道犯罪が裁かれたと誤認しているが、事実は、大量殺人の証拠はなく強制労働も強制連行も起訴する証拠が無かったので、日本の人道犯罪は1件も起訴出来なかった。
     東京裁判は、マッカーサーの復讐心により、ポツダム降伏条件に違反して強行されたが、マッカーサーは日本を理解するに従い、東条が主張した「日本が共産主義の防波堤だった。」という事実を認めざるを得なくなった。またアメリカ自身もソ連・中国の侵略性に気付いた事もあり、日本は侵略国扱いを中止され、ポツダム降伏条件に従い枢軸国の中でただ一国に講和会議開会が認められ、従来形式の講和条約締結により戦争終結した。
     このアメリカの反省は、講和条約第5条Cに見られる。
     侵略国日本には、二度と対米戦争が行えないように憲法9条を強制したアメリカが、日本の個別的又は集団的自衛権を承認し、集団的安全保障条約の締結を承認した上に、条約発効後、直ちに日米安全保障条約を締結している事からも、アメリカは明らかに他の連合国と同様の権利を日本に対し認めたのである。この講和条約を批准し、アメリカと安全保障条約を締結してきた日本政府が、個別的自衛権しか認めてこなかった事、並びに、集団的自衛権が承認されその講和条約に基づき集団安保条約を締結しているのに、条約誠実遵守の憲法規定を知っている筈の憲法学者らが「集団的自衛権容認は立憲主義に反する」と主張しているのであるが、憲法学者は講和条約の集団的自衛権承認規定や、日米安全保障条約締結済みを知らないのでは無いのかw。

    【2016.11.02 Wednesday 21:34】 author :
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      【2018.11.12 Monday 21:34】 author : スポンサードリンク
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