<< 1824:「ルーズベルトニ与フル書」 | main | 1826:鰯の頭も信心憲法学者 >>
1825日本軍が日本人を見捨てると、満州日本人はどうなったか?
0
    「日本軍に殺された」と洗脳された沖縄県民は、本州からの工作員の影響で特亜化しつつある。
    以下の述べる「関東軍が見捨てた満州日本人がどうなったか」が隠されているのは、沖縄県民に日本軍批判をさせチナに取り込ませるためである。
    満州で日本人がどのように集団自決していったかを知れば、沖縄県民の集団自決は不必要な死で、その愚かさを誤魔化すために日本軍に責任転嫁した、情けない集団自決であった事が判る。


    [三江省]
    ・三江省職員-(共匪襲撃)100余名死亡
    ・開拓団・千振地区(7ケ団)・閻家地区(4ケ団)-(ソ連軍・共匪襲撃)潰滅的打撃(宮城部落-81名自決)
    ・中川村開拓団-(ソ連軍・暴民)300名死亡
    ・置賜郷開拓団-全滅(自決381名他戦死)
    ・依蘭県民-婦女子主体、200名服毒・小児100名死亡
    ・富錦街・同江県民-船の避難民は全滅、徒歩避難800名の内-チャムス着120名他は不明死亡
    ・富錦県婦女子-(ソ連軍)98名強姦死亡/104名中 
    ・宝山開拓団-全員戦死・自決
    ・撫遠県民-(ソ連軍)生存2名他全滅
    ・朝日開拓団-(ソ連軍)200名死亡
    ・小古洞開拓団-全員自決400名

    [牡丹江省]
    ・寧安街婦女収容所(密山・勃利→)-(ソ連軍・土匪)強姦死亡233名
    ・拉古婦女収容所(東安省開拓団→)-(ソ連軍)強姦死亡725名全滅
    ・東寧県民-半数以上死亡/2628名中
    ・牡丹江省民-(ソ連軍飛行機・戦車-列車襲撃)100名死亡/940名中
    ・綏芬河街民-(ソ連軍)300名死亡

    [東安省]
    ・東安駅爆発-(日本軍爆弾爆発)死傷多数・虎林県民だけで800名死亡(黒咀子開拓団-死526名、不明236名)、後徒歩避難(ソ連軍・匪襲)500名死亡
    ・密山県民-(ソ連軍)400名全滅
    ・黒台開拓団-(精根尽き)老幼500名死亡
    ・哈達河開拓団(麻山事件)-(ソ連軍・匪襲)自決戦死421名(東安省鷄寧県、混成)
    ・清和開拓団-(匪襲)120名死亡
    ・義開完達嶺開拓団30名除き全員死亡
    ・佐渡開拓団跡事件-(ソ連軍)212名死亡/260名中
    ・避難途中犠牲者をだしながらたどりついた7開拓団(3000名)は、20年8月、ソ連軍攻撃自決514名、埴科郷開拓団228名死亡、他の6開拓団も1464名の犠牲者。
    ・虎林県(二見・光開拓団)-虎林要塞戦闘全滅 
    ・虎林沿線軍人家族-422名中蛟河着280名

    [濱江省]
    ・哈爾浜市民-(中共軍処刑)30名、(行方不明)270名
    ・四道河開拓団他-(ソ連軍・匪襲、ダイナマイト自爆)141名死亡
    ・濱県民(満軍・暴民)-358名死亡、救援の財神寄居開拓団-56名、天理村-(ソ連軍)50名死亡
    ・葦河県民-(ソ連軍)50名死亡、周家営開拓団他-自決60名、死亡87名
    ・長発大塔開拓団-(匪襲)154名死亡
    ・高橋村開拓団-(暴民)呼蘭河に投身自殺299名
    ・満洲国立農事試験場-職員家族全員自決-46名(生存1歳児1名)

    [黒河省]
    ・黒河事件-(中共軍)200名死亡
    ・大青森郷開拓団-(ソ連軍・匪襲・オロチョン・山中遺棄)280名/494名中

    [北安省]
    ・瑞穂開拓団-(匪襲)服毒自殺495名
    ・慶安県の開拓団-(匪襲)戦死・自決160名
    ・鳳凰開拓団-(匪襲・ソ連軍) 自決200名

    [龍江省]
    ・富裕県の開拓団-(匪襲)自決356名、斑代開拓団-自決94名

    [間島省]
    ・間島市民-(朝鮮共青同盟)500名死亡

    [通化省]
    ・通化事件-(中共軍)戦死・処刑1200名

    [吉林省]
    ・敦化日満パルプ事件-(ソ連軍・社宅占拠連日婦女暴行)服毒29名-死亡24名、 敦化街-(ソ連軍迫害)3000名死亡/3ケ月
    ・飲馬河事件-(暴民)死傷200名
    ・熊本来民開拓団-(匪襲)190名死亡生存10名

    [安東省]
    ・安東市-(中共軍)省次長、市長等300名銃殺

    [興安省]
    ・各地直接戦闘に巻き込まれ、戦死・自決多数

    [興中地区]
    ・葛根廟事件・興安街官民-(ソ連軍戦車隊)1200名死亡(脱出100名) 
    ・東京荏原開拓団-(匪襲)900余名死亡
    ・仁義仏立開拓団-(ソ連軍・暴民)680名中、戦死・自決469名/680名中、生還20名
    ・巴林左翼旗民-(匪襲)婦女子100名大半自決・殺害

    [新京特別市]
    ・河野村開拓団-婦女子のみ、前途不安自決70名/71名中
    ・新京市民-(国共内戦)死亡300名、負傷1350名


    【個別事件】
    ・小八浪・中川村開拓団事件 (三江省樺川県、埼玉-現荒川村)
    昭20・8・13、避難列車の乗車を拒否して村に止まったが、 治安悪化のため15日徒歩避難を始めた。途中ソ連軍、暴民に襲われ、老幼病弱者自決・幼児絞殺・溺殺等生地獄の惨状を呈した。戦死行方不明300名。約20日後方正に着いたが、その後も惨状は続いた。

    ・小古洞・蓼科開拓団(三江省通河県、長野)
    鶴岡炭鉱脱走のチナ人労働者等に連日女性が犯され、団長はじめ女性・子供254名が服毒自決。 

    ・『東安駅』爆破事件 (東安省)
    昭20・8・10朝、虎林線東安駅において、日本軍の爆弾、砲弾が爆発した。このため、ホームにあった避難列車が爆破、転覆し、一瞬のうちに多数の死傷者をだす大惨事となった。 
    ・孤児50数名東安道徳会に救済されたが、日本語を忘れ残留孤児に

    ・麻山事件(哈達河開拓団) (東安省鷄寧県、混成)
    避難中(ソ連軍・匪襲)、 戦死・自決婦女子421名

    ・佐渡開拓団跡事件 (東安省勃利県)
    [東安省宝清県・長野] 万金山高社郷<戦死420名>、尖山更科郷<294名>、東索林埴科郷<185名>、東横林南信濃<100名>、北哈馬阿智郷<24名> [ 〃 ・茨城] 南哈馬笠間<43名> [虎林県・混成] 清和<371名>
    避難途中犠牲者をだしながらたどりついた7開拓団(3000名)は、依蘭へ脱出の道をとざされ、ごったがえしていた。8月23日夕方、不時着のソ連偵察機を焼いた(終戦不知)。25日、自決514名。26日夕刻白旗を掲げ降伏勧告にきたソ連トラック3台(女性連行用)を射撃して焼いた。27日夕刻、ソ連軍300名が攻撃、埴科郷開拓団本部228名(団員17名、家族211名)は13才の少年1名が生還したほか全滅。他の6開拓団も1464名の犠牲者を出した惨事となった。<資料>により犠牲者数異なる。


    ・通化事件 (通化省)
    46/2、 中共軍は、旧日本軍人が国府軍と内通して反乱を企てたとして、多くの無関係者が逮捕、125名を射殺された。民間人多数が巻き込まれた惨事として有名。
    ・五家站来民開拓団 (吉林省扶余県、熊本)

    現地警察に武器を回収された後、警察命令による多数住民の襲撃により、全員青酸カリ自決275名。生存者は団長命令により報告者として脱出した1名のみ。

    ・ 敦化(日満パルプ)事件 (吉林省)
    工場社宅がソ連軍に占拠され、連日夫人達が暴行され、ついに30余人が青酸カリ自殺 をはかった。死にきれず助かった人は子供をいれて5名であった。

    ・国立農事試験場 (哈爾浜)
    8月16日、場長以下45名全員自決(大部分が婦人と子供、生存1歳児一人のみ)

    ・大青森郷開拓団 (黒河省遜克県、五戸・青森・尾上統合)
    8月13日、470名の一行は小興安嶺の未踏の密林を越え、大湿地帯を渡って、遠く1200キロ彼方の北安めざして南下した。道に迷い、賊に襲われ、飢えと疲労に困憊し、山中に老幼傷病者90名を残したが、迎えに行くことも適わず、さらに難行を続け、75日目にハルピンにたどり着いた(生存者176名、死者151名、生死不明143名)。

    ・瑞穂村集団自決 (北安省綏稜県、混成)
    敗戦後、原住民に襲われ、あるいは「治安維持会」から迫害され、昭和20年9月17日未明、晴着で身を飾った団員たちが本部に集合次々と自決した。総員1056名の内、 犠牲者495人の殆どが女子、子供だったという。 その後も犠牲者、苦難が続き、 21年5月ハルピンで生存が確認されたのは僅か71名(8月引揚時点、118人)であった。

    ・亜州白山郷開拓団 (龍江省・富裕県、チチハル郊外、石川県)
     自決350名、脱出60名、祖国生還30名

    ・哈達湾開拓団 (牡丹江省寧安県、秋田ー匪襲) 8月19日、 自決247名、戦死77名

    ・鳳凰開拓団 (北安省徳都県、岐阜-ソ連軍、匪襲) 8月24日、自決216名

    【興安三事件】
    ・葛根廟事件 《慰霊碑》 五百羅漢寺(東京・目黒)
    興安総省興安街の住民東部群団と索倫・五叉溝方面からの避難民2千数百名が白城子目指し南下中、昭和20年8月14日午前11時過ぎ葛根廟近くでソ連軍戦車に蹂躙され、 一方絶望した人達が子供を殺して、自決をはかり犠牲者千数百名の惨事となった。辛うじて生き残った人々も飢え、渇きにさいなまれ、原住民に襲撃されて、さらに犠牲者をだしながら荒野を彷徨した。(なお興安街西部群団1500名は無事南下できた)

    ・ 東京荏原開拓団 [興安南省・西科前旗] 《慰霊碑》朗惺寺(東京・小山)-(朝日-89・1・17)

    東京旧荏原区武蔵小山商店街の人達が国策に応えて転業、昭和18年から19年にかけて千余名が興安街西北8キロの地点に入植した。 ソ連侵攻後、現地住民に襲撃され、終戦も知らされず、8月16日白城子に向け逃避行を開始したが、暴民に襲われ、ソ連機の攻撃を受け、双明子の青麻畑で自決をはかる者相次ぎ、300余名に及んだ。脱出組200余名も暴民に銃撃され多くの死者を出し、帰国できた者はごく僅かであった。
    【各地難民収容所】
    栄養失調、発疹チフス等のため多数死亡。ここでも多くの残留婦人、残留孤児を出した。

    [方 正] (浜江省方正県伊漢通開拓団)
    収容人員(〜昭21・5) 8640名 ソ連軍拉致-460名(5.3%・男女)、 脱走1200(13.9%)、 自殺・病死2360名(27.3%) 現地民妻2300名(26.6%) 、ハルピンに出た者・脱走 1200(13.9%)、 現地残留1120名(13%) 

    [長 春]
    長春日本人会・医療・防疫=保健所8名、擁護所40名、従業員500名
    (〜昭21・3)死亡25000名、 死亡率= 4歳以下56%、 60歳以上31%

    [黒 河] (旧日本軍将兵国共内戦に巻き込まれる)
    46・4・19、 旧日本軍人(2500名)の脱出事件にからんで、黒河街の日本人200名が黒龍江河岸で中共軍に銃殺された。

    [嫩江]
    ソ連軍鉄道部隊が、婦女子数百名を零下40度の厳冬徹宵作業に狩り出し、凍死・凍傷続出、また監視兵強姦暴行。

    [難民収容所−残酷なる死]

    [哈爾浜] 収容述べ収容人員20万、死亡5千、
    [阿城] 収容9千、 死亡2千、
    [長春] 最も多い時期収容15万、 死亡3万、
    [奉天] 最も多い時期収容10万、死亡5千(乳幼児・老人は半数死亡。 越冬開拓団収容121団19.318人、死亡4.640人) 第9次張文封開拓団(栃木)収容580、死亡125。 第9次馬蓮河久多見(岐阜)収容180、死亡129。 ある開拓団子供125人、死亡124人、
    [撫順] 収容4万、死亡5千5百、
    【2015.04.12 Sunday 17:36】 author :
    | 戦争犯罪 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    スポンサーサイト
    0
      【2018.10.17 Wednesday 17:36】 author : スポンサードリンク
      | - | - | - | - | - |
      この記事に関するコメント
      ブログ村のランキングからきました。
      今日はもう寝ますが、他の記事も明日にでも読ませていただこうかと思います。
      私も近現代史のブログと解説動画を配信しているので、よろしければご覧ください。
      | you | 2015/04/23 12:34 AM |
      コメント有り難うございます。
      | 腹 | 2015/04/23 12:46 AM |
      コメントする









      この記事のトラックバックURL
      http://stomach122.jugem.jp/trackback/1825
      トラックバック