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1808:テレ東・永遠の0
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     良く出来てた。元特攻隊員に朝日批判を語らせていたのはワロタが、ほぼ史実に沿って作られていた印象。
    特攻を賛美しているわけでもないのに、何故宮崎駿さんが批判していたのか判らない。

    本を読んでいないので、向井さんが特攻志願したのを、強要だけで済ましていたのは少し疑問だが、「面貌が変わっていた」設定でナットク・・・はムリかw。

    大西中将が特攻を提唱したのは、日本に終戦の覚悟・・・講和を促すためだったとする説がある。
    戦局を挽回し、それを切っ掛けに講和に持ち込みたいと日本も考えていたが、その機会はとうとう無かったので、特別攻撃をやる国だとアメリカにも訴えたかったのかもしれない。
    日本は当時も今も、降伏・・・国家無条件降伏と軍無条件降伏の違いを理解していない。
    ルーズベルトは、枢軸国に旧来方式の軍無条件降伏で終戦という形式を認めず、侵略国には国家無条件降伏以外を認めないと宣言していた。
    日本に対するカイロ宣言でも、国家無条件降伏をだめ押ししていた。

    講和交渉をしなかった日本が悪いという主張があるが、米国が国家無条件降伏しか認めないのだから、交渉手段はなかった。
    カイロ宣言に従い、米国は本土上陸を計画し、日本も本土決戦を決意していた。
    それが何故、米国は本土上陸を諦め、ポツダム条件提示に至ったのか。

    これは無謀と言われる特攻作戦、各島嶼の玉砕戦術、グアム・サイパンなど市民の必死の抗戦自決、沖縄で日本軍と共に包丁を握って米陣地に斬り込んだおばちゃんや投降を装って手榴弾で自爆した婆ちゃん達のお陰なんだよ。
    大西中将は敗戦時、海軍軍令部の次長として、二千万人特攻を提唱し、新聞報道され、米軍もそれを知っていた。

    米軍はフィリピンのゲリラ戦で多くの市民を犠牲にしたが、ゲリラ戦が日本軍にも多くの被害を出したことを知っている。
    米軍が本土上陸を行った場合、日本が二千万人特攻戦術を実行すれば、米軍に大きな被害を与えるのは明らかであった。
    独領内の場合、市民の抵抗運動はほとんど無く、市民は蹂躙され続けたが、日本人相手ではそう簡単にいかないと判っていたのである。
    無差別爆撃で日本全土が惨憺たる状況ではあったが、左翼がいうほど抗戦意識を失っていたわけではなく、復讐心に燃えていた。
    子供の頃は、二千万人特攻が行われる前に降伏して良かったと単純に考えていたが、口先だけで本土決戦を避ける効果があったと考えれば、これも情報作戦だったかもしれないね。

    いずれにしても、ポツダム条件を提示した時点で、米国は日本に対する侵略国定義を放棄したのであるから、東京裁判の実施は降伏条件に違反しているw。
    【2015.02.17 Tuesday 00:00】 author :
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      【2019.07.19 Friday 00:00】 author : スポンサードリンク
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