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1763:戦犯裁判:中華民国管轄・上海裁判:第55号法廷/54号保長拷問致死事件
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    戦犯裁判中華民国管轄 上海裁判

     

    第55号法廷/54号保長拷問致死事件

     

    起訴理由概要:前号落下傘降下せる二名中1名は浦東三林鎮浜浦郷蒔家宅に到着、該村の保長薜は之を救うが、日本憲兵隊に発見され逮捕さる。被告等は個別に薜等5名を拷問す。その結果薜保長は2日にして死亡す。

     

    常熱憲兵分隊・久保江保治憲兵准尉・山口・農業・34歳:47/10/27判決死刑>47/3/15銃殺
    ・野間貞二憲兵軍曹・広島:47/10/27判決死刑>47/3/15銃殺
    ・片岡晃憲兵軍曹:47/10/27判決無罪
    ・大森満雄憲兵伍長:47/10/27判決無罪
    ・森下宗雄憲兵兵長:47/10/27判決無罪

     

     

    久保江保治憲兵准尉
    1月28日
    本日はてっきりやられると想ってゐた。

    「父への便り」
    10月27日死の宣告を受けて以来、今日迄獄中記千三百頁を書き上げました。その中には事件概要、公判闘争、終戦以来の出来事聞いた事、自分の感想等何でも書いてあります。その他にいろんな記録、或は書類綴等、並びに先輩、友人より来た情の便り、及び自分が先輩友人に宛てた便り恐らく数千頁を突破するでありましょう。


    1月30日「石井真一氏への便り」
    私は例へ江南の露と消ゆるとも全人類否神仏に対して恥かしいことは一つもありません。それは私が犯罪の実行者でも無ければ又責任者でも無いからであります。私が死の宣告を受けた当時は、不当な裁きをした裁判官を始め捏造せる偽証に依り私を罪に陥れた告訴人並証人等を随分怨みましたが、日が経つに従って、神の教を仏の教をひもといて、その中何時しかにくめなくなりました。只死に臨んで迷惑に思ふ事は、正当なる答弁も真相の陳述も通らなかった社会があったということです。こんな事を申すと愚痴になるかも知れませんが其処が凡夫のあさましさで、悟った様で中々悟られない所であります。

    生を諦め死を諦めるは之死刑囚の一大事因縁かも知れません。然し生を諦め死を諦める事は独り死刑囚のみに限りません。それは万人の必ず心すべき事ではないでせうか。而も生死を諦めた人こそ実に生死に囚われざる人ではないでせうか。而も此の生死に囚われざる人にして始めて不生不滅の真理をまざまざと味ふことが出来るのではないでせうか。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の辞世を残して悠々として刑場の露と化したあの吉田松陰先生こそ実に生死に囚われざる人の様です。生死を怖れざる人の様です。生死に随順しつつ、生死を超越した人の様です。不生不滅の真理を体得した人、所謂死んで生きた人です。..又愛弟子の一人品川弥二郎に贈った手紙のうちにも「生死の悟りが開けぬ様では何事も為し得ない」と言ふ事を細々と教へてゐますが、僅か三十歳の若さで国事に斃れた吉田松陰こそまさに生死を越えた人です。生死を諦めた人です。「我今国の為に死す。君恩にまかす悠々たり。天地の事鑑照神明にあり」と言った彼吉田松陰の肉体は消えました。然しその君恩の為に生きんとする尊き偉大なる精神は今日もなほ炳乎として輝いて居ります。今祖国のあらん限り必ず永久に、その精神は輝いて行くと思ひます。敗戦日本を克服する道は多々ありませう。然し私の歩む道はたった一つです。それは結局国家の為に潔く死ぬと言ふ覚悟です。どうせ一度は必ず死なねばならなぬ身体です。私は生きて死ぬよりも死んで生きたいのです。だが死んで生きたいと言っても決して死を軽んずるのではありません。徒に死を怖れないと言ふのでもありません。死すべき秋に死ぬのです。従って死を怖れぬと云ふ事は死を求めると云ふ事ではないのです。一切は皆凡て空の相です。須く私はこの空の原理を味ふ事に依って空に徹し生死を通じて不生不滅の真理を味得して不死の生命を求めつつ死んで生きるその覚悟で静かに強く生きて行く積りです。

    生があればこそ死があるのです。だから死は生に依って来る以上生だけが楽しく死だけが恐ろしいという道理はないわけです。理屈から云えば母体を出たその瞬間からもはや墓場への第一歩を踏み出してゐるのです。死ぬ事が嫌だったら生まれて来なければよいのです。しかしです、それはあく迄悟りきった世界です。

    私の気持ちから言へば、たとへ理屈はどうあろうともほんとうは生は嬉しく、死は淋しいものです。「骸骨の上を装ふて花見かな」とは云ふものの花見に化粧して行く女の姿は美しいものです。生も嬉くない死も淋しくないと云うのはみんな嘘です。生は嬉しくて死は淋しいものと思ひます。私が刑場の露と消えたと言ふ悲報が伝はるや岳父様は必ず悲しいことでしょう。それでよいのです。ほんとうにそれでよいのです。問題は私の死と言ふものに対して何時迄も囚われない事です。執着しない事です。諦める事です。前世からの因縁と観る事です。

    けだし人間味を離れて何処に宗教がありませうか。悟りました天上界には宗教の必要はないのです。血みどろになって迷ひ悩んでゐるこの獄中にこそ宗教が大切なのです。どうしても夢とは思へない諦められない人の世界こそ宗教が必要なのです。

    釈尊の「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」という言葉を引き「所詮世の中の事は凡て一期一会です。世の中は今日より外はなかりけりです
    血みどろになって迷ひ悩んでゐるこの獄中にこそ宗教が大切なのです。

    2月20日 金曜
    終戦以来2年有半此処に200余の戦犯者は囚われの身となり、国家の犠牲として鉄窓生活を続けてゐるのである。此の呻吟せる悩める200余名に対し何の心の慰安をまた物質的援助を与へたであらうか。たった一回坊さんが来てお説教をして呉れただけである。それにひきかへキリスト教の活動はどうであらうか、..自ら雲泥の差がある。日本仏教は現在の私の心境から言ふなれば正しく死者の追善供養をする一つの機関に過ぎないと言っても過言ではない。..仏教会が現世に於いて何を何したか、又何を為さんとしてゐるか机上の言論のみにして人類福祉の為には何等活動していない。

    中山牧師宛て
    煩悶と苦悩が次から次へ涌き出て参ります。之等の煩悶や苦悩の悪魔と我々は戦わねばならぬ。悪魔が勝つか、祈祷が勝つか、今や祈祷戦です。

    処刑場で書かれた遺書<絶筆>

    父上、色々とお世話になりました。厚くお礼申し上げます。さる十月二十七日に死の宣告を受け、今日ある日を覚悟してゐましたが、今日突然呼び出しを受け、刑の執行の言い渡しを受けました。之凡て天命の致す処、致し方ありません。勝てば官軍、負ければ賊軍です。正当なる答弁も、真相の陳述も通らなかった社会のあるのが甚だ残念です。終戦以来の公判闘争、及び今日迄に至りたる経緯に就いては、遺書に書いてあります。此の遺書を御覧になれば凡て明白になります。
    現在の時刻は十二時ニ十分です。では父上、母上、祖母様、兄弟妹、皆様御元気で暮して下さい。例へ江南の露と消ゆるともその霊は必ず郷里高坪山の麓へ還へるでありませう。刑場に臨みて さようなら。

    長い間色々御世話になりました。厚く御礼申し上げます。事此処迄参りました。小生の言はんとする事及び思想(考え)に就いては既に申し上げた通りです。遺書遺品に就いては、凡て大庭君に依頼しておきました。今日突然呼び出され刑の執行を言い渡されました。どうぞ御元気で暮して下さい。私は一足先にあの世で待ってゐます。今刑の言い渡しを受け煙草を一本貰い悠々と此の書を書いてゐます。周囲には軍事法廷関係者を始め、監獄関係、新聞記者、其の他見物人がニ三百名見てゐます。

    露と落す露と消えぬる我が身かな現世の事は夢の又夢
    ではお先に失礼致します。

    色々御世話になりました。厚くお礼申し上げます。今日突然呼び出しがありました。刑の執行の言い渡しを受けました。之れ天命の致す処致し方ありません。生ある者一度は滅す。之は数千年来の実相です。皆様どうぞ元気で暮して下さい。ほんとうに御世話になりました。厚く御礼申し上げます。
    海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍
    大君のへにこそ死なめ かへりみはせじ

    【2014.09.05 Friday 23:29】 author :
    | B級裁判 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2019.06.04 Tuesday 23:29】 author : スポンサードリンク
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