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1756:中国人民に対する日本軍の対応
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    戦中の日本人と現代の日本人は、微妙に感覚が違う。
    困っている外人がいたら、助けられるものならの助けたい・・この感覚は同じで、ポーランドの子供達救出も、ユダヤ人亡命支援も、窮鳥懐に入らずんば・・だが、チベット・新疆(新しく侵略した)ウイグルの状況には、戦前なら多くの日本人が、我が身を犠牲にしても救出に向かっていたろう。

    日チナ戦争でも、日本人の特性が良く表れている。
    チナ軍は弱い敵としか戦わない。チナ軍の戦果とは、多くの敵を虐殺し、女性を拉致強姦し、財物を奪うというもので、攻撃対象は中国民間人を含む。
    この戦果認識だから、日本の新聞報道「機関銃を連射するトーチカに、白刃を煌めかせ突入する若い将校、逃げる敵は斬らない。」が武勇伝になる日本と違い、同じ証拠でチナ政府の場合「人民の無防備な集落を襲い、無辜の良民を虐殺した。」と脳内変換され、鉄の証拠になる。

    上海事変でチナ軍は、独顧問団の指導を受け、日本軍と日本人を殲滅する目的で、後備を含め80万名の兵力を投入し日本を侵略攻撃した。しかし、チナ軍は反撃の少ない所から攻撃するので、無防備の中国人に多くの死者が出た。これを「日本軍がやった」と宣伝するのもチナ軍の特性である。
    その時日本軍が何をやっていたか・・・報道写真にも残されているが、中国市民の避難誘導である。
    上海戦から、チナ軍の日本兵捕虜虐殺写真が残されているが、不意打ち攻撃で多数の戦友が死傷し、拷問虐殺や日本兵の虐殺体を進軍路に並べるなど、また通州事件もあり、日本兵の報復感情は強かった。
    上海戦と追撃戦で、25万名程度の中国兵を斃し、50万名程度の中国兵が南京付近に逃亡する中で、戦闘において多数の中国兵が投降した。しかしこれを維持確保する余力が日本軍に無かった。
    だから、捕虜処分が行われた事は否定出来ない。
    但し、南京死体カウントは戦闘員の戦死数を含めており、市民・捕虜の虐殺とは言えない。
    しかし、先制侵略は中国側、日本兵捕虜の虐殺に対する復仇、戦争継続のための必要性等に関して、日本側は適切な抗弁が行われてこなかった。

    南京戦前から、中国の徴兵制の実態が日本軍にも知られていた。中国内の集落を襲撃し、略奪強姦のついでに、男子を針金で縛って強制連行し倉庫に放置した後、欧州記者のレポートでは、倉庫を開けたら、半数近くが餓死していたと書かれていた例もある。
    給料は無く、あってもピンハネで兵の忠誠心は無い、戦場が指定されると24時間以内に清野戦術対象となり、住民の財産は一部は兵士のボーナスになるので、兵には倫理観も無い。
    南京後、遣り過ぎた感があった日本軍は兵教育用冊子を配った。
    その後、捕虜が出れば、満州に出稼ぎに行くか、故郷に帰りたいか、日本軍に協力するかを捕虜に聞いた。
    故郷に帰ればまた同じ目に遭うので希望者は少なく、日本軍に協力と言っても、単に軍夫として兵隊各個の使用人として行軍するだけで無く、戦闘部隊として、師団当たり何個中隊かの、指揮官以外は中国人の日本軍中国人部隊もあった。

    黄河決壊事件は有名だが、チナ軍が日本軍の追撃を妨害するために堤防を爆破決壊させ、当時の新聞報道でも7万名以上の死者が出ているとされたが、実際は、数十万人の中国人が死亡し、100万人以上の被災者を出した。
    これを日本軍の行為と宣伝したのはチナ軍だが、この時も日本軍は小舟を集めてきて、チナ軍追撃より中国人民救出作戦を優先した。当然被災民には、日本軍糧を提供した。



    河南地方で干魃とイナゴの大発生の際は、300万人以上の餓死者が出て、1,500万人以上が全滅に瀕していた時、日本軍が食糧を放出して人民を救済した。
    中国人は、強権には逆らえない民族である。飢饉の際、過酷な税に抵抗すれば殺されるのを知っているから、我が子を煮て食べる(米人報告)。食肉として売る(欧人記者報告)。これに日本軍は同情したのである。
    この惨状に、民国政府は2億元の義援金を出したが、中国らしいピンハネで現地に届いたのは1戸100元、だが小額紙幣への両替に2割近くの手数料を取る。これがチナだ。
    日本軍の支援を受けて、中国人は物資運搬や情報提供などで日本軍を助けるようになる。
    そして、我が子を殺さなくても良くなることを知ると、農具を使って日本軍と共に民国軍を相手に戦うようになった。
    6万の日本軍が30万余の民国軍を短期間に全滅できたのは、中国人民の協力のお陰である。
    このような歴史を、チナは中国人に知らせたくない。
    日本のマスコミも日本人に知らせたくない。
    民放の番組で、終戦直後、精神障害で放浪していた日本負傷兵を保護した河南人が日本兵を助け、日本に帰国させたドラマを美談に仕立てて放送していた。
    勿論、助けた中国人はエライと思う。但し、番組内では、周囲の中国人達から残虐日本兵を救助するなという批判に抗して世話をしたという美談にしていたが、河南人で日本兵を日本鬼子と呼ぶ者はいない。開戦直後から長期間日本軍は駐屯していたが、戦後、戦犯告訴・告発は1件も無かった地方である。
    「日本軍が提供したその食糧は中国人から奪ったもの」という日本人がいる。しかし、中華民国軍や中共軍の幹部には日本の士官学校卒業生がおり、そのコネを使って中国各地から食糧を購入し、中共解放区からも購入したので、民国軍からは憎まれ、米価が高騰し中国人からは恨まれ、日本軍にメリットはなかった。
    敗戦時、復員する日本軍を、多くの河南中国人が見送りに来た。

    中国各地に駐屯した日本軍は、地域住民を大事にした。その結果、怪しい工作員の侵入や敵部隊の動静を中国人が教えてくれる。出動部隊がチナ軍に包囲され、連絡手段も無く全滅に瀕していた時、中国農民が日本軍本隊に危機を通報し、農民達が弾薬食糧の危険な搬送を申し出て、日本軍を救った例もあった。
    当時の中国人集落と言ったら、「7人の侍」の村のようなもので、匪賊だけで無く民国正規軍も山賊と同じだった。中共軍には紀律があったが、民国政府支持の村人を文字通り虐殺した。日本軍がいれば、これらを防げた。
    従って、近隣に日本軍部隊が駐屯している中国人は、初めて人間らしく暮らせ、日本軍を頼りにした。
    病人が出た。崖崩れが起きた。堤防が壊れた。・・・で日本軍は災害出動した。
    敗戦で、日本軍撤収の際は、村長以下村人が、「このまま駐屯してくれ」と頼みに来たり、個別に日本兵に「日本は敗戦で大変だ。このまま中国人になってここで暮らせ。」と申し出る者もいた。
    匪賊が中国人を襲撃し殺害略奪するので、日本軍が中国人を守って匪賊とも戦った。これを戦後、中国良民殺害の戦犯として処刑された日本兵がいる。
    しかし中には、良心的中国人が証人として現れ、「日本人が殺害したのは、確かに工作機関の人間だが、中国人を襲撃していた」と証言して処刑を免れた例がある。
    日本軍は中国全土で暴虐の限りを尽くしたというが、敗戦後、地域差はあるが、中国軍は都市警備を日本軍に委嘱命令した。
    これは日本軍の軍紀厳正を民国軍が認めていたからである。
    日本軍警備が終了すると、現地日本人はチナ人の襲撃を受けた。
    【2014.09.02 Tuesday 18:29】 author :
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      【2018.06.18 Monday 18:29】 author : スポンサードリンク
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