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1293:戦犯裁判・イギリス管轄・シンガポール裁判:第76号法廷//昭南(オートラム)陸軍刑務所虐待致死・日高事件
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    戦犯裁判イギリス管轄
    シンガポール裁判(1) シンガポール裁判(2)

     

    第76号法廷//昭南(オートラム)陸軍刑務所虐待致死・日高事件

    起訴理由概要:被告人等は昭和17年2月16日より20年までの間、オートラム・ロード軍刑務所の職員(又は善行囚)として連合軍俘虜を監視しおりたる所、戦争法規慣例に違反し、英人俘虜13名、蘭人俘虜4名、蘭一般人22名計39名を虐待の結果死に至らしめ、その他多数の英米蘭人に対し肉体的苦痛を与え、以て戦争犯罪を犯したるものなり。
    適条
    陸戦法規第46条違反

     

    南方軍法務部長・日高己雄法務少将・鹿児島・東大法卒・53歳:46/10/10判決絞首>47/4/17確認絞首:弁護岩国藤原
    第7方面軍法務部長・大塚操少将・長野:絞首>47/4/19確認絞首
    刑務所長・神谷春雄法務少佐・福島:終身>確認終身
    ・矢島光雄軍医大尉・長野:絞首>47/3/26確認絞首
    刑務所長・小林庄造法務少佐・大分・61歳:絞首>47/3/26確認絞首
    ・後藤辰次一等兵・長崎:絞首>47/3/26確認絞首・刑務所員ではなく独身であったらしい
    ・久保眞吉法務准尉・京都:終身>確認
    ・大木義夫法務准尉・京都:終身>確認
    ・山西信次法務軍曹・福井:終身>確認
    ・杉原健治軍医中尉・奈良:終身>確認10年
    ・日永田勇法務軍曹・福岡:15年>確認
    ・花輪初男法務曹長・福岡:12年>確認
    ・佐藤武男曹長・北海道:12年>確認
    ・村田久槌法務軍曹・山口:12年>確認
    ・鎌田猛軍曹・青森:12年>確認
    ・古島金一法務曹長・石川:10年>確認
    ・篠島仁三曹長・石川:10年>確認
    ・佃圭二法務軍曹・兵庫:10年>確認
    ・佐藤晃軍曹・秋田:10年>確認
    ・中村秀夫一等兵・静岡:10年>確認
    ・古閑魁法務軍曹・熊本:8年>確認
    ・大竹清孝軍曹・徳島:7年>確認
    ・小山運三郎軍曹・徳島:7年>確認
    ・蜂谷壽太郎軍曹・岡山:7年>確認
    ・奥村和男軍曹・岡山:7年>確認
    ・渡辺平吉一等兵・静岡:7年>確認
    ・門野小一郎一等兵・富山:7年>確認
    ・小林敏男法務軍曹・熊本:5年>確認
    ・下井正男軍曹・三重:5年>確認
    ・大西国隆軍曹・熊本:入院分離>起訴取消し
    ・山下篤軍曹・鹿児島:5年>確認
    ・美濃輝夫軍曹・大分:5年>確認
    ・新原秀夫軍曹・鹿児島:5年>確認
    ・森本一郎軍曹・三重:4年>確認
    ・斉藤早作一等兵・神奈川:4年>確認
    ・服部天児軍曹・兵庫:3年>確認
    ・近村壽冶一等兵・青森:3年>確認
    ・西田幸一一等兵・大阪:3年>確認
    ・菅野倉雄一等兵・福井:3年>確認
    ・山根正次法務軍曹・山口:1年>確認
    ・広瀬由雄軍曹:無罪
    ・田中藤四郎一等兵:無罪
    ・古畑正吾一等兵:無罪

     

    訴因
     「上記被告等は一九四二年二月十五日より一九四五年八月十日に至る間、オートラム刑務所に於て行われた左の如き虐待行為に関係せるものである。
     即ち戦争の法規および慣例に違反して不当に虐待蛮行を加えた結果英国人、豪州人、オランダ人、その他一般市民計四十一名を死亡に至らしめ、その他米国人、英国人、豪州人、オランダ人および一般市民多数に肉体的精神的苦痛を与えたものである。」
     日本人45名の容疑者が、この一件訴因のみで起訴・裁判されたとは思えないが、小林少佐が書き遺されている通りであれば、法務部長らは軍会議などの判決に基づいて、職責上執行命令に署名しただけで、不法行為は全く無関係である。
     また刑務所長らも、法に基づいて犯罪者を収監しており、「多数に肉体的精神的苦痛を与えた」というのは言い掛かりである。
     余談になるが、この昭南陸軍刑務所では敵兵犯罪者と共に一般市民、即ち華僑テロリストも収監され、重罪犯の処刑が行われていたが、その処刑者の総計が英軍検察の捜査で41名とされているのである。
     ところが、戦後の華僑の主張では、死刑141名・獄中死1,470名の計1,611名の華僑が殺害されたとされ、これを特亜系日本人が資金援助して出版させ、その書籍を別の特亜系日本人が引用して、史実であったかのように喧伝しているようである。
     こりゃチャンと調査して反論しなきゃダメなんだが、特亜系日本人が関わると同じ事が起きるのは、慰安婦問題と同じなんだね。
     戦勝軍の検察団は、犯罪を捏造しても日本軍民を戦犯として処刑した。
     その英軍が捜査して、昭南陸軍刑務所における殺害事件を41名と確定した戦犯判決を、日本は講和条約で受諾しているのである。
     華僑を含む殺害41名を「華僑だけで1,611名殺害」と認める事は、条約上の戦犯判決受諾義務に反するのであるから、これを訂正するなら明白な証拠に基づかなければならないが、チナ人の主張に証拠は不要である。
     そこで慰安婦問題なんだが、条約上受諾義務がある慰安婦問題・強制売淫事件は、米英蘭チナを合計しても10件に満たない。
     ところが特亜は、朝鮮だけで20万件以上の朝鮮人強制売淫事件があったと主張しているのであるw。
     証拠捏造さえ可能だった戦勝国検察団が、慰安所捜査だけでなく、女性基金資料によれば慰安婦本人や朝鮮系日本兵に尋問した上で不起訴にしているんだよwww.
     日本政府は、河野談話をサッサと破棄しろよww。
    日高少将
    遺 言
     妻宛
     拝啓 遂に此世の別れの時が来た。
    本日執行が言渡された。
    明朝九時には死出の旅に上らなければならない。
    自分は公判の時は無罪を信じ死刑を言渡されても減刑になることを疑はなかった。
    而して先月26日一緒に刑を言渡された小林所長外二名が執行せられてから未だ減刑を待ったが、遂に期待は裏切られて最後の土壇場に追ひつめられた。
    最早や天命と諦める外はない。
    減刑を確信して居たに拘らず斯る結果となっても見苦しい態度はしないから安心してくれ。
    私は従容死んで行く。
    台湾から戦地に出て来て御許との別れもせずに遂に死ぬ事は心残りがしてならぬ。
    戦地へ出発の別れが出来れば後々のこともよく話しておいたものをとしみじみ考へる。
    御許にはいつも貧乏暮しで少しよくなった時は私は台湾に旅立ち、子供のこと一切を御許まかせにし、心労のみをかけ遂に明日は此世の別れをせねばならぬことになり一向楽な目にもあはさず誠に気の毒でしかたがない,許してくれ。
    それにこれから先子供四人を抱へ如何にして暮してゆかるるや、思へば心も張り裂く思ひがする。
    世人は戦犯者の家族と蔑視するかもしれぬが私は少しもまがったことはして居ない。
    此事をよく承知してくれ。
    唯敗戦の犠牲になったのだ。
    然し私は黙々として死んで行くことが君の為、国の為と思ひ私の死も祖国再建の礎石となるものと確信して居る。
    私は名誉の戦死を遂げたものと思ってくれ。
    悲しからう、淋しからうが我慢してほがらかに子供達を育ててくれ。
    子供達の学業は続けさしてくれ。
    震作は八月ペナン刑務所に収容せられ、二月チャンギー刑務所に移されて来て居る。
    痔の手術をする為入院して居たが退院して元気で居る。
    私の嘆願には大変心配してくれペナンの神父や支那人の有力者に頼んで嘆願書を出さしてくれたりしてくれた。
    時々会ってゐる。
    震作の事件は大したことはなさそうだから其の内釈放せられることと思ってゐる。
    私の荷物は現在ジョホールバルの南方総軍の宿舎に置いてあるが震作が帰れたら持って帰って貰ふ様処置して置いた。
    運がよければ少しは持ち帰れると思って居る。
    御母上様は老先短き身の子に先立たれ嘸御愁嘆のことと思ふ。
    先立つ不孝の罪御許し下さる様御伝へしてくれ。
    今巌の方に居られるとかよく御慰めしてくれ。
    帳面二冊と遺髪と絵を送る。
    一冊は死刑を言渡された戦友の遺筆で,一冊は私の裁判のこと等書いて置いた。
    絵は死刑を言渡され減刑になった仲井と言ふ軍医に書いて貰ったのだ。
    手巾は美江子が未だ女学校に通って居た時分名前を縫ひとりしてくれた麻の手巾である。
    三月十二日付の御許達の手紙及其の前のも嬉しくなつかしく涙で読んだ。
    震作からも内地の話を聞いて安心してゐる。
    淋しいだらうが子供の為に心を強く持ち暮して行かれたい。
    願ふは御許達の幸福のみだ。
    河島伯母様、柏木様へ宜しく伝へてくれ。
    八崎、須貝、岩崎君等が見えたら呉々も宜しく。
    生前の御厚誼を感謝して居たと伝へてくれ。
    身体にくれぐれも気をつけて天寿を全ふせられんことを祈って止まぬ。 己雄
    大塚少将
    遺 言(4月15日)
    拝啓 僕等と一緒に死刑の言渡を受けた者五名の内で既に三名は通知の翌日直ちに刑が執行されました。
    日高少将と僕とは幸か不幸か取残されて(恐らく他の事件に証人に立つ関係であらう)今この手紙を書く事が出来るわけです。
    今後はそれこそ何時執行があるか判りません。
    俎上の鯉とはこの事でせう。
    内地へ帰還する人の話を聞きつつ戦犯の露と消えねばならぬ我が身、南洋その他遠征の地から復員帰郷する人々を淋しく絶望の裡に迎へ又はその話を聞く君等、其の心中如何ばかりであらう。
    併し泣かないで下さい。
    何事も運命です。
    人間は運命には勝てない。
    この戦争にはもともっと悲惨な運命にあった者が軍人の中には勿論東京、広島、長崎其他空襲を受けた土地には軍人ならざるものの中にどの位あるかわからぬ。
    最近入ってきた河村(陸軍省のときの知人)といふ前広島の師団長は原子爆弾では助かったが、今死刑になる位ならあの時爆死してしまった方がどんなによかったかと云ふて居たが、全くその通りで之が運命です。
    先日執行になった仲間の三名も他の大勢の者と共に先行者に負けない様な雄々しき言動で立派な最後でした。
    僕も先行の昇天者に敗けない立派な最後を為し得るから安心して下さい。
    今迄に充分の修養と覚悟が出来て居ます。
    徒に生きのびて床上に朽ち果つるを待つよりも死すべき時に死するが男子の本懐です。
    今こそ祖国の為の死機です。
    而もハンドルを廻せば一秒か二秒で昇天できる絞首の楽往生です。
    内地では非常の苦みをしてゐるのに毎日々々好きな碁や読書に長い月日を過した後にです。
    ゆく僕は本懐であり而も考へ方に依れば仕合せであるかも知れぬが後に残される者のことを考へれば唯胸迫るのみです。
    殊に国情、社会情勢に於ての生活の如何に苦しいものであるか、特に四人の子供を一人前に仕上げるといふ大仕事を残されて居るその心労、艱難が思ひやられます。
    併し前述の如くこの国難の下に於て斯の如き運命の下に立たされる人は独り君のみでなく沢山の人があるでせう。
    どうか気を強く持ち、勇気を出して万難と戦ひ、子供を立派な国民として育て上げて下さい。
    職業などは社会の不為になること以外は何でもよいでせう。
    今は物が前の何十倍にもなって居る悪性インフレの経済状況下に於ては少し位の貯金も焼石に水でせう。
    あの光り輝いて居た日本が今日の如き悲惨な状態になってしまったのです。
    昔を思はず昔の一切を忘れ身体だけもらって生れて来た、何も持ってゐない人間に立ちかへったと思ふて今後の生活の方途を定めて進んで下さい。
    要するに昔のことにこだわらず広く自由に四囲の情況に適したやうに生活することです。
    よいと思ふたら何でもよい。
    僕はこの点に付全く注文がありません。
    呉々も身体を大切にして子供の育成を頼みます。みんなの幸福を祈りに祈る。
         四月十五日  操
    大東亜建設の大理想も一場の夢と化するのみか,光輝ある三千年の歴史を有する帝国を今日の如き悲惨極まる状態にしてしまって、今更其責任を誰に問ふべくも無いが、吾々国民としては日本を立派に築き上げた先輩祖先に対し申訳無く又悲境のままこの国家社会を受け継がねばならぬ青少年諸君に対しても誠に済まない気がする。
    之から建設せらるる日本は真の民主の而も今迄と全く異り武力に依らざる所謂平和の文化日本でなければならぬが之が大変な仕事である。
    之がうまく行けば真の日本の姿が顕現されて軍閥、官僚、財閥等に依り誤まられた前の日本帝国の時よりも真の国民の幸福がもたらさるるかも知れぬが、うまく行かなければ憐れな日本国が出来るかも知れない。
    其の如何は全く今後の人、所謂今の青、壮年の人の双肩にあると思ふ。
    愈々君等とも永久にお別れすることになりました。
    僕としてはどうせ国に捧げた命だ。
    何惜しかろう、僕等の命がどうしても連合国側、殊に英国に必要なる事情があるなら僕等が犠牲になることは何かの方面に於て今後日本の為になるのであるから今こそ死すべき時機である、死期を得たる死こそ男子の本懐である,斯う思ふのです。
    今迄先行した犠牲者も何れも裁判には承服しないが唯君国の為にといふ精神で皆立派にいさぎよく刑情の露と消えて居ます。
    全く神そのものの如き崇き姿でした。
    僕ももはや此等に負けぬ立派な最後を為し得る確信があります。
    斯の如く今往く僕は楽往生而も男子の本懐であるが後に残される君等や殊に母は大変である。
    其れを思ふと胸迫る。
    母はこの国情、生活苦境に於て君等四人の子供を一人前に育て上げねばならぬ。
    其の困苦艱難、心配は大変であらう。
    だから君等四人は兄弟姉妹仲良くお互に助け合ひ勉学に励み、仕事に精を出し、母を助け、母に心配をかけたり、世話をやかせたりせぬ様に心掛けねばならぬ。
    此の国家の苦境国民の苦難より切り抜いて行くには勇気が大事である。
    唯勇往邁進である。
    今君等が僕を失ふともどうか気を落すことなく此の報復は自分等が立派な国民となり立派な日本を再建することであると決心し奮励努力して下さい。・・・
    小林少佐
    遺 言
    私は如何に考へても死刑に処せらるべき理由を発見することが出来ない。
    刑務所は法規以外虐待等の行為を行って居らぬからである。
    刑務所の方針として囚人を殴打する如き事をせば囚人は益々精神が「ひねくれ」て決して感化遷善の実が挙らないからである。
    然るに虐待をしたと云ふことで、日高、大塚両閣下の如く刑の執行指揮以外に刑務所に対し命令権のなき人を死刑に処す如き、亦多数の部下を処刑したる如き、其の比は他部隊には絶無である。
    何故刑務所に対し特に苛酷であるのか、それは軍法会議で死刑の判決をした俘虜を死刑に処したからである。
    之は総て公判と云ふ美名の下に全くの報復手段であると考へるより他に考へ様がないから私は従容として死んで行く気持にはなれない。
    殊に私の外四名の人には全く何と申してよいか、私は此の方々に対し慰めの言葉はない。
    後藤の如きはまだ独身で家庭を持ったこともない。
    実に同情に堪へない。
    而して職員でないから一層気の毒でならない。
    従容として死んで行く気持にはなれないが死なねばならぬ。
    然し死に対する恐怖は三十五年間の長き間教誨師より指導を受けた私としては又家族よりの通信で思ひ残すことは更に無いが然し死の決定までは落付けない心で失敗であった。
    人間である以上は致し方がない。
    死の決定が来て見れば左程でもない。
    俎の上の鯉の様な気持となった。
    祖国再建の速かならんことを思念して死んで行きます。
      身はたとえ南の土と化するとも皇御国を護り通さむ
     小林少佐は、同房死刑囚の手記にも出てくるが、温厚な老紳士というタイプであり、刑務所運営については長年の経験により実務家として定評があった方のようである。
     戦争末期の食糧窮乏時には、収監者のために付近に菜園を設け、自らも生産に従事したという。
    小林少佐に対する英兵の虐待
     朝食前に、全裸で現地人受刑者らの前に晒され、両手に煉瓦を持たされ左右水平に支えるなど強制されるなど、虐待により昏倒する事も度々だったという。
     夜には、全裸で鉄の階段を腹這いに昇降させ水を浴びせたり、睡眠中に夜襲をかけ殴打、房内に水撒きなどして寝かせないなどの虐待を長期間継続され、自決を考えるのだが、「部下への虐待の身代わりなら」と耐えていたが遂に立ち上がれなくなり入院。
     さすがの英軍も、以後少佐への虐待はマシになったという。 
    【2013.01.23 Wednesday 01:12】 author :
    | B級裁判 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2017.08.23 Wednesday 01:12】 author : スポンサードリンク
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