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1292:イギリス管轄/シンガポール裁判/泰緬鉄道建設俘虜70名虐待致死事件
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    戦犯裁判イギリス管轄


    第1号法廷/泰緬鉄道建設俘虜70名虐待致死事件
    1946/1/21〜2/1
     パラオ特設勤務中隊中隊長・後澤定一大尉:12年
     小隊長・弘田栄治中尉・和歌山・箕島商卒・28歳:1947/1/21絞首刑
     6名:有期2〜12年
     無罪2名

     インド人俘虜を指揮して・・・と言われているが、事実は一般的英軍俘虜じゃないかと思うが、泰緬鉄道建設に従事していた鉄道第9連隊配属当時の事件、3ヶ月で70名ほどの使役俘虜が死亡した責任を問われたものである。

     物資窮乏状況で、伝染病多発地域に鉄路を敷くのは、日本兵にとっても過酷であり、俘虜だからといって虐待した・・・という訳ではなかったが、戦犯扱いは止むを得ないだろう。
     但し、ビルマ派遣軍への輸送確保は戦略目標だったのだから、現場の尉官が責任を負わされる事件ではない。


    弘田栄治さんの略歴
     大正八年七月十九日、和歌山県有田市生まれ。箕島商業学校を卒業後、国鉄に入り、紀勢線・湯浅駅に勤務。
     昭和十五年三月、現役兵として鉄道第一一連隊に入営。幹部候補生の試験を受け、見習士官当時の十六年九月、鉄九に転属。十月、大阪を出港。途中、少尉となり、開戦直後のマレー、シンガポール攻略作戦などに参加。
     一時、ビルマの鉄道整備任務についたあと、十七年七月、バンコクに戻り、泰緬鉄道建設に従事。翌十八年十月、タイとビルマの南部の境界でマレー半島のうち最も細い部分にあたるクラ地峡横断鉄道の建設現場に移り、さらに、翌年四月にはインドネシアのスマトラ横断鉄道建設に従事、第四大隊の副官となり、そのまま敗戦。

     戦犯逮捕後の死刑囚棟(Pホール)で素人落語を披露し、戦友らを和ませたという。
     親しくなった死刑囚・阿部中尉から、内地で人気の落語家・柳家金語楼の名をもじって「金語楼とはいえないな。銀も無理。まぁ、鉛くらいかな」とつけられた愛称が「鉛(えん)ちゃん」だったそうである。
     昭和22年1月21日「シンガポール・チヤンギー」において刑死、28歳。


    弘田小隊員・酒井次郎さん
     ヒントクは標高200余メートルの硬い岩盤と深いジャングルが続く渓谷部で下にケオノイ河が流れる難所であった。
     弘田小隊は昭和18年4月、172キロ地点・キンサイヨークからヒントクに転進し、3ヶ月で3つの岩山に鉄路を敷かなければならなかった。
     5月に入って2つ目の岩山に入り「この頃、小隊の兵力は連隊本部や大隊本部への派遣、或いはマラリヤ、デング熱等のため働ける兵力は四分の一にまで減っていたのです」「俘虜は最初は少なかったのですが、そのうち、常時百六十人位来るようになったのです。俘虜の隊長は准尉でしたが、仲々よくやってくれました。削岩は二人一組で四十組としあと八十人は爆破後の岩の片付けに従事させたのです」「(ダイナマイトを埋め込む)削岩の場合、一組に短いノミと長いノミ併せて最低三丁位は必要なのですが、それがどうしても足りません。一日、二日と目立って作業能率が低下するのです。私達の焦りは大変なものでした」

     当初1m20cmの深さの削岩を、爆破効率を上げるために10cm深くしようとした時、俘虜からクレームが出た。
     俘虜側の主張は「日本軍は1日3食だが、俘虜たちは2食だ。これでは作業ができない」というものだったが、俘虜収容所管轄の給食であり弘田小隊で改善出来る食料需給状況ではなかった。
     それ以後、弘田少尉(当時)は、自身の食事を2食に減食したという。
     「私達は小隊長の体力を心配して、止めるよう進言したのですが、遂に聞き入れてはくれませんでした。小隊長には夜間の現場見回りもあり、2食としたことはかなりの忍耐を要したことです」「そのような中でも、小隊長は俘虜に煙草をやったりして可愛がっておりました」
     3つ目の岩山の削岩が難航していた6月23日、大隊本部の将校会議から現場に戻った弘田少尉が小隊員を整列させ「お前たち、このヒントクの作業で全員死んでくれ」と告げたという。
     鉄道連隊のどの部隊も、ビルマ戦線維持のため死を賭して建設に従事していたようである。


    弘田少尉の当番兵・山川英雄さん
     名にし負う難関だけに遅々として進行しない時には私のような当番兵にも「泰緬鉄道の建設の中で最も困難な箇所だが、『弘田どうか頼むぞ』と大隊長に言われた以上はなぁ。山川どう思う」と頬に焦燥感を浮かべながらその苦衷を訴えるのであった。
    「作業の進み具合のはかばかしくない機嫌の悪い時は、口から八重歯をのぞかせて食べ物から着るものまで文句をつけて私を困惑させるので、私も癪に障って「余り気がよいから、いや余り張り切るから困難な箇所ばかり引き受けることになり、若い将校は損だよ」と思ったこともあった。
     しかし彼が毎日の作業を終えてぐたぐたと綿のように疲れて帰り、軍服も汗と泥でどろどろにまみれて帰舎してくる姿を見ると、この作業の完成に身命を投げ出して苦闘している、その真剣昧が窺われ、かりそめにも彼を批判した自分を恥ずかしいと思った・・・
    【2013.01.21 Monday 18:28】 author :
    | B級裁判 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2017.08.23 Wednesday 18:28】 author : スポンサードリンク
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      この記事に関するコメント
      弘田さんはシンガポールのイギリス法廷ではなくオーストラリア法廷だと思います。使ったのは主にオーストラリア人です。
      | やまもと | 2013/06/25 7:01 AM |
       コメ、有り難うございます。

       シンガポール裁判は、英印軍・豪軍により管轄されていますが、豪軍の1号法廷は「タイ人5名殺害事件』の小谷少佐、英印軍の1号法廷は弘田中尉で間違いないようです。
      | 腹 | 2013/06/25 3:31 PM |
      今日は、泰緬鉄道開通の日だそうです。こういう方がいらしたのですね。興味深く読ませていただきました。
      | asianet | 2016/10/25 11:00 AM |
      コメ、有り難うございます。

       私を含めて、多くの日本人は「日本軍は残虐だった。」と思い込んできましたが、イロイロ調べてみるとウソや誇張のホラ話が多いようですw。
      | 腹 | 2016/10/25 1:09 PM |
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