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1183:フィリピン管轄:マニラ・モンテルンパ裁判:セブ州メデリン島比人虐殺事件
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    戦犯裁判フィリピン管轄:マニラ・モンテルンパ裁判

    第15号法廷/セブ州メデリンパングワン部落略奪放火殺害・中村事件(8号より転番)

     

    起訴理由概要:

    1、被告人等は、昭和19年10月セブ州メデリンパングワン部落部落において市民ヘレラ及びその家族等の財産を強奪掠奪する事を許容並びに参加せり。除神内
    2、神内を除く被告等は19年10月同地において市民マヌエルシー外十数名拷問殺害放火するを許容参加せり。
    3、安部斉藤小野は19年11月同地砂糖工場において市民2名殺害を許容せり。
    4、中村三木安部鈴木陣内斉藤小野衛藤尹東は19年9月〜10月同地において3名の婦人を強姦する事を許容参加せり。
    5、安部は17年10月同地において、ゼヨセツイナデルリオ外3名の比スペイン人を殺害する事を許容参加せり。
    6、被告人全員は19年10月同地においてカルメンヤップを輪姦せることを許容参加せり。
    7、中村金田は19年10月月同地においてカルメンヤップを強姦せることを許容参加せり。
    8、安部関森斉藤金田小野志賀は19年7月及び10月同地において多数の市民を拷問虐待殴打する事を許容参加せり。
    9、陣内は17年10月同州ルヤ部落において市民2名の殺害を許容参加せり。
    10、安部志賀は19年8月ノデリンボゴ砂糖工場において市民マルソスコーソンの殺害を許容参加せり。
    11、安部金田志賀は19年9月同地においてニコラスリベラを殺害する事を命令許容参加せり。
    12、安部金田は同月同地に於いて市民バリン殺害を許容参加せり。
    13、関森金田は19年10月バリンダリンに於いて氏名不詳の比人を強姦せり。
    14、陣内は19年10月ホアゲ部落においてアガラドカブレラの拷問虐待を許容参加せり。
    15、陣内は同月同地でエルデホンフカブレラ外3名の所有物たる宝石衣類銀製品芸術品等多数を掠奪強奪窃盗する事を許容参加せり。


    1,下記の者及び氏名不詳の他の者たちは、昭和十九年一〇月、比島Cebu州Medellen のPanugnawan地区附近において不正かつ不法に非武装の非戦闘員たる比島市民■■■及び■■各家に属する不動産、個人財産、動産、製品、商品を焼却し、不正に利得し、略奪し、破壊することを許容し、かつ参加した。
    2,下記の者は、昭和十九年一〇月、前記Panugnawan地区附近において、不正かつ不法に、いずれも非武装の非戦闘員たる比島及び中国市民■■■■、■■■■等二六名の拷問、殺害、及び、未遂に終った■■■■の殺害を許容し、かつこれに参加した。
    3,■■■■、■■■■、■■■■は、昭和一九年一一月、前記Medellin-Bogo砂糖中央市場附近において、不正かつ不法に二名の非武装の非戦闘員たる比島市民を銃剣により殺害することを許容し、かつ、これに参加した。
    4,■■■■、■■■■、■■■■、■■■■、■■■■、■■■■、■■■■は、昭和一九年九月
    及び一〇月中、前記の砂糖中央市場附近において、不正かつ不法に比島市民■■■■及び■■■■を反復強姦することを許容し、かつこれに参加した。
    5,■■■■は、昭和一九年一〇月、前記の砂糖中央市場において、不正かつ不法に比島市民■■■■、■■■■及び二名の氏名不詳の女性及び二名の氏名不詳の非武装の非戦闘員たるスペイン人の殺害を強要し、かつこれに参加した。
    6,下記の者は、昭和一九年一〇月前記の砂糖中央市場附近において、不正かつ不法に比島市民■■■■及び■■■■を反復強姦することを許容し、かつこれに参加した。
    7,■■■■及び■■■■は、昭和一九年一〇月、前記砂糖中央市場附近において、不正かつ不法に比島市民■■■■を性交の目的で脅迫し、監禁し、強姦することを許容し、かつ、これに参加した。8,■■■■、■■■■、■■■■、■■■■、■■■■、■■■■は、昭和一九年九月及び一〇月前記の砂糖中央市場附近において、いずれも非武装の非戦闘員たる多数の比島市民を柔道を用い彼等の体を投げ飛ばして拷問し、殴打し、虐待することを許容し、かつ、これに参加した。
    9,■■■■は、昭和一九年一〇月Cebu州Luya地区附近において、不正かつ不法に、非武装の非戦闘員たる比島市民■■■■及び■■■■を刺突を以て殺害することを許容し、かつ、これに参加した。
    10,■■■■及び■■■■は、昭和一九年八月中前記の砂糖中央市場附近において、非武装の非戦闘員たる比島市民■■■■を背後から射撃することにより、殺害することを命令し、かつ、これに参加した。
    11,■■■■、■■■■、■■■■は、昭和一九年九月、前記の砂糖中央市場
    附近において、不正かつ不法に非武装の非戦闘員たる比島市民■■■■、■■■■を射撃及び刺突により殺害することを命令し、許容し、かつこれに参加した。
    12,■■■■及び■■■■は、昭和一九年九月前記の砂糖中央市場附近において、非武装の非戦闘員たる比島市民■■■■(名不詳)なる者を刺突により殺害することを許容し、かつ、これに参加した。
    13,■■■■及び■■■■は、Cebu州BogoのMalingin地区において、不正かつ不法に
    氏名不詳の比島市民を強姦した。
    14,■■■■は、昭和一九年一〇月前記BogoのBoac地区附近において、不正かつ不法に非武装の非戦闘員たる比島市民■■■■を殴打及び足蹴により拷問し虐待することを許容し、かつ、これに参加した。
    15,■■■■は、昭和一九年一〇月前記Boac地区において、■■■■、■■■■の財産、宝石、衣類、銀製品その他高価な財物を不正に獲得し、略奪し、窃取することを許容し、かつ、これに参加した。


    三五軍司 大尉 山口 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首 
    一〇二師司獣 獣医・中尉 北海道 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    独歩一七三大 中尉 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    海軍二〇一航海軍・主・中尉 栃木 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    独歩一七三大 少尉 佐賀 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    歩七七 曹長 長崎 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    独歩一七三大 曹長 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    セブ憲分 曹長 長野 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    独歩一七三大
    伍長 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    伍長 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    伍長 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    上等兵 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首
    兵長 大分 ■■■■ 1948/05/27 絞首 絞首

     

    35軍司令部・中村秀一大尉・山口県吉敷郡・51歳:昭和22年10月24日・開廷>昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19日執行
    海軍201航空隊本部・鈴木光忠海軍主計中尉・栃木那須郡・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    パナイ島102師団・三木岩獣医中尉・北海道雨竜郡・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    ミンダナオ島歩兵第77連隊・上田(上野)勝四郎曹長・長崎北高来郡・32歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    セブ憲兵分隊・関森儀道憲兵曹長・長野東筑摩郡・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    独歩173大隊メデリン警備隊・阿部末雄中尉・大分速見郡・45歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19日執行
    ・陣内起也少尉・長崎・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    ・衛藤利武軍曹・大分大分郡玖珠農学校卒・農業・37歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月20日執行
    ・金田貞雄軍曹・大分佐伯・農業・34歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月20日執行
    ・小野安夫伍長・小倉・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    ・斉藤助伍長・大分国東郡・32歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    ・伊藤益男兵長・大分大野郡・34歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行
    ・志賀不二夫(富士男)上等兵・大分直入郡・35歳:昭和23年5月27日・判決絞首刑>昭和26年1月19.20日執行

     

    一般解説:
    1、中村鈴木三木上野は21年1月レイテの俘虜収容所に於ける首実検の際検事側証人予定者たる比人男女郭1名によりでたらめに指摘されたのが重大な決定的原因となった。
    2、当時レイテ作戦のために同地に輸送される船団は途中その大部が撃沈され漂流兵員が続々とセブ島のメデリンに上陸した。これらの兵は付近の徴発を始めたため、住民は海岸にたどり着く日本兵を悉く殺害を始めた。安部中尉は隷下1個小隊では治安の維持が出来なくなり、セブの大隊本部から1個中隊が派遣隊として同地に来た。そしてこれらゲリラ討伐を行なったものが事件の起きた原因である。
    3、しかし裁判は全くのでたらめで、比島国民裁判で反逆罪に問われていた男が、自分の保身上検事側の証人として出廷し、事件を誇張し或いは関係なき人々まで罪人貶めてしまった。
    4、審理終了時、この証人はその証言が全く検事に強迫されて作られた偽証である事を申し立てたが、無駄であった。
    5、本事件には全く無関係の次の6名がある。
    中村・セブ島セブ市在第35軍司令部付
    三木・パナイ島イロイロ市在102師団
    鈴木・セブ市在201海軍航空隊本部附
    関森・セブ市在憲兵分隊附き
    衛藤・セブ市在大西重砲隊本部
    上野・ミンダナオ島駐屯部隊


    詳細解説:
    訴因は、婦女子を含むメデリン島民虐殺略奪強姦事件であるが、メデリン警備隊員以外の7名のうち6名はミンダナオ島・パナイ島・セブ島勤務であり、残りの1名も事件当時メデリン島にはいなかった。

    また犯行の主体となった筈のメデリン警備隊長の遺書を読めば、事件自体が存在していなかった可能性が高い。

    容疑者の選別は、比女性が拘留所で指名したようであるが、警備隊員らは写真指名が主体だったようである。

    検察側法廷証人は、他法廷と同様に偽証ばかりで反証は認められず、途中で日本人弁護士が帰国してしまうなどのほか、80億ドル賠償問題に関する対日脅迫のためには、本法廷絞首刑は避けられなかったのだろう。


    本人写真の確認指名だけで戦犯起訴し、捜査・尋問もなしに検察側証人の証言を唯一の証拠として死刑を判決した例は多い。

    「復讐裁判」を否定しても、法廷記録が公開されれば、被告らの無実・冤罪主張が事実であったと確認出来るであろう。

    「日本軍の残虐無道振りとして世界に公表せんと全力を挙げて居るのが、又裁判と云ふ文明的美名の蔭に一人でも多くいためつけてやろうと云ふ如何にも弱小国家らしい復讐的殺人が、比島国の所謂戦争裁判の実相」であったと言う事である。

     

     

    安部中尉

    裁きの真相

    皆様は戦争犯罪殊に何百何千名に対する虐殺、暴行、拷問云々等報道されると直ちに日本の神聖な裁判を連想し戦犯で処刑される者は血も涙もない鬼畜の様な人間と想像される事と思ひますが、現在比島で行われている戦争裁判は決して厳正でも公平でもありません。

    裁判は犯罪者を作る為に凡ゆる手段方法を用ひて犯行を押付けるかにその専門家が如何に汲々とし、日本人でありさえすれば又こぢつけながらも名目さへ立てば甲乙を論ぜず誰でもいい、犯罪者なりと烙印を押し人類の反逆者とするばかりでなく、以って日本軍の残虐無道振りとして世界に公表せんと全力を挙げて居るのが、又裁判と云ふ文明的美名の蔭に一人でも多くいためつけてやろうと云ふ如何にも弱小国家らしい復讐的殺人が、比島国の所謂戦争裁判の実相であります。

    之を要約致しますと、
    1、裁判に於ける不公正、A検事側証人が悉く偽証したがこれを偽証なりとする反証があるにも拘らずこれを受理して呉れなかったこと。B検事は明らかに証人を教育してゐること。(日本人弁護人から比島人弁護士に移るとき検事は「中村ケースは最後まで日本人弁護士が出ると思ってゐたが比島人弁護士がやるなら証人に教へ込むのではなかった」と明らかに言った)
    2、比島人は元来ウソを云ふ特質を有していること。
    3、日本軍の協力者が社会的迫害を受けて自己の立場を守る為に偽証せざるを得なかったこと。
    4、写真に依るアイデンテイファイが主であって而もその後訊問も調査もなく起訴したこと。

    此等の理由で私達は極刑になったと云へます。即ち誰でもかまわない日本人でありさへすれば.......目星を付けられたが最後、その人をわけなく絞首刑にすることが出来るのです。云はば合法的殺人を行ふことを目的とした復讐裁判と一言で云ふことが出来ませう。

     

    伝言

    部下の遺族の方々へ?

    皆様の最も大切な御主人並御子息をお預りしてゐた元陸軍中尉安部末男であります。
    今回計らずも日本人として最も不名誉な戦争犯罪の責を問われ、隊長としてその生命さへ救ひ得なかったことを心から残念に存じます。
    裁判に於いては私の全力を尽したのでありますが私の微力は如何とも為し得ず、最悪の結果を来しました。
    比島上陸以来、討伐戦に勤務に他の模範兵としての殊勲者を戦犯と云ふ汚名の下に鬼籍に入らしめるかと思ふと本人への不憫さは元より御一統様の御愁傷を推察申上げ只々腸を断たれる思いが致します。

    然し乍らたとへ屍は比島の地にさらすとも私共の立場なり潔白は何時の日か必ず日本国民の全部に解って頂ける時と私共の死が決して無意義でなかったことの判明する日の来ることだけは固く信じて居ります。
    私共は戦争犯罪者として死刑の宣告を受けましたが全く事件に関係して居らず総てが無実の冤罪であることを当時の隊長として神明に誓ひ重ねて申上げます。

    では御一統様の再建日本に於ける御奮闘と御繁栄を祈りつつ御詫びの言葉に代へさせて頂きます。

    1948年8月 於比島マニラ
    元セブ州メデリン警備隊長
    安 部 末 男

    金田 貞夫
    小野 安夫
    斉藤 助
    伊東 益夫
    志賀不二夫
    以上五名の家族へそれぞれ伝言願ひ度し。

     


    金田曹長

    最後の言葉(刑場へ向ふ車上で加賀尾教誨師に)

    心は晴れてゐます。おばあさんや兄弟へ永い間色々お世話になりました。2年の間に心もできました。安心して下さい。子供のことについて、どうか人並の着物を着せてくれるよう。兄弟相助け合ふよう。

    このままに比島の土に消ゆるとも
    無実の罪のいつか晴れなん

    先生と肩を並べて笑って行けるのが嬉しいです。どうか私の死顔をよく見てやって下さい。

    水のごと澄める心を誰知るや
    我れ刑台に笑みてのぼらん


    本法廷と第14号・三原軍曹、計14名の絞首刑後、特赦により拘留されていた戦犯108名全員が釈放され復員した。
    これは、加賀尾教誨師・渡辺はま子さん・復員局の植木事務官らの、身を捨てた努力によるところが大きい・・素晴らしい人達が奇跡を起こしたのだろう。

     

    衛藤利武曹長は46年に復員し農業に従事していたが、MPに逮捕され、妊娠中の妻を残しフィリピンに送致され写真指名戦犯となるが、メデリンで勤務した事実は無い。
    加賀尾教誨師に依頼した伝言『(刑場への道で加賀尾教誨師に)観音様と共に写真が箱の中にあります。
    尚お金が雑嚢の中の袴下の股の所へ袋を縫い、十比あり、四角のボール箱の中の丸い手紙の中に五比二枚、計二十比あります。日記ノート類と共に家庭に送って下さい。
    子供に父の心を心として、如何なる苦しみに会ふとも父のことを思ひ、立派にやれと伝へて下さい。
    昨年亡くなった父の許へ行く晴々した心境であります。市瀬、桑原さんによろしく伝へて下さい。』
    戦後生まれのご子息は「父の死が、私の人生に暗い影を落としたことはありません。むしろ、父のあの遺言のおかげで私は強く生きることができました。」と述べている。


    鈴木光忠海軍主計大尉のご子息について、復員局植木事務官の証言

    「全員釈放の特報が入るや否や、復員局に電話が殺到しました。その中で一番印象に残っているは、鈴木さんという方からものでしたね。この人のお父さんは、例の死刑因14名の一人でした。晴れの日を迎えることの出来なかった犠牲者ですよ。身構える私に息子さんはこう言ったのです。『今までフィリッピンを、そしてキリノ大統領を憎んでいました。でも、今日のニュースを聞いて憎しみが消え去りました。父の死はムダではなかった。父たちの死が全員釈放に貢献したことを知ったからです。これからは心を入れ替えて、自分も日比親善に尽くすつもりです』その言葉を聞いたときは泣けましたねぇ。……。本当に泣けました…」


    関森儀道憲兵准尉:長野東筑摩郡・33歳:絞首刑1951/1/20


    日 誌

    1月1日
    天は新春を祝するかの如く此所常夏の国の空は一片の雲もない誠に元旦にふさはしい朝ではある。死刑囚として迎へた三度の正月感慨浅からざるものあるを覚ゆ。幸にして元旦早々マニラタイムス紙の報ずる所に依ると連合国最高司令官マ元帥は其の日本国民に告ぐと題する年頭書簡に於て今年こそは講和条約締結の年と述べあるとか、彼の言をかりる迄もなく今年こそ一日も早く該条約を調印すべきである。私達は元より日本国民の一人一人が心から待ち望んで居るものである。私は世界の人々と共に私の祖国の人々も又今年こそ戦後最良の年であることを衷心より願ってやまない。此の朝東天ほのかに白む時一人鉄窓にたたずみて遥か故国の空に向って肉親,親類,知友一人一人の平安を祈る。

    本日の聖句 使徒行伝4ノ8?12
    ‘ 耐え忍ぶ者は救はるべし ’マタイ24?13
    山桜 2005-06-06 07:41:19 No.170212

    1月2日
    「恐怖は本来が思想の敵なのである。人が恐怖の余り理解を失ふ時、彼等は必ず恐怖の対象を弾圧しようとする。なぜなら足を留めて検討する勇気がないからだ。慣れたしきたりに情熱を傾けて縋りつき、これに対する挑戦は冒涜だと主張する。かかる雰囲気では理性の声に耳をかさぬばかりか、理性を求めて模索する声にさへ反応を示さない。自分の声以外は一切危険思想なのである。彼等は人民の心性は健全であると確信し危険なのは扇動者や智識人が惑はすからだと考へる。つまり彼等は扇動者や智識人が人民の意識の奥底にある琴線にふれる力を持たないでは耳を傾けさせる事が出来ないと言ふ事を考へてみもしないのである。」

    是は展望十二月号季節風なる欄にありし高桑純夫の「怒り得る日本人」と題する短評の中に利用されていたラスキ教授の言だ。此の言を引用して彼は更に大要次の如き文を綴っている。曰く「非合理と不正とに対する怒こそ最も強い...。よく人は勇気と云ふ徳を高く評価するが勇気の源泉が実は怒にあることを知らうとしない....。自己の生きる環境が如何に不和であり不正であり不合理であるかを見るならばそういふ中に呻吟する自己と友人との運命に先ず憤激するのが当然ではないか。論理も対策も其の後に随ふ...」と。

    以上は該短評中の抜粋であり、その全文中には肯定し得ざる箇所もあるも此処に摘記せるは概ね参考とするに足ると思料せるを以てペンを執りしが私も亦思ふ、本当の怒りを怒り得なくてはならないと。協調大いに可である。然し我々は不正、不合理、悪に対しては断じて妥協あってはならぬ。

    本日の聖句
    ‘愛は限りなく残らん....’ コリント前13ノ13

    1月3日

    新春三日も快晴の中に暮れた。許されて運動中に眺むる青空は限りなく高く清く澄む。ああ神の御手の業なる此の大空に栄光は輝く。白き灰色の壁と対峙する独房生活にも斯く恵まれたる一時はある。夕食時日曜協会よりクリスマスプレゼントとして戴いた金の一部を以て作られたシルコに舌鼓を打つ。我等が日本人として特に戦犯と言ふ罪名の元に送った今日迄の間に於て一般比島人の我々に対する憎悪は極めて熾烈なものであったし今も尚そうだ。斯る状況下に於てキリストイエスの名に於て凡有憎悪を超えて愛と慰めとの手を差しのべ来たのは教会関係者である。私は自分が戦犯として起訴され死刑の宣告を受けてからキリスト教国と云はれていた比島人たちが神聖なる法廷に於て堂々と偽証するに及んで所謂キリスト教国と言ふものに,更にキリスト教そのものに対してさへ疑ひの目を向ける様になった。そういふ一時があった事を私は否定しない。然し其の後に後で既述したる如くキリスト教会、YMCAキリスト教関係各学校等に依って我々に対して為された事は私の認識を更めさせてくれた。所謂基督教国といふものと真のキリスト者とは全く別なものであると云ふことを発見した。

    本日の聖句
    ‘これは律法なり予言者なり’ マタイ伝 7の12

    1月4日
    元旦に於けるマ元帥の声明及これに対して吉田首相の談話等、新年早々より祖国日本の歩みの上に極めて重大なる事象の包蔵せられあるを思はしむる。殊にその再軍備問題に関しては日本国民たるもの其の一人一人が慎重に熟慮し過誤なきを期さねばならぬ。私も又国民の一人として再軍備と言ふ問題についてはもっともっと真剣になって考えねばいけないと思ひながら今日迄具体的に夫れに関して自分の意志を決定しなかった。其の理由を分析して見ると機会主義的な便乗主義的なものが多分にあった事は否定出来ない。斯る心情愚劣なるを省みて苦しく思ふ。それで私は昭和21年11月に公布された新憲法を更めて見直すとしよう。

    それは自国の軍国主義を徹底的に否定すると共に他国の軍国主義的侵略に対する拒絶と国際社会の公正と信義とが断じて斯る侵略を許さず此れに対して保障を与へられる事を疑はぬと言ふ信頼の表示をしてゐる。斯ることはよし降伏国であっても実に大胆を極めた決意であり決行である。此れに対してマ元帥は「世界各国も之にならうべきだ」とさへ賛嘆している。我々は飽迄も此の憲法の明示する処に向って進むべきであり、再軍備等に関心を与へるべきではない。武力によって立つ者は武力に依って倒さると言ふ古語さへある。日本国民が武力によって戦前迄の強大を来したと言ふ事実は往々にして過去の成果の回復を願はしむる傾きさえ見られる事は誠に遺憾である。もし軍備を持つならば中途半端な軍備等は持つべきでない。そんなものこそ他国の侵略を誘ふものであり、絶好の口実を与へる結果となるであらう。又中途半端でない軍備等連合国が日本に許すとでも思ふのだらうか。他国の為に益にもならない火中の栗を拾ふの愚は避くべきであらう。新憲法の宣言する徹底的平和は世界と人類との進む理想的方向を指示せる点に於て我々が全力を挙げて護持すべきものである。アメリカ占領政策といえども一から十まで謳歌すべきものでない。占領が5年以上続けば其の統治は失敗するとはアメリカ当事者さへ云った事であり、我々は此の反省には敬意さへ表する。我々は勝者に対しても主張すべきは主張すべきであらう。
    我々は新憲法の上に日本の積極的建設と根本的更新を打建てるべく凡有努力を傾注する事の外、日本の進むべき道の無い事を銘記すべきである。元旦に為されたマ元帥の声明と吉田首相の声明とを見て今日此の如く我が意志を固む。

    午後二時より病院に於て国連軍傷病兵への献血の為採決しに行く。死刑囚より二十五名あり。


    1月16日

    昨日と同様に電気及水道は回復せず、刑務所当局より例の通信用紙の支給あり。父上に対し本年最初の手紙を書く。書きつつ昨年十月以来音信のない事が憂へられてならず、斯ることの何故なるやは私には全く推察不能である。

    文芸春秋一月号に昨年印度のラクーノに於て開催せられたる太平洋会議に出席せられた松方三郎氏の記事あり。文中印度為政者の日本に望むものの如何に当然にして其の好意的なもののあるかを知り得、大変嬉しく思ふと共に敗れたりとは言へ尚極東に於ける祖国日本の担ふべき任務の重大なるを感ぜり。願はくば今後の日本の歩みが真面目にして極東に於て最大なる好意を寄せある印度に応へるものであって欲しい。

    1月18日

    英語リーダーも終りに近づいて来たので次のリーダーを学院に依頼する件に就て峯尾兄と話す。インスペクターの氏名点呼があり、吾が独房に入って以来初めての事なので例によって何かと憶測が出た。五反田氏が其の故を聞くに冗談口調を以て「諸君の内地帰還手続の一つだ」と答へた由。結果や果たして如何。

    本日のニュースは朝鮮戦線の国連軍が水原附近に於て反撃戦を展開しある旨報じあり。外交問題に於ては比島外相ロムロが対日賠償十億ドルを要求すと発表されあり。其の他ロムロは日本再武装に依る比島の安全脅威に対する保障問題、日本工業力の将来の経済界に及ぼす脅威等に対する保護等に就て米国と会談中なる旨報ぜられあり。比島よ、必要以上の無益なるジェスチュアを止めよ。そは反感と憎悪を招くに過ぎない。汝自身を知れ。汝が所謂基督教国でありその豪語の如く民主主義国であるならば大いに謙虚たれ。そして日本に対する其の憎悪政策?を棄て基督教国らしく新生せよ。

     

    監修:福本

    【2012.09.20 Thursday 19:59】 author :
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