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1056:戦犯裁判:米国管轄:マニラ裁判:第10号法廷/バターン死の行進責任事件
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    戦犯裁判アメリカ管轄マニラ裁判

    第10号法廷/バターン死の行進責任事件

     

    起訴理由概要:比島各地各島に於ける日本軍の現地人殺害及び米人俘虜虐待殺害の看過黙認の責任訴追

     

    比島軍司令官・本間雅晴中将・新潟・陸大卒59歳:46/2/11判決絞首>確認>46/4/3執行

    手紙
    母上様
     長い間海山の御恩に預って御礼の申し様もありません。
     十八歳のとき陸軍士官学校に入校以来母上と一緒に生活した事が無く、ちっとも孝行もせず、いつも我ままを言ひ御心配をかけ通しでとうとうおしまひには母上を見送りもせず、先立つ不孝なんとも御詫びの致し様もありません。どうぞ御許し下さい。・・・
     私のなくなった後はどうか一家仲よく譲り合って何事も富士子に任せて気楽に暮して下さい。
     もうカカサン(主婦の事)は富士子に譲って口ばしを入れずノンキなばばさん(御隠居様)になって下さい。
     母上はまだまだ大丈夫ですからおからだを大事になされば今後随分長く寿命がおありです。
     どうか長生きして下さい。湯治にも行って下さい。それでは御機嫌よう。
    富士子殿
     過去二十年の家庭生活を顧れば茫々夢の如し。
     御身は温良貞淑の妻として能く家を修め子女を養育し唯々感謝あるのみ。
     予の亡き後は一家の責任悉く御身の双肩に懸る。
     願くは自愛自重長寿を完うせられよ。
     母老いて余命幾何も無し。
     予十八歳にして家を出て母に孝養を尽くしたることなく常に心にかかれり。
     予の死により母は落胆して寿命を縮めんこと懼るること大なり。
     母固より欠陥多く又現代思想を解せず封建的嫁姑の考へに執着すること多く、予に代りて孝養を尽くすことを御身に頼むことは無理なる点あるを知ると雖も他に手段なし。
     何卒忍び難きを忍び母の老後を安からしめ、死水を取ってやって貰ひ度し。
     只管悃願す。
     既に収入の途絶えたる今となりては、東京に居て徒食せば竟に窮するに至らん。
     郷里佐渡の永住の計画を立てらるべし。
     雅彦の帰否、帰朝不明なるも、帰来せば速かに結婚せしめ将来帰農するや否やは本人の意向により決定すべし。
     予の葬式は後山に於て簡単に行ひて可なり。
     東京にて告別式を行ふや否やは知友の意見を聞くべく、予に於ては何れにても可なり。・・・
    雅彦殿 尚子殿 聖作殿
     之は父が御身達に残す此の世の最後の絶筆である。
     父は米国の法廷に於て父の言ひ分を十分述べて無罪を主張した。
     然しこんな不公正な裁判でこちらの意見が通る訳はない。
     遂に死刑の宣告を受けた。
     死刑の宣告は私に罪があると云うことを意味するものに非ずして、米国が痛快な復讐をしたと云う満足を意味するものである。
     私の良心は之が為に毫末も曇らない。
     日本国民は全員私を信じてくれると思ふ。
     戦友等の為に死ぬ、之より大なる愛はないと信じて安んじて死ぬ。
     母ははるばるマニラまで来て実に立派に働いて呉れた。
     法廷に於ける母の証言は完全であったと弁護団の人達は言った。
     母は他の私の友人達と共に人事の限りを尽してくれた。
     米国が公正な国だというのは真赤な嘘だ。
     然し弁護人六人は実に見事で驚嘆すべき活動をしてくれた。
     到底日本人の出来ぬ努力と態度を示して呉れた。
     是等の人々には十二分な感謝と敬意とを払わねばならぬ。
     母の正義感は正しく強い。
     御身等は珍しく立派な母をもったことに感謝し孝養を尽さなければならぬ。
     これから世の中に立って行くに就い常に利害を考ふる前に正邪を判断する事。
     素行上に注意し、汚点を残さぬやうにすること。
     一時の感情から一生の後悔を残さぬやう。
     之を更に繰返して訓戒して置く。
     御身等の顔を見ずに死んで行く事は何としても一番大きな心残りである。
     然しこれも運命で致し方はない。
     米国を対手として五週間も華々しく戦って全力を尽した。
     始めから敗け戦と知りつつ遺憾なく戦った。
     父の末路としては病床に老死するよりは遥かに意義あるものとして諦めてくれ。
     御身達は日本国民として祖国の再建を忘れてはならぬ。
     又皇室の御運命を考へ忠節を尽すことを瞬時も忘れぬ様。
     之が三千年来日本人の血の中に流れてゐる真の心である。
     いくら書いても名残はつきぬ。
     父は御身達が立派な人間として修養を積み人格を完成し世人の敬意を受けるやうな人となることを信じて且祈っている。
     母を大事にして呉れ。
     母は父が御身達に残す最大の遺産であり、御身達は又父が母に残して行く最大の遺産である。
     後山の祖母も行く先が長くない身であり御身達と同じ血の流れである。
     父に代って大事にして晩年を安らかにしてやってくれ。
     それでは左様なら。左様なら、丈夫で暮せよ。 
    2月9日
     本日午前9時から公判の弁論に入りまづ弁護団のオット大尉からベルツ中尉コーダー大尉と最も力強い弁護があり最後にスキーン少佐の三十分以上に亘る一般的弁護があり、弁護団は全員深く被告を信ずる、出来れば皆証人台に立って訊問を受けたい位であると述べた時には涙が頬に伝って止らなかった。
     コーダー大尉も、裁判官諸官も被告と同じ境遇に立たされたとしたら、全く被告と同じ事をやっただろうとも述べた。
     スキーン少佐は斯くて無罪を主張した。
     次いで検事長のミーキ中佐がある事無い事を述べて是れ悉く被告の責任である、被告は皆知ってゐてやらせたのである、故に死刑を求刑すると結んだ。
     皆覚悟の上の事で死刑の求刑があってもちっとも驚かない。
     検事の弁論は四、五十分もかかった。
     弁護団は二時間かかった。
     宣告は2月11日午後3時紀元節、これも何かの因縁だと思ふ。
     勿論宣告を受ける前からと言はんよりは公判開始以前から決ってゐるのでこれはほんの形式と云っていい。
     宣告が終るとすぐにマニラ南方ニ、三十里の山下大将、田島中将など死刑囚のゐる所へ連れて行かれることと思ふ。
     米国最高法院への上告は此の公判の有効無効を争ふもので、山下大将の場合の如く無効と云うことになれば罪の軽減の問題には触れない。
     過去五週間賑やかに華々しい戦いであった。
     喜劇でもあった。
     ソ連は満州北鮮で何をやっている。
     東京空爆で本所深川では十万死んだ。
     広島では二十万死んだ。
     勝てば官軍負ければ賊軍だ。
     妻がマニラに来た事は非常な手柄であった。
     妻に接触するものを通じて本間並に本間の家庭が明になった。
     証人台に立って「今尚本間雅晴の妻たるを誇りとする、娘も亦本間の様な人に嫁せしめたい」との証言は満廷を感動せしめ何人の証言よりも強かった。
     キング少将の副官も、検事のリムも感動したそうだ。
     日本婦人と云うものを知らぬ米人並比人の日本婦道をはっきりと知らしめた英雄的言動であった。
     私は是だけでも非常に嬉しく思ふ。
     日本婦人史に特筆すべき事蹟と思ふ。
     毎日逢へぬでも妻がマニラにおると云うことは私にどれだけの慰めとなり力となったか知れない。
     今夜の一時に空路帰るという。
     之から私は淋しくなる。
     もう此世で逢へぬと思ふと名残はつきぬ。
     どうか幸福に健康に暮してくれ。
     孫達の顔を見る事の出来ぬのは残念だ。
     私は死刑の執行まで苦しい煩悶を続けるかと思はれるが、覚悟は夙に出来ているから大した事はあるまい。
     すっぱり早くやって貰ったほうがいい。
     憲兵の少尉が煙草を三十個もって来てくれた。
     子供達に一目逢ひたい。
     之も未練だ。
     父は部下の行為に責任を負ふて死ぬ。
     犠牲者である。
     雲低く雨模様だ。
     空の旅に弱い妻が飛行機に酔いはせぬかと心配だ。
     私の為に遥々来て下さった人々や、日本で心配して下さった人々に心から感謝を捧げる。
     どうか十分にお礼を申上げて呉れ。
     子供達に父は毎朝皇室を拝し、秩父宮様の御恢復を祈り、伊勢大廟を遥拝し弥彦神社、多度津神社、御食神社、一の宮神社を拝し、八幡様、成田様、高野山を拝し、長谷、浅草の観音様を拝み、観音経を誦んで居たと伝へてくれ。
     我が武人として立派な最後を遂げ安心立命の境地に入り母が健康で長生きされる様に。
     富士子、尚子、聖昨に健康と幸福とを与へ給へ。
     雅彦が無事に早く帰ってくる様に守らせ給へと祈ってる。是は私の最後の日まで続く事だろう。
     二月十一日午後3時銃殺刑の宣告を受けて直にここの俘虜収容所の一角の部屋に連れて来られて、日夜恐ろしい厳重な監視下に在る。
     金網の壁障を通して隣近所の人と話は出来る。
     死刑囚は今や一五人になったが内三人既に欠けた。
     覚悟は既に出来て居る。
     明白な良心を持って何等疚しい所なく米軍の銃口の的となる。
     斯の如き清い良心を持つ死刑囚が現代文明国にあろうか。
     私の死後に就いては毫も心配してゐない。
     言ふべき事は言った。
     子供達も私の死によって覚悟を新たにして強く生き抜く事を深く信ずる。
        日本は必ず新しく立ち直る。
        日本帝国万歳 さようなら
     (銃殺執行は、2/11ではなく4/3)
     何時も今度こそ之が最後の絶筆と思って書く。
     今日は3月10日である。
     生ける屍の如き獄中生活、今日は呼びに来るか今夜は来るかと刑執行の日を待つ気持は、予て覚悟は出来て居るものの堪らない。
     山下等逝きて後、新死刑囚は殖えて今十八人になった。
     今後益々増加する一方だ。
     皆同様の心境にある。
     銃殺刑は尚私と奥田少尉のみで他は悉く絞首刑。
     私は軍人の処刑を受けるだけがましだと思ってゐる。
     斯くの如き無法なる且苛酷極まる処刑を受けることに対し憤懣火の如く燃えてゐるが俎上の鯉となっては致し方がない。
     宇宙上国債関係に於て正義と云ふものは存在しない。
     皆自分勝手なもののみである。
     運命と諦めて潔く米兵の銃口の前に立つが胸中の激怒は永遠に残るであろう。
     獄中単なる死刑囚の如く取扱われ至厳なる監視の下に冷酷なる待遇を受けてゐることは益々生き甲斐なく感ぜしめられ覚悟を容易にすることに役立つ。
     御身達は健康に注意し幸福に暮して呉れ。
     あの世といふものがあればそこで御身が数十年の後に来るのを待って居る。
     いよいよ左様なら
      3月10日 死刑囚獄中  本間雅晴
    最後の葉書
     俗物と見え仲々生死超越の境地に達することは今尚六ヶしいことだ。
     ファナス大尉依託の手紙繰り返し繰返し読み滂沱として涙流る。
     御身等子供達の通信は如何なる聖書にも優って安心立命を与へる。
     タイムス記事はこちらの新聞にも載り放送もあった由。
     御身の言動満足し感謝と誇りを感ずる。
     監獄生活は実に苦しい。
     御飯は米だが旨くないこと夥しい。
     一日二回三十分づつ散歩があり檻から出る。
     読むものは沢山ある。
     何分ひどい取扱ひだ。
     手紙を書いているが死後果して届くかどうか。
     毎日四六時中死のことを考へている。
     夜はよく眠る。
     朝は必ず六時に起きる。
     マニラに比し遥かに涼しい。
     マ元帥の決断も間もなくであろう。
     最後の時機も遠くはあるまい。
     米国の一方的な無法によりて殺されるのは如何にも残念だ。
     復讐心に充ちた法制的私刑だ。
     大事な時に奉公できぬのが遺憾だ。
     長生きをしてくれ。
     子供達を頼む。
     
       辞世の歌    雅晴
      甦る皇御国の祭壇に
        生贄として命捧げむ
      栄えゆく御国の末を疑はず
        心ゆたかに消ゆるわれはも
      予てより捧げむ生命いまここに
        死所を得たりと微笑みてゆく
      戦友(とも)等眠るバタンの山を眺めつつ
         マニラの土となるもまたよ志
      恥多き世とはなりたりもののふの
         死ぬべき時と思ひ定めぬ
    【2012.08.14 Tuesday 01:32】 author :
    | B級裁判 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2019.07.19 Friday 01:32】 author : スポンサードリンク
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