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1021:戦犯裁判:米国管轄:マニラ裁判:第11号法廷/パナイ島俘虜3名処刑事件
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    戦犯裁判アメリカ管轄マニラ裁判

    第11号法廷/パナイ島俘虜3名処刑事件
    起訴理由概要:昭和20年3月5日及び25日、パナイ島に於ける米機搭乗員3名の処刑
    独歩170大・吉岡信大尉・山口早稲田大学卒・35歳:46/2/18判決絞首>46/5/1確認>46/6/6執行
    独歩170大・奥田福徳少尉・大分:46/2/18判決銃殺>46/5/1確認>46/6/6執行
    独歩173大・甲斐幹雄少尉・大分:46/2/18判決40年>46/5/1確認
    独歩171大・和田武治曹長・京都:46/2/18判決30年>46/5/1確認10年
    独歩171大・井上七郎伍長・山口:46/2/18判決30年>46/5/1確認10年
    独歩170大・佐藤明一等兵・宮崎:46/2/18判決30年>46/5/1確認中隊長・吉岡信大尉ケース
     米軍の反攻上陸作戦中に墜落し俘虜となった米機搭乗員3名を、警備隊長の吉岡大尉命令で処分した事件である。
     大尉は、遺書で「日本軍人が俘虜取扱事項を知らずそんな事に無頓着であった事が過ち」と述べている。
     これは事実であり、戦後起訴された戦犯の中には、不当な俘虜処遇を訴因としたものが少なくなかった。
     ただ、逆に俘虜条約を知らずともその程度の戦犯で済んだのは、人道的処遇を心得ていた日本人がいたからとも言え、事実、連合国の俘虜日本兵処遇と比較し、その戦況を考えた時、殊更日本兵が残虐だったとも思えない。
     そこで本件俘虜処分だが、要撃配置の中隊といっても、実質200名にも満たないような孤立した部隊が、3名の俘虜を抱えながら大軍と戦闘出来るわけがない。
     「宣誓解放」しとけば一番良かったのかもしれないが、現に自分らを殺していた敵機乗員俘虜を、玉砕全滅覚悟の戦闘前に敵軍に返すというのは、軍組織による事前教育が無ければ判断は難しい。
     後送も出来ないこの状況では、他国軍でも殺害処分するのが一般的だと思う。
    手紙
     お父母様、その後お変りはありませんか。
     12月28日にマニラ附近の収容所に空輸されて参りました。
     今度マニラへ送られて来ましたのは戦争犯罪者としてです。
     告訴状も受け取りましたし取調べも受けてゐますので裁判開始はもう一週間もありませんでせう。
     幸ひ当キャンプ内で師団長福栄真平中将と会ひいろいろと各閣下(36名もゐます)とも話し合って注意をして戴き何時でも裁きの庭に立って正々堂々戦へる自信と覚悟が出来てゐます。
     事件の内容は去る昨年三月十五日と三月二十五日(米軍イロイロ市へ上陸前後の時)の時に墜落した米軍飛行機乗員三名を状況止むを得ず殺害した事です。
     敵米軍は上陸し、部隊本部との通信連絡(無線)も杜絶して上官の指示を受ける予猶がなく自分(隊長)の命令で殺さしたので如何ともされません。
     吾々日本軍人が俘虜取扱事項を知らずそんな事に無頓着であった事が過ちです。
     しかしそんな事等今更何でもなく犠牲者を出来得る限り最少にとどめたいと思います。
     自分は警備隊長として命令を出してゐますので全然罪をまぬかれる事は不可能ですから出来得る限り一人でも助かる様に小隊長、下士官兵に犠牲者が出ない様に努力する積りです。
     今迄の裁判の例(判決)を見ても死刑は当然です。
     もうずっと前から覚悟してゐますので今更何ともありません。
     閣下各位も事件内容も知ってゐますのですが僕等が朗らかにやってゐるので覚悟がよいと吃驚してゐます。
     今はもう死に対して何のおそれも、生に対する執着もありません。
     非常に前よりか朗らかに何も忘れてゐます。
     唯々腹一杯食って煙草を喫って死にたいと思ってゐるのみです。
     自分によくもこんな朗らかに過せる覚悟が出来たものだと不思議に思ってゐる位です。
     死んだ戦友部下の事を思へば何でもなく正々堂々米国を相手に裁判を受けるのだと思ふと尚更痛快になります。
     裁判長から死刑の宣告を告げられても決して顔色をかへずうなずく事が出来るでせう。
     日本軍人として人並以上の事をして恥かしい事は全然なく当然の事をやってこんな具合になったのですから、結局日本が負けたから俺の運命もなくなったのだと思います。
     部下の小隊長以下にも決してやましい事はないのだから心配するなと強く云ってあります。
     今心配なのは内地にゐられるお父母様に戦争犯罪者の遺家族として汚名がかかるのが残念で申訳ありません。
     いづれはその理由も国民にはわかる事、了解される時はあるでせうが、その当時の事など原君とか谷鉄次郎中尉にも聞いて戴きます。
     尊敬してゐる戸塚部隊長も決して他の件で罪は免れない事でせう。
     当キャンプに沢山の犯罪者がゐますが、皆朗らかでやってゐます。
     「どっさり食はして肥えなければ軽くて首もつれないだらう」と云ってゐます。
     いずれ判決となったら山下大将と一緒になるでせう。
     出征以来四年半余元気で中隊長として堂々戦って来ましたし、投降に際しても自分の中隊が他の部隊に比べて一番生存者が多くて無益な損害がなかった事は隊長として一番処置がよかったのだと自慢も出来ます。
     師団長閣下もその点は非常によろこんでくれましたがわずかな事でこんな事になった事を残念に思ひます。
     三十五歳の生涯も刑場の露と消えますが何も思い残す事もありません。
     今まで長男としてお父母様に充分の孝養も出来ず心配ばかりおかけしました事は残念ですがお許し下さい。
     お先にあの世へ参ります。
     唯残ってゐる妻紀子の事は何卒よろしくお願いいたします。
     思ふ通り云ふ通りして裁きを受け度いと思ひます。
     これが最後のお願いであり遺言であると思います。
     あれも不幸な妻でした。
     可哀そうでなりません。
     この手紙も紀子に読まして下さい。
     最後に貞子、澄代、静江、格二、省三にもよろしく愚兄に代りて孝養をつくす様云って下さい。
     又親類各位にも何卒よろしく、ではこれにて最後の筆をおきます。
     お父母様の先長き幸福と健康を祈ります。
       さようなら
            陸軍大尉 吉岡 信
     お父母様、お達者なことと思ひます。
     小生2月18日の裁判で絞首死刑と宣告を受け今は刑を受けるだけの日時の問題となりました。
     同じ独房中に山下大将本間中将等と一緒にゐます。
     米軍将校の弁護士も相当同情してくれましたが結局思ってゐた通り、それ以上に部下の小隊長にも死刑の判決があり同情に堪へません。
     本間閣下より内地の事を聞き混沌たる世情を気の毒に思ひます。
     さぞや皆様も御不自由してゐられる事でせう。
     若しも僕でもゐたら....と思ひます。
     今はもう何の雑念もなく思い残す事なく死んで行かれます。
     先立つ罪をお許し下さい。
     皆々様の御幸福と御健康を祈りつつ、紀子の事はよろしくお願いいたします。
    紀子様
     何も云ひ残す事なし。
     強く強く生きよ。
     最後まで君の幸福を祈る。
       武士(もののふ)の道に殉ぜし桜花
          散りゆく今日を何か憂へむ
       散り逝きし落ち葉は枝に帰らねど
          我が魂は父母の御許に
    【2012.07.14 Saturday 04:17】 author :
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      【2019.04.06 Saturday 04:17】 author : スポンサードリンク
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