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1020:戦犯裁判:米国管轄:マニラ裁判:第43号法廷/討伐中、バネイ島バタン町140名アルタヴス町40名比人殺害拷問事件
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    戦犯裁判アメリカ管轄マニラ裁判

     

    第43号法廷/討伐中、バネイ島バタン町140名アルタヴス町40名比人殺害拷問事件
    起訴理由概要:#39戸塚部隊討伐中、昭和18年10月18日バネイ東北岸のバタン町において140名、アルタヴス町にて3〜40名の比人を拷問殺害す。

    102師団戸塚部隊独歩170大・大塚則行少尉・熊本熊本農業学校卒・農業・39歳:46/7/6判決絞首>46/12/18確認>47/2/17(3/31)執行
    ・鍬農忠孝曹長・熊本:46/7/6判決終身>46/12/18確認

     

     600名斬殺といわれているが、事実はゲリラ処刑を誇大に粉飾訴因とされたものだろう。
    起訴された以上、釈明は一切無意味と考えていたと思われる遺書である。従軍報道員として派遣されていた作家の尾崎士郎、石坂洋次郎、今日出海、火野葦平等の諸作家の知遇を受け、これ等作家の作品に作中人物のモデルに取り上げられたという人柄が偲ばれる。旧部下戦友らが、昭和47年に熊本護国神社に少尉の慰霊碑を建立した。
    遺書
     謹みて黙山一書を茲に呈す。
     生きて再び此の世に相見る事無し。
     余六百人斬りの故を以て、戦犯として今マニラにあり。
     遠からず裁きの庭に立ちて、絞首台の露と消ゆる身なり。
     今は既にして何も思はじ。
     亦現世に残す名残りもなし。
     唯我が死をして更に意義あらしめんと念ずるのみ。
     過ぎし昔を想起す、大陸に比島に、山野を駆馳す四年有余、思ふ存分暴れたり。
     身は比島の空に果つる共、男児の本懐を遂げし今、一点更に悔なし。
     莞爾と笑みて散らん哉。
     計らずも渡辺氏と遭ふ。
     貴兄との友誼実に久しかりき。
     台北も台中も悠々と闊歩せし往年の愉しかりしよ。
     黙山茲に歳三十有八歳、往年の意気未だ衰へず。
     豪気未だ奪ふべからざるものあり。
     早や部下兵士は故郷の人となれるが如し。
     余亡き跡と雖も、余が心魂を傾注して育てし大塚小隊の精兵あり。
     彼等必ず余の心を体し、祖国再興に全力を注ぐ事を信じ、胸中安らかなり。
     幽明境を異にすと雖も、余が魂は貴兄等と共にありて、祖国再建に邁進せんとす。
     火の玉となりて祖国興隆に突進されんことを、之が黙山の頼みなり。
     書き度事多し、されど自由に書き得ず。終り。
    愚作
      大いなる阿蘇峰遥か仰ぎつつ
         育てられしか雄々しかれよと
      大丈夫は任と侠とに生くべしと
         わが父君は教へ給へり
      南のパナイの夜空懐かしや
         彼の星の下兵は眠れる
      肩の傷触るる度に思ふ哉
         あの激戦に倒れし兵を
      いざさらば今宵別れかからつ風
        
      ひそかにぞ待ちに待ちたる今日ぞ今日
         大和桜の香をぞ止めん
        “余は常に汝と共にあり”  大塚則行
        大塚ハツ子殿
    遺詠
      母を憶ふ
     垂乳根の母を慕ひて幾度か
        枕濡らしぬ獄舎の中に
      子を憶ふ
     千代さびし岩根に匂ふ白百合のごと
        心ゆかしく咲き出でよかし
      妻に与ふ
     秋の野に床しく香ふ白蘭の
        気高きうつり香あらまほしけれ
    【2012.07.14 Saturday 04:16】 author :
    | B級裁判 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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      【2019.04.06 Saturday 04:16】 author : スポンサードリンク
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