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    【2017.08.23 Wednesday 】 author : スポンサードリンク
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    1012:資料…3.11 そのときバイクで北に向かった
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      4:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:27:21.44 ID:Lu4AMMwkO
      3月11日 

      地震発生時、おれは神奈川にある会社で仕事をしてた 
      建家は9階建でかなり揺れた 
      揺れたと同時にいきなり停電になる 

      落雷とかで停電することが数年に一度あるか無いかなんだが、停電の時間が異様に長い 
      避難訓練を毎年やってたが、避難することなく揺れがおさまっても居室に残った 
      情報が途絶えてから1時間ぐらい過ぎたところで、少しずつ状況が明るみになってきた 

      5:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:32:02.46 ID:Lu4AMMwkO
      携帯のワンセグでテレビを見るのがその時の唯一の情報だった 
      宮城で震度7の大地震が発生したとのこと 
      その情報は瞬く間に社内に伝わり、耳に入ってきた 

      おれの嫁さんが仙台産まれの仙台育ちで両親は仙台に住んでいる 
      電話をしても一向に繋がらない 
      電車も動いていないらしく、帰宅することが出来なくなった 

      80キロ離れたら埼玉に住んでいたので、どうすることも出来なかった 
      会社にストックしていた漫画を読むことにした 

      6:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:39:31.27 ID:Lu4AMMwkO
      数時間が経過して、帰宅命令が発令された 
      会社で寝泊まりは許さないとのこと 

      その頃にはワンセグでかなりショッキングな映像が流れ始めていた 
      真っ赤に燃えた気仙沼… 
      あ◯ひ寿司は美味しくて大好きだったのに、その映像から既に絶望的なのはわかった 

      嫁さんに電話をしても相変わらず繋がらない 
      夜泊まる場所も見付からない 
      悩んだ末、とりあえず最寄り駅の隣にある大きな駅まで歩いて行くことにした 

      車で一斉に帰宅を始めた連中は渋滞に巻き込まれ、身動き取れない状態に 
      途中のコンビニで飲み物、携帯充電器、乾電池を購入した 
      大きな駅まで1時間ほど歩いた 

      この時点で3月11日の夕方5時過ぎだったと思う 
      辺りは暗くなり始め、駅を見るとシャッターを下ろしていた 
      電車での帰宅を諦めた 

      7:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:44:26.21 ID:Lu4AMMwkO
      駅前のビル、イトー◯ーカドーはしっかり営業を再開していた 
      とりあえず中に入り暖まった所で電話をかけてみる 
      まだ繋がらない 
      仙台の両親大丈夫なのだろうか? 
      嫁さんは一人娘なので、両親2人で仙台に暮らしている 
      お父さんは昼間、仕事に出ているから、被災した可能性も大きい 

      自転車で埼玉まで帰る決心をした 
      イトー◯ーカドーの自転車売場でギア付きのママチャリを購入 
      同じように自転車を買う人が多数いたので自転車売場は盛況だった 

      8:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:47:22.68 ID:ItG/xt9WO
      おれも神戸の時バイクで東京からボランティア行ったわ。 

      9:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:56:26.59 ID:Lu4AMMwkO
      自転車を買い漕ぎ出す 
      ひたすら漕ぐこと3時間あまり、夜の8時過ぎ 
      やっと都内に入った 
      腹が減り足は疲れ休憩が必要だった 
      目の前にあったラーメン屋に飛び込んだ 
      国道246号をひたすら東へ向かっていたんだが、常に大渋滞で、歩道は歩行者に溢れていた 

      ラーメン屋で30分ほど休憩を取って、ここで初めて嫁さんに連絡が着いた 
      とりあえず自転車で向かっているから途中まで迎えに来させることに 

      ラーメン屋を出て環八に入る頃には足とケツの痛みで自転車に乗れなかった 
      押して歩くしか無くひたすら歩き、0時頃、埼玉まであと数キロって所で嫁さんの車と合流 

      1時過ぎに帰宅 
      ネットは繋がるしニュースもやってるのに相変わらず仙台の両親は連絡がつかなかった 
      一度寝て朝になって連絡がつかなかったら仙台に向かおうと心に決めて寝た。 

      10:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 06:56:29.52 ID:lGc3EFHe0
      不謹慎だが期待している俺がいる。 
      あの体験談から学ぶ事は多い 
      人間学的に 

      水差して済まない 

      13:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:05:06.52 ID:Lu4AMMwkO
      予震が続く中、7時過ぎまで寝てしまった 
      起きて仙台に連絡するも繋がらない 

      行くしかない 

      ネットで情報を見てみると、津波に飲まれた範囲が判明し始めていた 
      両親が住んでいる家は海から少し離れているのと、
      高台になった場所なので津波は大丈夫そうだった 
      しかし築30年以上の家が心配だ 

      オフロードバイクに最小限の荷物を積み、
      冬用ライディングジャケット、下はタイツの上にジーパンとカッパを着た 
      3月とは言え仙台は寒いだろうから念には念を入れた 

      自宅を8時過ぎに出発 
      国道4号に入ってすぐ、最初の給油 

      オフロードバイクと言ってもセローとかの燃費が良いバイクではなく
      2スト250ccだから、リッター15キロしか走れない 

      燃料タンクは10リットル、仙台まではおよそ360キロ 
      数回給油する必要があるのはわかっていた 
      だから営業しているガススタがあれば、とにかく駆け込むしかないと考えていた 

      14:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:14:13.71 ID:Lu4AMMwkO
      埼玉の草加で給油をしたあとひたすら北上をする 
      2時間弱で宇都宮市街に到着 
      ちなみにここまでのガススタは既に全滅 

      宇都宮でガススタを探しはじめると、市内に行列を発見して並ぶ 
      まだガソリンはあるようで安心した 

      嫁さんに連絡を取ると福島原発がやばいとメールが来た 
      宇都宮を北上するには郡山市は避けることは出来ない 
      少し考えてみるも、やはり両親が心配なので北上を続けることにした 
      本格的に原発がやばくなったら引き返すことにした 

      宇都宮を出ると那須塩原市あたりまではのどかな風景が続く 
      しかしこのあたりから渋滞が始まっていく 
      北に向かう車が多かった 

      そんな中、背中に「支援物資輸送」と手書きで書いた紙を貼ったカブの人や、
      とにかく急いで走るスーパースポーツ系の人を見かけるようになる 
      バイクの機動力に驚かされる 

      15:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:22:56.01 ID:Lu4AMMwkO
      国道4号はときたま1車線になったりするが、その都度激しい渋滞が発生する 
      矢板市に入るころには車はぴくりとも動いていなかった 

      西那須野に入りガススタを探す 
      西那須野ではあっさりと見付けることが出来て大変助かった 
      ここで携帯充電器の電池が切れる 
      ニトリが営業をしていて、そこで16本購入 
      ついでにカイロも購入した 

      西那須野にいたのは14時過ぎだったと思う 
      西那須野を出発すると次の大都市は郡山あたりになる 

      北上を始めると国道4号の路面は荒れ始めて来た 
      大きな亀裂が目立ち始め、車は避けるために反対車線に入る必要があった 
      オフロードバイクは亀裂や段差には強く、難なく走り抜けることが出来た 

      辺りはだんだん暗くなり始める 
      バイクの走行距離が給油時から120キロを指していた 
      そろそろ給油しないと…と思っているとエンジンは止まった 

      ガス欠した 

      16:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:34:13.67 ID:Lu4AMMwkO
      リザーブがあるから、まだ30キロぐらいは走れるだろうと考え、ひとまず休憩をすることに 
      辺りは真っ暗になっていて、街灯も消えている国道4号の脇にバイクを置いて休んだ 
      正直、この先に行っても停電でガススタが開いてる保証は無かった 

      道中のガススタは全滅していた 

      先に進むか戻るか? 戻るにしてもガソリンはリザーブ分しか無い 
      絶望しかけてた 

      止まっていても仕方がないので先に進むことに 
      キャブをリザーブに入れて数回キック 
      エンジンはかかった 
      更に北上を続けた 

      140キロを指したあたりで市街地に入る 
      何故か明るいガススタを見付けることが出来た 
      しかし車の大行列が出来ていて、1キロぐらいは並んでた 

      落ち着いてガススタを見ていると、裏から入ってくる列があり、
      そちら側を見たら数台しか並んでいなかった 
      申し訳無い気持ちもあったが並ばせてもらった 

      数分でスタンドに入ることができ、状況がわかった 
      発電機を使って営業をしていた 
      ガソリンは10リットルだけ販売をしていた 

      バイクはそれだけで十分だった 

      満タンになったら出発 

      17:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:51:49.42 ID:Lu4AMMwkO
      北に向かっていくと福島市に入る 
      市内は暗く、車の数は減ってくる 
      いつもは明るく、賑やかに見える牛丼屋やコンビニは全て真っ暗だった 
      真っ暗な市街地を抜け、残すは蔵王だけ 
      あと一歩で仙台に着く 

      国道4号は東北道と並んで走る場所があるんだが、高速道路の様子を見て愕然とした 
      赤色灯を灯したパトカー、救急車、消防車、見える範囲が赤色灯で真っ赤に染まっていた 
      この先に仙台があるが、どうなってしまってるんだ… 
      両親は無事なんだろうか… 
      泣きながらバイクを走らせるしかなかった 

      途中、蔵王のあたりで土砂崩れで強制迂回させられる 
      迂回した所にセブ◯イレブンを見付けて入る 

      飲み物は酒だけ 
      食べ物は皆無 

      作りたての唐揚げ棒を3本ぐらい購入する 

      迂回路を通過してから30分ほどで宮城県に入った 
      蔵王を通過すると長い下りに入る 
      トラックの後ろをニュートラルでひたすら着いていく 
      宮城県からはガススタに期待が出来なかった 
      既に閉まっているガススタ前に大量の車の行列が出来ており給油の可能性はゼロに近い 

      仙台市に入ると倒壊した建物はほとんど見られなかった 
      東側、海沿いの空には黒煙が立ち込め、その煙が赤く照らされていた 

      コンビナートで火災が発生していた 
      遠くからでも炎が見えたぐらいだから、相当な火災だったんだと思う 

      仙台市に入って30分ぐらいで脇道に入ると嫁さんの両親の自宅がある 
      仙台に入ってから倒壊した建物をあまり見掛けなかっただけに、自宅も無事だろうと思っていた 

      18:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 07:56:13.70 ID:Lu4AMMwkO
      仙台市は信号は止まっていて、自宅近くでは事故も発生していた 
      何もしてあげられないので通過をする 

      19時過ぎぐらい、自宅に到着すると家は無事のようだった 
      両親を見るまで安心はできない 

      ドアを何回か叩くが反応が無かった 
      諦めずに何回も何回も叩いたら父ちゃんが出てきた 

      なにしてんの? こっだらとこで 

      忘れもしない第一声 
      両親は無事だった 

      19:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 08:01:25.64 ID:3z3LqoED0
      よかた(´;ω;`) 

      20:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 08:15:27.89 ID:Lu4AMMwkO
      携帯の電波が悪い家だったので、連絡が出来なかったとのこと 
      電池も切れたらしいので買ってきた充電器と電池を渡し、充電してもらう 

      埼玉に安否の連絡をするために電波が入る場所を探すことにした 
      自宅から出ても電波は入らない 
      高台の上は電波が入ると安直に考えてバイクで少し離れた高台に向かった 

      ソフトバンクなんだが、高台でかろうじて電波が入った 
      嫁さんに連絡をし、3月12日は事なきを得た 

      その日は居間にある机の下に川の字で寝た 
      ライディングジャケットは熱いぐらいでかなり助かった 
      余震は断続的に続いていて、両親の携帯はけたたましく緊急地震速報を鳴らしていた(と思う) 
      それでも疲れていたからかすぐに寝てしまった 


      3月13日 

      家の中を見渡すと被害が理解できた 
      本棚や食器棚は全て倒れ、家の中はぐちゃぐちゃだった 
      窓から外を見るとコンビナートの黒煙が見えた 

      外に出ると近所の人達と井戸端会議が始まる 
      聞いた所ではどの家庭も食料に困っているとのこと 
      買いだめしていた食料しか無く、買いに行くも何も無い 
      買いに行く車が動かせない 

      どうしたものか悩んで埼玉の父ちゃんに相談すると、
      直ぐ様ポリタンク10個、カップ麺を10箱買ってきてくれた 
      ポリタンクには半分は灯油を、半分は水を入れてくれた 

      嫁さんに車で運んでもらうことにしたが、車も仙台を往復出来るほど燃費は良くない 
      父ちゃんに相談すると、今度はオイルのペール缶にガソリンを買ってきてくれた
      (年のため真似はしないように) 
      これで近所の人も少しは助けられると思った 

      21:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 08:25:05.37 ID:Lu4AMMwkO
      ふと隣の家を見ると親父さんが火を炊いている 
      電気ストーブしか無いらしい 

      両親の家には灯油ストーブが多数あったので1個貸してあげることに 
      その家の子供が退屈そうにしていたので、コンビニで買った唐揚げ棒とお菓子をあげといた 
      12日はほとんど食べていなかったらしく、喜んでもらえた 

      バイクの給油をしようと国道4号に出てみると事態は更に悪化をしていた 
      あっちが開いたこっちが開いたとデマ情報が飛び交い、その都度車が移動していた 
      ガス欠になり路肩に乗り捨てられた車も多数あった 
      ガススタで並んでいるときに3人組に話し掛けられた 

      どっから来たの? 埼玉? 随分遠くから来たね
      両親は無事? 良かった良かった うちは父ちゃんと家を流されちゃった 

      おばさんは話してる途中から泣き出してしまい、一緒にいた息子さん2人に抱えられてた 
      何もしてあげられない自分の無力さを痛感させられた出来事だった 

      ガソリンを入れられなかった俺は自宅に戻るしかなかった 
      遭難したようなものだ 

      22:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 08:43:58.54 ID:dkicMAvv0
      だめだ 
      涙でてきた 

      23:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 08:53:17.73 ID:Lu4AMMwkO
      夕方になると嫁さんが車で仙台に到着した 

      灯油、水、カップ麺を近所の人に渡して、なんとかこれで少しの間をしのいで下さい 
      それしか言えなかった 
      近所の人には兄弟が気仙沼に住んでいる人や、安否確認が取れない人が多数いた 
      それでもみんな、必死に笑顔を作って話をしてくれた 


      3月14日、埼玉へ車で帰路に着く 

      近所の人にはまた食べ物を持ってきますとだけ言って、来た国道4号を南下した 

      途中、ボーリング場が遺体安置所になっていた 
      たくさんの人だかりが出来ていて、その非現実的な光景を受け入れられなかった 
      とにかくその場から逃げ出したかった 
      ヒッチハイカーもいたが、ガソリンがギリギリだったこともあり、見て見ぬフリをした 

      24:名も無き被検体774号+:2012/03/06(火) 09:06:43.33 ID:Lu4AMMwkO
      なんとか無事帰宅でき、その後、数回に渡って物資を持っていった 

      1年が経過してもなお、あの時をふと思い出して涙がでてくるんだ 
      ベストを尽くせなかった自分 
      あの被災したお母さんに何も言えなかった自分 
      ヒッチハイカーを見捨てた自分 

      全てが後悔だ 
      後悔しか残っていない 
      家族を亡くした人たち、友人を亡くした人たちにかける言葉を見付けられないんだ 
      何も言えないしなんと言っていいかわからない 
      あの時、仙台へ行くべきでは無かったのか?
      【2012.06.27 Wednesday 03:03】 author :
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