2357:口先だけの似非保守は、ドロンパ批判して良心的日本人面しても、パヨクと同じ役立たずww。
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    http://hosyusokuhou.jp/archives/48783972.html

     

     ドロンパも、若い頃は「朝鮮人も話せば解る。」と信じていたのだろうが、朝鮮人との最前線に立ち続けると、過激に対抗する以外の選択が無い事を思い知るしか無かったのだと思う。
     それに気がついてみると、日本人の怒りに火病っていた朝鮮人が引く事にも気付いた。・・・これは最前線に立っていなければ解らなかった事だろう。
     彼を批判する人たちは、火病った朝鮮人に対抗する事など出来ないし、その場合、逆に身体的危険も増える。エンコリで朝鮮人と遣り合うロジックを学んだら、あれ以外の手法は考えられないw。

     過激な在特会といっても、基本的に法を遵守している。しばき隊や公園占拠団体の不法行為を問題視せず、在特会襲撃被害事件で「在特会が遂にやらかした。」と批判したエセ保守の偽善が暴かれたっけw。

     

     そういえば、高須院長はいい人だが、「猛犬はいいが、狂犬はダメ。」・・・そんな甘い事を言ってても、何の意味も無い。

    ムカシ北京放送BBSでは、中国人とエンコリのように生討論出来たが、日本側は有能な論客が数多く参加しており、中国側を圧倒していた。すると在日が参加してきて、朝鮮人ロジックで日本側を攪乱した。エンコリに参加していた日本人は朝鮮人の扱い方を知っていたが、北京放送の日本人は論は立つがオボコイ、人の良い日本人ばかりだったので好き勝手やられた。ボクなりに頑張ってみたが、管理人のLionが典型的チナ人で、日本側の的確な反論を全てカットしたので論争が成立しなかった。

     米軍の朝鮮人取説を、日本人は肝に銘じないと・・・

    【2017.02.07 Tuesday 21:25】 author :
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    2198:櫻井よしこさんの国家基本問題研究所に入会・・・肩書の無い会員の権利は認められない、不満なら退会受理ww
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       櫻井さんの日本への貢献度を考えれば、批判は難しい。しかし、国基研のスタッフというのは、櫻井さんの名声を己の力量と思い違いした傲岸不遜な輩ばかりのようだ。

       慰安婦合意破棄問題という時期的に、女性基金が拡散した「戦時性暴力乃至女性に対する人権侵害」という慰安婦問題の誤認識を正す目的で、慰安婦問題の戦争犯罪認定経緯を、600字制限を守って「ろんだん」に投稿したが、国基研では無知に加えて問題意識が低過ぎるスタッフが投稿採否を決定しているようで、無視黙殺され「ろんだん」に掲載されなかった。

       女性基金が、買春を戦争犯罪行為であったかのように史実を歪曲しても、当時合法で有り、戦争犯罪定義においても日本兵の誰一人、買春行為で戦犯起訴された者がいないというのが事実である。

       このような事情や、他の戦犯関連投稿を行ない根拠を示しても、国基研は全ての投稿を無視黙殺して会員の言論を封殺した。

       

       事後法・売防法以降の社会通念で日本兵を罰しようとする若しくは謝罪賠償しようとする前に、現在世界で営業している10万人以上と言われる韓国人売春婦の救済や売春合法国家の女性人権侵害を糾弾するのが先では無いのか・・・このように基本問題投稿の掲載が拒否されるのなら、『国基研は肩書の無い会員には「ろんだん」投稿を許さない。』と表示しておくべきであろう。

       

       肩書の無い会員が、マナーを守って根拠を示して投稿しても、会員として認めず黙殺された事に抗議、退会問い合わせすると、退会受理葉書が送付されてきた。結局、入会10日で退会する事になったw。

       ろんだん投稿の採否を担当するスタッフ、並びに問い合わせに対応するスタッフ、いずれも匿名で対応しているのだが、自分の氏名も公表せず、無礼な対応の責任を櫻井さんの権威に任せているだけの無責任体制で運営しているという事である。

       

       国基研というのは、肩書の無いカス会員には会費納入権以外は認めず、退会の自由は一応保障されている組織のようであるw。

       

      【2017.02.01 Wednesday 03:01】 author :
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      1859:幣原が九条を提案したからって、米国の意向に従っただけなのにww
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         典型的外患誘致犯の幣原が,マッカーサーの意向を慮って戦力不保持と交戦権否定を提案したのだから、売国策に決まっとるやンケww。

         村山談話を踏襲してきたボケ日本人共は、日本の戦争が不戦条約が非とした戦争では無かったことを知らず、不戦条約が失効していない状況では、九条は対米戦争放棄条項でしかなかったことを理解していないw。

         正真正銘のバカ共www。

         http://hosyusokuhou.jp/archives/48211823.html

        【2016.08.12 Friday 16:09】 author :
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        1853: 米人が相変わらずノ〜タリン
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           総理に「真珠湾に来い」・・・米人が相変わらずノ〜タリンなのは、日本人が思考停止のままアンポンタンを誇示してるからww
           広島訪問に応えるならオレゴンの風船爆弾被害地訪問だが、「対日無差別爆撃に対する復仇としては全く効果が無かった。」などと正直に言わず、「日本に対する米軍の都市爆撃は、ヒトラーの罪に匹敵する原爆投下と比較し、ナチ将兵のホロコーストと同様に各機の機長・爆撃手によって、大量の民間人を虐殺するという明らかな人道犯罪が行われたのは、甚だ残念」スピーチww・・・米人「安部さん来なくて良いです。」

           真珠湾というなら、真珠湾報復のドゥリトル空襲と比較してみろよw。
           日本軍は軍事目標だったが、米軍目標は民家・病院・国民学校だったといっていい。この空襲虐殺犯らを、米国は「80名の勇士」と称えるために無差別爆撃を否定し、日本が実施した戦犯裁判関係者を、戦後「不当裁判を実行した。」戦犯として有罪にし、虐殺犯の名誉を回復したw。
           
           掲示板の頃は、バカな投稿をすれば、年齢性別・社会経済的地位に関わらず、批判が集中しバカの多くは淘汰された。
           SNS隆盛の今は、誰でも簡単に自分の思い込みや思い付きを発信出来てしまうため、自分に発信力があると思い込み、これに見合う読み能力・・情報を収集分析する能力が伴わない。
           読み書きバランスの劣化が、そのまま日本人の劣化に繋がっている。
          【2015.11.01 Sunday 06:03】 author :
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          1852:【韓国の反応】「オバマと抱擁した森重昭氏は、40年以上かけて米軍捕虜被爆兵士の遺族全員を探し出し、米軍兵士のための慰霊碑を建てた人」
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            http://oboega-01.blog.jp/archives/1057964741.html

            原爆の犠牲になった米軍兵士とアマチュア歴史家

            趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさんが、ジュリアン・レイオール氏(英国デイリー・テレグラフ紙記者)のコラムを紹介してました。二重翻訳での紹介。
            長いですが、すてきな記事なので、ぜひ全文お読みください。

            150920_0007-010001



            原爆の犠牲になった米軍兵士とアマチュア歴史家

            バンダービルド


            ジュリアン・レイオール(英国デイリー・テレグラフ紙記者)のコラムを紹介


            1945年8月6日に広島に投下された原爆によって亡くなった犠牲者の中には、12人の米軍捕虜も含まれていた。
            アマチュア歴史家の「森重昭」(79歳)さんは、40年以上を捧げて被爆米兵の遺族全員を探した。
            米国の映画監督のバリー・フレシェットは、その記録を「Paper Lanterns」というタイトルの映画で紹介した。

            40年の間、森重昭さんは、広島原爆で犠牲になった14万人ほどの人々を含む被曝米軍兵士12人の記録の断片(パズル)を合わせていった。 
            2016年に79歳になった森さんは、本人も被爆被害者だ。
            自らを顧みず献身してきた彼の偉業は、被爆米軍の犠牲者「ノーマン」と、学生時代に親しかった友人の甥(映画監督のバリー・フレシェット)に知られる前までは、世の中にまったく知られていなかった。

            「森さんは40年もの歳月を注いで、被爆米軍の謎を解いてきました。アマチュア歴史家として史実を非常に重視している森さんにとって、仔細で詳細な歴史的な発見が非常に重要だったからです。12人の米軍飛行士に敬意を表して、人々の記憶を一つ一つたどって、遺族に対して何が起きたのかを知らせたかった森さんは、ついにその仕事をやり遂げたのです」とフレシェット監督は言った。

            バリー・フレシェット監督と森さんが出会った運命は、監督が生まれるはるか前、米陸軍所属B24爆撃機のロンサム レディー号とトロア号が、別の2機の米海軍の戦闘機と共に、 1945年7月の終わりに日本巡洋艦を爆撃して撃墜された時点からすでに始まっていた。
            撃墜された爆撃機の乗組員がすべて生き残ったのではなかった。
            パラシュートで降下して日本に救助された13名は、近くの都市の広島の日本軍憲兵隊司令部に護送された。
            その後、トーマス・カートライト中尉は尋問のために東京に移送された。
            この分かれ道が、トーマス中尉の命を救うことになった。

            1945年8月6日の朝8時15分に原爆が広島上空で爆発したとき、米軍捕虜が抑留されていた憲兵隊司令部は、爆心地から400メートルの距離だった。
            9人の捕虜は即死した。
            シアトル出身の「ヒュー・アトキンス」軍曹は奇跡的に生き残ったが、次の日に放射能の症状で死亡した。
            残りの二人の「ラルフ・リール」軍曹と「ノーマン」上等兵は、原爆が600メートル上空で爆発する直前に、尋問を受けるために憲兵隊からやや離れた場所に移送された。
            しかし二人もまた、原爆の影響から完全に逃れることはできなかった。
            日本人医師からの応急処置と治療を受けたが、13日後に放射線症状で死亡することになって、日本の憲兵隊員によって葬儀が行われた。
            8月9日、第二の原爆が長崎に投下されて、日本は8月15日に降伏した。

            1945年当時8歳だった森さんは、広島を覆う惨禍の中で九死に一生で生き残った。
            森さんは、当時の状況をこう語った。

            「爆発当時、爆心地から2.5キロ離れた北西の方の丘にいました。爆風に押されて川に落ちて、やっと意識を取り戻した時は、キノコ雲の真ん中にいました。世界中が暗くて、目の前10センチメートルの距離の私の指の動きですら見えませんでした。焼けるような感じ(熱気)が信じられないほど強くて、周辺の木々や家、そして、その中にあるものが空中に吸い込まれて巻き上がっていました。地球が爆発したのではないかと思いました」

            戦後、森さんは、自らの人生設計に邁進した。
            学校では特に歴史科目に興味があったし、成績も非常に良かった。
            森さんは歴史の教授になる夢を育てていくと同時に、大学卒業後は大手証券会社、そして後には楽器メーカーヤマハで定年まで働いた。
            リサーチ(調査活動)は週末を利用した。
            森さんの歴史研究への情熱は、持続した。 
            38歳の時に森さんは、当時の米軍の飛行機が、伊陸村(現在の山口県柳井市)近くの山に墜落したという話を聞いた。

            「この話を聞いて、私は実際に墜落したという現場を訪ねて、農家の噂をたよりにして捜した結果、みんな墜落の事実をよく知っていました。そして、彼らは墜落現場に私を案内してくれました」

            森さんが現場で目撃したのは、米軍爆撃機の「ロンサムレディー号」の残骸だった。
            その後数年間の研究を通じて、森さんは米軍の乗組員の名簿一人一人をすべて把握して、かれらが広島憲兵隊司令部に移送されたことを明らかにした。
            併せて、その後に墜落した別の米軍の爆撃機の乗組員三人も捕虜に追加されたことも分かった。

            しかし森さんは、名前を確認しただけでは満足できなかった。
            可能なら遺族を見つけ、自分が明らかにした情報を最大限に伝えようと思った。
            政府機関は事実上、参考にならなかった。
            まず死亡した米軍のファミリーネーム(姓)を探して、同姓のアメリカ人を見つける作業から着手した。
            当時、携帯電話で国際電話オペレーターの通訳を介して、ワシントン州を皮切りにして、米軍の死者とファミリーネームが一致する人を探し始めた。

            「調査は簡単ではありません。私は心臓の機能に問題があって、米国現地に行くことができませんでしたし、米国には50個もの州があって、同じ姓を持つアメリカ人が無数にいたからです。それでも、死ぬまで探そう、何とか遺族を探して、死亡した米軍兵士の写真と名前を正式に平和記念資料館に原爆犠牲者として登録しなければと決心しました」

            国際電話通話料金の請求書は、毎月7万円ほどになった。
            調査はずっと難航した。
            そしてついに、「ジェームズ・ライアン」の兄「フランシス・ライアン」と出会ったのだ。

            「被爆米軍兵士の名前を最初に平和記念資料館に登録する時、思わず涙があふれました」と森さんは当時を思い出した。 
            「誰にも知らせずしていた仕事だったので、誰からの助けを受けることもありませんでした。困難が続きましたが、私は何とかこれを成し遂げたかったのです」

            「フランシス・ライアン」から出撃前に撮った写真をはじめとする新しい情報を得ることができたし、B24爆撃機ロンサムレディー号の機長の「カート・ライト」中尉を見つけることに成功した。 
            「カート・ライト」氏とは、それ以来20年以上の友情を築いた。
            カート・ライト氏が昨年(2015年)に亡くなるまで、お互いに交換した手紙は100通を超えた。

            「広島には原爆犠牲者のための数十個の慰霊碑があります。しかし、犠牲になった米軍兵士のための碑は一つもありませんでした。私は幸いなことに生き残りました。だから、生き残った私は何とか遺族を見つけ、愛する家族(米軍兵士)の最後の様子を伝えなければという気持ちがより一層切実になりました」

            1999年森さんは、12人の被爆米軍の犠牲者の記念碑を広島憲兵隊司令部のあった場所に建てた。 
            2012年には、トルーマン大統領の孫のトルーマン・ダニエルさんと共に、この記念碑に献花して、弔意を表した。
            徐々にこのような森さんの努力が世に知られるようになって、米国メリーランド州の米国州立国会図書館の膨大な資料をはじめとする他の様々な膨大な資料をもとに、最終的に12人の被爆米軍の犠牲者全員の遺族を見つけ出すことになった。

            森さんは、最後の12人目の米軍の遺族を探し出したとき、もう目的を達成したという気持ちにしばらくなっていたが、決して研究活動からは手を離さなかった。
            今は二番目に原爆が投下された長崎で犠牲になったイギリス軍とオランダ軍捕虜の遺族の行方を探しているところである。

            被爆米軍の「ノーマン」上等兵の遺族は、森さんが様々な情報を送ってくれたことに対し、森さんに心から感謝している。
            このような事情をノーマンの学生時代の友人の「エディ・シャンドゥネ」が知ることとなった。
            「エディ」は、自分の甥の映画監督「バリー・フレシェット」に、ノーマンの遺族らが長い間知らなかったノーマンの最後の詳細を知ったことを喜んでいると伝えた。
            バリー・フレシェット監督は、「遺族が整理しておいたノーマン関連の本を手に入れて読みましたが、すぐに熱中しました。その話は広島で被爆した12人の米軍の話でした。ところで、私たちの世代の人々は、このような話を全く知りません。そのため、この話を世の中に知らせなければという考えを持つようになりました」と述べた。

            バリー・フレシェット監督は、2013年の春、初めて森さんに連絡を取った。
            そして翌2014年2月には、ノーマンの遺族が渡した本の内容が本当かどうかを直接本人の目で確認するために、単身で日本に入国した。
            監督はこう言った。

            「森さんの家に到着して応接室に入ると、乗組員一人一人の書類が、ピアノや応接テーブルなどの上にぎっしりと置かれていました。森さんは、それぞれの乗組員について、驚くほど詳細で正確に調べていました。結婚していたのかどうか、子供がいるのかどうか、子供が何人なのか、出身地と搭乗爆撃機の関連情報など…そして、私はその場でこれを必ず世の中に知らせなければという思いをさらに強くしました。ノーマン氏の故郷のマサチューセッツ州ローウェルに住んでいる人よりも、はるかにノーマン氏についての詳細を知っている人に日本で会うことになるとは、夢にも思いませんでした」

            監督は最近2年間のドキュメンタリー制作に集中する中で、「ノーマン」氏の甥「スーザン・ブリセット」氏と「レルプ・ニール」氏と一緒に日本を訪問した。
            ノーマン氏の遺族と森さんとの出会いは、実に感動そのものだった。
            このシーンは監督の映画「Paper Lanterns」のクライマックスに入った。
            映画は米軍それぞれの遺族と、ピースの形になっていたパズルを合わせていくアマチュア歴史家森さんの話だ。
            森さんは、映画の最後の部分でこう言う。

            「戦争とはこのように悲劇的なことです。今後の世界は常に平和であることを願っています」

            ○森重昭(79歳)
            -1937年生まれ、アマチュア歴史家、広島被爆の経験者。現在、妻の佳代子さんと広島在住。二人の子供がいる。


            150920_0007-010001
            米軍捕虜原爆被害者12人の身元確認作業をした「森重昭」(79歳)氏と抱擁するオバマ大統領。= 27日午後6時08分。


            引用ソース
            https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=135245&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


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            *涙が…
            森重昭さんの涙が尊いのは、彼が自分のために泣いたんじゃないからだと思いました。
            かつての米兵が、現米軍の最高司令官である大統領に、亡くなった場所ではじめて慰霊を受けたことについての喜びの涙じゃないかなと思いました。


            こんないい話の後に、こんなことを書きたくない気持ちもあるんですが、書いておきます。
            いや、だからこそ、普段から私が韓国メディアを一人アホみたいに山のように読みながら感じてる「思い」を書いておかなくちゃと思います。

            朝鮮人のためにこれと似たような活動をした日本人もたくさんいます。
            そしてそれは、韓国メディアでも時々取り上げられています。
            韓国ネットで芋づる式の記事サーフィンをやっていると、そういった記事にもちょこちょこ遭遇します。

            でも、英国デイリー・テレグラフ紙記者さんの書いたこの記事を読んだときのような洗われるような気持ちにはなりません。
            おそらく私に限らず、韓国メディアが書いた記事を日本人が読むと、多くの人が、泥を食べさせられたようなザラザラした不快な気持ちになるでしょう。

            どういうことかというと、韓国メディアはこういった人の活動を、「韓国式の気持ち悪い構図」でしか紹介しないからです。

            たとえば「人生のすべてをウリナラに対する贖罪の旅に捧げてきた日本人がいます。」とか。
            たとえば「こんな日本人は少ないですが、日本人は彼の姿を見て、何かを感じるべきでしょう。」とか。

            意味が分かりますでしょうか。
            徹底的に「ウリナラは被害者、日本は加害者、それを自覚せよ」なんです。
            すべての罪を日本人に押し付け、自分たちが無垢な被害者であることを強調し、「甲乙関係」を決める方向性へともっていく記事にしかなってない。
            彼ら韓国人は「正しい日本人」と「正しくない日本人」を組み分けし、そういった活動をしてきた日本人を「正しい日本人」に分類して褒め称え、他の日本人に対して「彼のような日本人にならなければならない」と上から説教するんです。そうやってすべての日本人を「ウリナラの考える正しい贖罪日本人」に染め上げることが、正しい歴史和解への道だと心底思ってるんでしょう。
            さらにその日本人に日本の政治や政権の批判などを必ずさせて(質問してるんだろうなと思います)記事を締めくくる、みたいな。
            なんなんだ、この記事は…と思う。
            韓国にとって和解というのは、「善と悪を決め、善が求めれば悪の側はいつでもどこでも土下座すること」です。

            でね、そういった日本人のことをそのままうちのブログで紹介すれば、おそらくその日本人に対しての罵倒でコメント欄が埋まるでしょう。てか、過去記事でそういうことがありました。
            もちろん私も「もうやめてほしい。韓国の論理に利用されるだけで、いくらやっても和解になんて繋がらないから。」みたいなことは書くけど、あまりに心ないコメントだらけになったり、その日本人がただ在日扱いされてるのを見たりすると心が痛む。もちろんそういう日本人の中には、すっかりサヨクの(韓国の)異常論理に染まった人もいるけど、みんながそうじゃない。
            だってそもそも悪いのはその日本人じゃないから。そういう日本人の根っこにあったものは、ここで紹介されてる森さんと根本的には何も違わないはずだから。
            違うのは、「相手が米国人だったのか、朝鮮人だったのか」という違いだけです。それだけなのに、あまりにも大きな違いだと思います。
            善意の活動がそうやって利用されることに胸が痛むと同時に、やはり「もうやめてほしい。韓国の論理に利用されるだけで、いくらやっても和解になんて繋がらないから。」と思う。

            大量にそういったものを読み、私は、心の底から韓国とは価値観を共有できないと確信するに至りました。
            これは理屈以上に、肌で感じたことです。
            ここには理屈を書いてますが、理屈以上に「大量の記事から感じた肌感覚」があるんです。

            今回の件で、なおさらそう思いました。
            とりあえず総評を求めて韓国各メディアの社説をざっと読んだけど、見事に論調は同じ。
            上から目線で日本に「これで免罪符を得たと勘違いするな!お前らは加害者だ!」を言いまくってました。苦々しさと恨みが文面からオーラのように匂い立ってくる、背筋の寒くなるおぞましい記事です。


            ちなみに頑張ってきたのは民間だけじゃないです。
            日本政府もさまざまなことをやってきている。
            紹介されてる方も多いですが、↓これね。産経の黒田さんの記事。

            韓国人被爆者への支援、実に40億円も「冷淡」と言われヤル気うせる

            「ヤル気うせる」…うん、ホントそうだよ。
            何しようが、韓国からかえってくるのは、「謝罪せよ!賠償せよ!」の連呼。
            日本政府がしたことなど報道せず、ひたすら「日本はなにもしていない」「日本は反省していない」の連呼。

            改めて、韓国には謝罪の気持ちなんて一片も必要ないです。
            なにも必要ない。きっぱり無駄です。
            彼らに関わると、気持ちがささくれだち、日本人からどんどん優しさが消えていく。
            本当に無駄です。

            日本の地で亡くなった米国兵士の慰霊、日本人は喜んで受け入れることができる。かつての敵兵ですが、日本人はそれを嫌がらない。それどころか、もし嫌がる日本人がいれば、非難の的になるでしょう。
            韓国の地で亡くなった日本兵士もたくさんいます。
            でも、韓国の地で慰霊することなど不可能です。
            あの国がそれを日本のようにあたたかく受け入れられる国になるまでは、あの国との和解など不可能だと私は思います。
            つまり、今後も永久に不可能だということです。

            日本人の考える和解は、かつての敵国が互いの犠牲を共にいたみ、共に互いの兵士を称えること。
            韓国人の考える和解は、「日本が悪」と両国で確認し、韓国の犠牲者だけいたみ、日本兵の墓には両国で仲良く唾を吐くこと。

            唾を吐けますか?
            私には無理です。

            犠牲になった広島被爆米兵(姓名アルファベット順)

            名前    出身地    搭乗機
            ヒュー・アトキンソン    ワシントン州    ロンサム・レディー号
            チャールズ・バウムガートナー    オハイオ州    タロア号
            ノーマン・ブリセット    マサチューセッツ州    SB2C ヘルダイバー小型爆撃機
            ジョセフ・ダビンスキー    ペンシルバニア州    タロア号
            バッフォード・エリソン    テキサス州    ロンサム・レディー号
            ジョン・ハンシェル    ウィスコンシン州    グラマンF6F 戦闘機
            ジョン・ロング.    ペンシルバニア州    ロンサム・レディー号
            ダーデン・ルーパー    アーカンソー州    ロンサム・レディー号
            ジュリアス・モルナー    ミシガン州    タロア号
            ラルフ・ニール    ケンタッキー州    ロンサム・レディー号
            レイモンド・ポーター    ペンシルバニア州    SB2C ヘルダイバー小型爆撃機
            ジェームズ・ライアン    ニューヨーク州    ロンサム・レディー号
            【2015.11.01 Sunday 06:03】 author :
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            1850:世界を驚かし、チナが嫌がる対抗遺産申請手段
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              ”日本の拠出金停止”に、ユネスコ打撃必至!?

               今日本がヤレるこたぁ、ナンだ?
              天安門・文革登録申請?
                ただチナが嫌がる事だけ、やれば良いってか?
               こんな浅慮な連中の思いつきは、日本の役には立たない。
               
               天安門や文革は、世界が知ってる。戦略も無しにやるのは特亜とオンナシw。
               具体的にどうするかは、世界が知らんことを遺産対抗申請しろヤw。
               
               上海事変の時、日本軍が何をやってたかと言えば、中国民間人の避難誘導だ。中国では、混乱時にチナ軍や匪賊盗賊が民間人を襲撃する。不要な混乱は戦闘の邪魔にもなるから、日本兵が中国民間人を護衛しながら避難させた。これは日本でも写真報道されたが、欧米も転載したはずである。
               戦闘前に、敵民間人の安全確保をしたのは日本軍だけ。
               南京では民間人30万人を大量虐殺したというのに、その直後の黄河決壊でも、チナ軍追撃を放棄してまで、また敵民間人を救出している。
               この救出作戦も新聞報道されている。
               
               南京虐殺が遺産登録された今なら、前後のトモダチ作戦も遺産登録確実だろw。
               前後に、人道的行為で敵中国人に賞賛されていた日本軍が、南京でだけ非人道的大虐殺をしていた。・・・ならば、前後の人道的行為が注目され、逆に南京虐殺って、ホンマか?になる。チナの遺産申請がヤブヘビだったと思わせる方が、世界を驚かし、チナが嫌がる対抗手段である。

              【2015.10.17 Saturday 01:38】 author :
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              1845:渡辺謙、このオッサンはもうボクの中では消え去ったw。
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                渡辺謙「戦争の悲惨さ、無意味さをきちんと知ることが大事だ」「日本人は過去の戦争についてあまりにも知らない。」

                 ダンボのアニメに涙してた頃からのファンだったが、一度のヘマでも許せないヘマだから、このオッサンはもうボクの中では消え去ったw。

                クリントさんが語らせた渡辺謙閣下の硫黄島守備方針
                「そもそもこの島の防衛自体、いやさらには、
                 この戦自体無理な事なのかもしれません。
                 しかしだからと言って、諦めるのですか。
                 われわれはこの島を死守しなければなりません
                 最後の一兵にいたるまでです。
                 我々の子供らが、日本で一日でも長く、安泰に暮らせるなら、
                 我々がこの島を守る一日には意味があるのです。」
                 
                 
                クリントさんの御言葉
                「若い日本兵たちは島へ送られたとき、十中八九、生きては戻れないことを知っていました。
                 彼らの生きざまは歴史の中で描かれ、語られるにふさわしいものがあります。
                 私は、日本だけでなく世界中の人々に彼らがどんな人間であったかをぜひ知ってほしいのです。
                 ・・・戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 だから、この2本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。」
                 
                 クリントさんと渡辺謙、品格が違いすぎるww。

                【2015.10.05 Monday 21:03】 author :
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                1843:南京と慰安婦の世界遺産申請対抗手段
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                    日本も負けずに、東北の友達作戦とセットで、黄河決壊救出作戦・河南省 饑餓救済作戦・日本軍有り難うお返しに中国軍40万はボクらがやっつけちゃる作戦を世界遺産にしろw。

                  黄河決壊救出作戦:日本軍の進軍を妨害するため、チナ軍が黄河を決壊させ、中国人民に大損害を与えたが、その時日本軍は戦争を止めて、小舟を集めて水害人民救出作戦を実行し、食糧毛布を配り、南京計算法で3000万人以上の善良な中国人を救出した。
                  河南省 饑餓救済作戦:河南省が飢饉になった時、日本軍が食糧を買い集め配布し、3000万人以上の餓死寸前の善良な中国人を救出した。「日本軍が配ったのは奪った米」というバカ日本人がいるが、日本軍は中共軍とのコネで無事だった解放区の米を買って国民軍に恨まれ、日本のせいで米価が高騰したと人民に恨まれ、それでも人命尊重のために頑張った。
                  日本軍有り難うお返しにチナ軍40万はボクらがやっつけちゃる作戦:餓死する中国人を救ったのは日本軍だけで、チナ政府は義援金ピンハネ、チナ軍は人民から奪うことしか考えてなかったので、キレた人民は「日本軍と戦う奴らはボクらの敵だ。」と、40万のチナ軍と戦って全滅させちゃった作戦。

                   これこそ世界遺産に相応しいww。
                   

                  追加で、南京盲売救出作戦:南京占領後城内の治安維持日本部隊が、3000人・・・3万人だったワw売春婦集団を救出した。彼女たちは、客の選り好みをしないように目を潰されていた。同情した日本軍は多数の軍医を招集し、網膜移植手術を行った。後の石井部隊である。南京の日本兵は何故か隻眼の兵士が多かったw。後段のウソも、国連ってのは言ったモン勝ちだからww。

                  【2015.10.03 Saturday 18:07】 author :
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                  1842:国際法上。2発以上の合法的核攻撃権があり、核反撃されない権利を有する国は日本だけwww。
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                     核兵器は交戦法規で禁じられているB級通例戦争犯罪兵器であるが、それ以上に明白なC級人道犯罪兵器である。

                     違法な攻撃をされた日本には交戦法規上戦時復仇権がある。これは違法攻撃を止めさせるために同程度の違法攻撃によって反撃する事が許される権利で、戦時復仇された国には復仇権は認められない。
                     国連に敵国条項がある日本は、いつでも戦時になる。核保有している国家は「違法攻撃するぞ」と宣言・脅迫しているようなもので、特に日本に照準を合わせている国は犯罪実行可能性が高い。
                     2発核攻撃される可能性が高い米国は、永遠に日本の核保有は認めない。

                     だが、日本が核保有していない今だから出来る核恫喝がある。
                    核保有国に核シェアを申し入れたら、他人事のロシアは喜んで応じる。チナも核照準を外して応じるかもしれないw。
                    簡単に核保有できる日本だから、まずアメリカが強硬に土下座してシェアしてくれるだろうww。
                     人的被害のない地域に事前警告攻撃して、「これ被害無いからノーカンね。もう一発追加シェアね。」でどんだけでも恫喝できるww。

                    【2015.10.03 Saturday 18:04】 author :
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                    1839:なぜ「敗戦」と言わずに「終戦」と言うのか その理由を考察・・・東京新聞の長谷川氏、一部要約
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                      NEWS ポストセブン 8月10日(月)16時6分配信http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150810-00000023-pseven-soci

                      「映画『日本のいちばん長い日』を見て、なぜ「終戦」と言うのか疑問だったが、映画を見て少し謎が解けた。
                      指導者たちにとっては「どうやって戦争を終わらせるのか」こそが重大問題だったのだ。

                      陸軍の青年将校たちは「それ行け、どんどん」で満州に攻め入った。だが、いったん火がついてしまうと、軍部も政治家たちも自分たちで始末を付けられなくなった。

                      結局、どうにもならなくなって、天皇が「聖断」を下すことで戦争を終結させた。戦争の終わらせ方こそが最大の難問になってしまったのだ。

                      この無責任体制は、実はいまも残っている。政治家と官僚は政策を始めるときこそ意気軒昂だが、それが失敗と分かっても止められず、責任もとらない。

                      それからもう1つ。あの戦争は何だったか。いまも「自存防衛のやむを得ない戦争だった」という意見がある。ソ連の南下を満州で阻止するのに加えて、人口急増問題を解決するためにも満州開拓は不可欠だったという説だ。

                      しかし、だからといって日本が武力によって他国の領土と主権を侵し、権力を握ろうとした行為を正当化できるか。私にはできない。

                      元老・伊藤博文は1906年の時点で「満州は純然たる清国領土」と指摘している。当時でも「日本が満州に軍事侵攻すれば侵略になる」という認識があった証拠ではないか。いま日本が「満州事変は侵略でなかった」などと唱えれば、中国の南シナ海での無法行為も非難できなくなってしまう。

                      あの戦争は日本の侵略戦争だった。歴史家は過去の目で過去を見るのかもしれない。だが、私は現在の目で歴史を評価したい。それがいま過去を総括し、より良い未来につながると思うからだ。」

                      これに対するネットのマトモなご意見w。


                      ポツダム宣言の 
                      吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ 
                      吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上 
                      日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ 
                      を受け入れたから終戦というのではないの? 

                      「敗戦」ではなく「終戦」といったのは穏当な言い換えで支持できる 
                      毎年敗北の屈辱を想起させるのは却って不健全なナショナリズムを涵養することになりかねない 
                      毎年反日感情を高める中国の「国恥記念日」のようにしない上でも妥当な判断 

                      日本が終わらせたから終戦。それ以外に無い。 

                      やる気になれば本土決戦も辞さず。その準備も進めていたのだ。 
                      硫黄島・沖縄決戦での米軍死傷者に換算すれば日本本土決戦には持ち込めないのが米軍です。 
                      日本にはその覚悟が有ったのだ。だから終戦なのです。 
                      日本が自らその意思で、大東亜戦争を終結させたのです。 

                      何故か、それは天皇陛下のお言葉に有る様に 
                      バカが大量破壊兵器(原爆)を行使した、続ければこのバカが使い捲る事態を生み 
                      世界が滅ぶ事を懸念したからである。 
                      日本民族や世界の民を滅ぼす事に成りかねない事態を危惧し、終わらせたのです。 

                      天皇陛下の玉音放送の全てを聞けばその意味が分かります。

                      有名な杉原千畝や樋口季一郎だけでなく東京裁判で処刑された日本のA級戦犯たちは、実は全員がシンドラーでした。 
                      強硬な反ユダヤ主義者であった英国チャーチル首相や米国のルーズベルト大統領、それにハル国務長官の介在から、 
                      ユダヤ系難民1000名弱を乗せた船が米国政府の指示による湾岸警備隊の実力・武力行使により接岸拒否されて 
                      送り返されていた1939年のセントルイス号事件や、反ユダヤ主義・イギリス政府による関係諸国への強い警告と 
                      圧力によりカリブ海中米や地中海沿岸の国々でユダヤ人難民船の接岸拒否と滞在・通過ビザの発給停止が多発し、 
                      その結果、多くの人々が欧州に送り返されて収容所送り=ホロコーストの運命となり亡くなっていたこと、 
                      英国の巡視艇から突如銃弾を浴びせられて多数の死傷者を出した難民船・タイガーヒル号事件や、2ヵ月以上も接岸を拒まれ続けて 
                      行き先を失った船もろとも沈没し、800名弱が犠牲者となった1941年のストルマ号事件の様な酷い事例の数々とは違い、 
                      日本政府は欧州から大陸シベリアを経て遠路逃れてくるユダヤ難民たちを、人道的見地からも庇う施策を閣議決定し 
                      当時同盟関係にあったナチス・ドイツ=ヒトラー側からの強い抗議と再三にわたる返還要求も断り続けて 
                      舞鶴・神戸など日本国内と居留地・上海、満州等で累計2万人以上のユダヤ人たちを匿い救っていた英雄です。 
                      現在、靖国神社に祀られている彼らについて意見は様々有りますが、人道・人権を唱えては重んじる欧米の諸国には 
                      これら非常に不都合な真実となる歴史について修正したり否定したり、消し去ったりすることは出来ません。 

                      そんな日本と靖国を批判する上で世界の共感を得る為に、毎度ヒトラーとナチスを性懲りもなく持ち出しては重ね合わせ、 
                      声高かつ酔狂に叫び続ける韓国と中国はまずその間抜けな歴史認識を改める必要性がありますが、最近では彼らと一緒となり 
                      抗議してくるユダヤ系人権団体の人々も、この上なく無知で呆れ果てた人達なのかと言わざるを得ない話でもあり、 
                      今も世界で学ばれて当たり前に流布されている勝者に都合良く選択されたプロパガンダ臭のする歴史話だけではなく、 
                      これらかつての戦勝国側にとって極めて不都合な真実となる歴史にも皆が謙虚さをもって向かい合うこと、そして経緯を考えれば 
                      直接の加害者であるドイツの責任だけでなく、ユダヤ難民に酷く冷淡で拒み続けていた英国と米国、更にはフランスさえも 
                      共犯であり合作だと言えるホロコーストという人道への罪を繰り返さないために、平和と人道への罪という理由付けで 
                      そのまま彼らの手で処刑された日本側の面々ですら多くを匿い救う事の出来ていたユダヤ人達の話は、今もかの国には有りがちな 
                      二枚舌の言い訳とダブルスタンダードと、この問題の奥底に深く存在していた原罪のすり替えを許す事なく 
                      忌憚なく語られてこそ、これからも世界で共有されて考察されるべき大切な歴史案件になるのだと思われます 

                      植民地解放と国体維持が出来てるのに敗戦ってのもどうかね? 
                      英仏にかつての栄華はなくソ連は消滅し中国国民党は大陸から追い出され米国はつい半世紀前まで選挙権もなかった黒人が大統領だ。 
                      歴史を直視すれば誰が勝者かは明白だわな。 
                      ただあまり喧伝せん方が賢いとは思うが。 

                      ポツダム宣言の正式受諾は8/14、軍に対する降伏命令8/16、降伏文書調印は9/2、国際法上の終戦は1952/4/28の講和条約発効日

                      彼によれば、現代の価値観で歴史を評価するのは 
                      ジャーナリストの権利らしい。 
                      どんだけ傲慢なんだよw」

                      意外と真理を突いてるのが・・・「終戦と配線の違いもわから無い情弱」だったww
                       
                      以下私見

                      東京新聞の人なのにというだけで高評価だが、誤報の責任取らなくていいとか、歴史家は過去の目で過去を見るのかもしれないが、ジャーナリストは現在の目で歴史を評価するとか、相当面妖な事を言ってるw。

                      満州国が、漢民族の国家・領土では無いことや、日本はポツダム宣言提示までは国家無条件降伏を要求されていたという事実を無視する、歪曲捏造の東京裁判史観を信奉する人なんだね。

                      ジャーナリストは現在の目で歴史を評価するというが、ジャーナリストだからって、ジャーナリストだからこそ、史実無視では歴史を評価出来ないのだから、ジャーナリストを言い訳にしたただのプロパガンダは止めた方が良いw。

                      敗戦を終戦と言い替えたのは、責任転嫁や無責任体制によるものではない。部隊が敗戦したり戦況により撤退したり俘虜になった時、日本軍は将兵をどう処遇したかを理解していないから、こんな愚かなことを言う。
                      日本軍は、将官が俘虜になったらお構い無しの事もあったが、ノモンハンのように敗戦したら連隊長クラスでも自決強要された。非常に優秀で部下想いと評判の指揮官が、逃げたと言われ憤激して自決した例もある。最前線にいて負傷し、戦死したと思った部下が埋めたのだが中国兵に見つかり、敵の指揮官が日本士官学校出だったので救命された。しかし、帰国したら「自決しなかった」と自決強要された。一般将兵も俘虜になったら、将校は自決、兵隊は戦死任務を強制された。
                      負けたり俘虜になるくらいなら自決を選べ、そのような軍隊が降伏する時、「敗戦」では、投降して俘虜になるくらいなら自決しようとする者が出る。「陛下の命令で終戦した。だから投降による俘虜ではない。」その方便のために「終戦」にしたのである。
                      敗戦を知らず、戦闘を続ける部隊に、日本軍降伏を伝えに行った日本兵が、友軍に殺されてしまう例が少なくなかった。餓死寸前で戦い続ける友軍を救うには、敗戦より終戦だろ。
                      それでも多くの将兵が敗戦を悲観して自決したという史実を忘れてはいけない。
                      【2015.08.12 Wednesday 21:08】 author :
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