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    【2017.08.23 Wednesday 】 author : スポンサードリンク
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    1856:何故、こんなバカな事が起きているかと言えば、日本人が戦犯裁判に無知なためである。
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       例えば、日本政府が、アジアを侵略していた欧米に対する侵略を認定した東京裁判判決を無視し、侵略対象をアジアに歪曲捏造する反日プロパガンダの村山談話を踏襲してきたのと同様に、「日本軍は残虐だった。」という連合国側の主張は、連合国が管轄したB級戦犯裁判に基づかなければならない筈なのに、実際には、何の根拠も無い反日プロパガンダが史実であるかのように語られているのである。
       櫻井氏が批判する神父9名殺害事件は、中国・オランダ共に戦犯捜査の際に問題視されず、起訴されなかった。
       オランダ人神父ら9名を日本軍が殺害していた事実があれば、オランダを含めた連合国が必ず起訴して、万が一の起訴漏れがあったとしても、中国が代わりに起訴して死刑判決が残されている筈である。しかし、そのような裁判記録は存在しない。
       終戦直後に、絶対権力により犯罪を捏造してでも日本兵を処刑していた中国・オランダが見逃す事は無い。
       この神父9名殺害事件も、戦犯裁判判決に基づかない、単なる反日プロパガンダに過ぎないのだが、外務省や反日日本人は、裁判記録を確認しようともせずに反日プロパガンダに迎合しているのである。
       この構図は村山談話と同様である。
       
       3.11でも、社会規範を守ろうとする日本人の姿に世界は驚いた。「戦中に残虐だった日本人は変わった。」という意見があった。70年で民族性は変わるのか?
       1910の第六潜水艇沈没事故で、窒息死する寸前まで職責を果たした日本人の姿に世界は驚き、感動した。
       大半の日本人の民族性は、戦前も戦中戦後、そして現在もほとんど変わらない。
       
       戦中の日本人が残虐だったか否かは、戦犯裁判を検証する事で確認出来る。
       戦犯裁判研究は、マイナーな研究では無く、日本人の民族性を確認する大きな手掛かりになるww。

       

      http://www.sankei.com/premium/news/160801/

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      【2016.08.04 Thursday 22:50】 author :
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      1854:資料・・・朝鮮人捕虜 米の尋問調書発見…日本支配の過酷さ記録
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        毎日新聞2016年6月10日 07時00分(最終更新 6月10日 08時54分) 
        http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/117000c 

        ■米国立公文書館で 

        太平洋戦争終盤期に日本軍と行動を共にし、米軍に捕らえられた民間の朝鮮人捕虜が、戦時動員に基づく慰安婦や強制労働の被害について米軍の尋問に答えた調書が、米国立公文書館で発見された。朝鮮人慰安婦について「志願か親による身売り」との認識を示す一方、日本への労務動員については「連合国の捕虜より待遇が悪い」などと述べていた。朝鮮の人々が感じた日本の植民地支配の過酷さを包括的に伝える内容で、論議を呼びそうだ。 

        ■「慰安婦は身売りと認識」 

        尋問調書は、慰安婦問題に取り組むアジア女性基金が資料委員会を作り、1997年に米国で真相究明の調査をした際、捕虜の回答を発見した。回答はその後所在不明になったが、今年それが見つかり、資料委員会の委員だった浅野豊美・早稲田大教授(日本政治外交史)と毎日新聞が3月、さらに米軍の質問と関連の資料を発見した。 

        米軍は、朝鮮人捕虜約100人を尋問した後、3人を選び、米カリフォルニアにある秘密尋問センターに移送して、45年4月11日に改めて30項目の詳細な尋問を行ったと見られる。 

        調書は3人の捕虜と米軍の尋問者の名前を明記し、3人分の回答を一つにまとめている。「反日感情は約100人ともほぼ同じ」としながら、「(米国から見ると)日和見主義者が多い中、3人はまじめで信頼できる」と評している。 

        慰安婦については、日本軍の募集を知っているか、この制度に対する朝鮮人の態度はどんなものか、それで生じた騒乱や衝突を知っているか、が質問された。3人は「太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は、志願したか親に売られた者だった。(軍による)直接的な徴集があれば暴挙とみなされ、老若を問わず朝鮮人は蜂起するだろう」と答えた。 

        労務動員に関連しては、日本本土に送るのはどんな手続きか、徴用されたのか志願だったのか、家族と手紙のやりとりをできたか、が尋ねられた。3人は「朝鮮人は炭鉱、鉄鉱山の労働や飛行場の建設に従事し、常に鉱山の最も深く熱い場所で最悪の仕事を要求された。通信は許されたが、手紙は全て検閲を受けた」と語った。 

        米軍の捕虜尋問は日本人が多く、朝鮮人だけの調書は珍しい。慰安婦を対象にした尋問には、米軍の心理作戦班によるビルマ(現ミャンマー)で捕らえた朝鮮人慰安婦の報告書がある。今回の調書はその延長線上で、米軍の朝鮮占領をにらみ日本の植民統治に対する朝鮮人の反抗心を探ろうとしたものと考えられる。【岸俊光】 

        ■民族・女性差別の深刻さ浮き彫り…解説 

        朝鮮人捕虜の尋問は日本の植民地支配の実態に迫る貴重な証言と言える。米軍は日本の責任を追及しようと慰安婦や強制労働の被害に注目したと見られる。 

        米軍の尋問は、捕虜には戦争の行方が分からない時点に、圧力の少ない自由な空間で行われた価値のあるものだ。証言は朝鮮社会の底辺の認識をよく伝える。 

        捕虜たちは、拷問を含む強制労働の過酷さを語り、その待遇は連合国の捕虜より劣ると言い表した。 

        朝鮮人慰安婦の募集については、軍の露骨な強制があれば朝鮮の人々の怒りを呼ぶだろうと述べた。 

        慰安婦問題を巡り、日本政府が国連の委員会などで「強制連行を確認できる資料はない」などと強調する立場と一見似た捉え方とも受け取れる。しかし、調書全体を読めば、強制連行があったか否かを論じるだけでは被害の本質に迫れないことが理解できる。 

        これまでの元慰安婦の証言からは、慰安婦にされるとは知らずに、「金もうけができる」と言われて徴集された就業詐欺が多かったことが判明している。 

        社会の女性差別がそこに絡み、見逃せない要因となったのが植民地支配された朝鮮の貧困だった。戦時体制下の生活は次第に厳しくなり、就業詐欺を容易にした。 

        朝鮮人に対する民族差別や人権侵害は、日本統治の深刻な問題だったのだ。 

        慰安婦問題の解決を目指した昨年末の日韓合意は、過去を受け継ぎ、歴史研究を深めていく視点を欠いていた。 

        韓国政府は、合意に基づく財団の設立を急いでいる。植民地の問題に向き合い、認識の溝を埋めなければならない。【岸俊光】 



        見つかった朝鮮人捕虜尋問調書=2016年3月28日、内藤絵美撮影 
        http://api.tkn.jp/tmp/tmp_c94d0824944e212de

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        【2016.06.17 Friday 09:57】 author :
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        1825日本軍が日本人を見捨てると、満州日本人はどうなったか?
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          「日本軍に殺された」と洗脳された沖縄県民は、本州からの工作員の影響で特亜化しつつある。
          以下の述べる「関東軍が見捨てた満州日本人がどうなったか」が隠されているのは、沖縄県民に日本軍批判をさせチナに取り込ませるためである。
          満州で日本人がどのように集団自決していったかを知れば、沖縄県民の集団自決は不必要な死で、その愚かさを誤魔化すために日本軍に責任転嫁した、情けない集団自決であった事が判る。


          [三江省]
          ・三江省職員-(共匪襲撃)100余名死亡
          ・開拓団・千振地区(7ケ団)・閻家地区(4ケ団)-(ソ連軍・共匪襲撃)潰滅的打撃(宮城部落-81名自決)
          ・中川村開拓団-(ソ連軍・暴民)300名死亡
          ・置賜郷開拓団-全滅(自決381名他戦死)
          ・依蘭県民-婦女子主体、200名服毒・小児100名死亡
          ・富錦街・同江県民-船の避難民は全滅、徒歩避難800名の内-チャムス着120名他は不明死亡
          ・富錦県婦女子-(ソ連軍)98名強姦死亡/104名中 
          ・宝山開拓団-全員戦死・自決
          ・撫遠県民-(ソ連軍)生存2名他全滅
          ・朝日開拓団-(ソ連軍)200名死亡
          ・小古洞開拓団-全員自決400名

          [牡丹江省]
          ・寧安街婦女収容所(密山・勃利→)-(ソ連軍・土匪)強姦死亡233名
          ・拉古婦女収容所(東安省開拓団→)-(ソ連軍)強姦死亡725名全滅
          ・東寧県民-半数以上死亡/2628名中
          ・牡丹江省民-(ソ連軍飛行機・戦車-列車襲撃)100名死亡/940名中
          ・綏芬河街民-(ソ連軍)300名死亡

          [東安省]
          ・東安駅爆発-(日本軍爆弾爆発)死傷多数・虎林県民だけで800名死亡(黒咀子開拓団-死526名、不明236名)、後徒歩避難(ソ連軍・匪襲)500名死亡
          ・密山県民-(ソ連軍)400名全滅
          ・黒台開拓団-(精根尽き)老幼500名死亡
          ・哈達河開拓団(麻山事件)-(ソ連軍・匪襲)自決戦死421名(東安省鷄寧県、混成)
          ・清和開拓団-(匪襲)120名死亡
          ・義開完達嶺開拓団30名除き全員死亡
          ・佐渡開拓団跡事件-(ソ連軍)212名死亡/260名中
          ・避難途中犠牲者をだしながらたどりついた7開拓団(3000名)は、20年8月、ソ連軍攻撃自決514名、埴科郷開拓団228名死亡、他の6開拓団も1464名の犠牲者。
          ・虎林県(二見・光開拓団)-虎林要塞戦闘全滅 
          ・虎林沿線軍人家族-422名中蛟河着280名

          [濱江省]
          ・哈爾浜市民-(中共軍処刑)30名、(行方不明)270名
          ・四道河開拓団他-(ソ連軍・匪襲、ダイナマイト自爆)141名死亡
          ・濱県民(満軍・暴民)-358名死亡、救援の財神寄居開拓団-56名、天理村-(ソ連軍)50名死亡
          ・葦河県民-(ソ連軍)50名死亡、周家営開拓団他-自決60名、死亡87名
          ・長発大塔開拓団-(匪襲)154名死亡
          ・高橋村開拓団-(暴民)呼蘭河に投身自殺299名
          ・満洲国立農事試験場-職員家族全員自決-46名(生存1歳児1名)

          [黒河省]
          ・黒河事件-(中共軍)200名死亡
          ・大青森郷開拓団-(ソ連軍・匪襲・オロチョン・山中遺棄)280名/494名中

          [北安省]
          ・瑞穂開拓団-(匪襲)服毒自殺495名
          ・慶安県の開拓団-(匪襲)戦死・自決160名
          ・鳳凰開拓団-(匪襲・ソ連軍) 自決200名

          [龍江省]
          ・富裕県の開拓団-(匪襲)自決356名、斑代開拓団-自決94名

          [間島省]
          ・間島市民-(朝鮮共青同盟)500名死亡

          [通化省]
          ・通化事件-(中共軍)戦死・処刑1200名

          [吉林省]
          ・敦化日満パルプ事件-(ソ連軍・社宅占拠連日婦女暴行)服毒29名-死亡24名、 敦化街-(ソ連軍迫害)3000名死亡/3ケ月
          ・飲馬河事件-(暴民)死傷200名
          ・熊本来民開拓団-(匪襲)190名死亡生存10名

          [安東省]
          ・安東市-(中共軍)省次長、市長等300名銃殺

          [興安省]
          ・各地直接戦闘に巻き込まれ、戦死・自決多数

          [興中地区]
          ・葛根廟事件・興安街官民-(ソ連軍戦車隊)1200名死亡(脱出100名) 
          ・東京荏原開拓団-(匪襲)900余名死亡
          ・仁義仏立開拓団-(ソ連軍・暴民)680名中、戦死・自決469名/680名中、生還20名
          ・巴林左翼旗民-(匪襲)婦女子100名大半自決・殺害

          [新京特別市]
          ・河野村開拓団-婦女子のみ、前途不安自決70名/71名中
          ・新京市民-(国共内戦)死亡300名、負傷1350名


          【個別事件】
          ・小八浪・中川村開拓団事件 (三江省樺川県、埼玉-現荒川村)
          昭20・8・13、避難列車の乗車を拒否して村に止まったが、 治安悪化のため15日徒歩避難を始めた。途中ソ連軍、暴民に襲われ、老幼病弱者自決・幼児絞殺・溺殺等生地獄の惨状を呈した。戦死行方不明300名。約20日後方正に着いたが、その後も惨状は続いた。

          ・小古洞・蓼科開拓団(三江省通河県、長野)
          鶴岡炭鉱脱走のチナ人労働者等に連日女性が犯され、団長はじめ女性・子供254名が服毒自決。 

          ・『東安駅』爆破事件 (東安省)
          昭20・8・10朝、虎林線東安駅において、日本軍の爆弾、砲弾が爆発した。このため、ホームにあった避難列車が爆破、転覆し、一瞬のうちに多数の死傷者をだす大惨事となった。 
          ・孤児50数名東安道徳会に救済されたが、日本語を忘れ残留孤児に

          ・麻山事件(哈達河開拓団) (東安省鷄寧県、混成)
          避難中(ソ連軍・匪襲)、 戦死・自決婦女子421名

          ・佐渡開拓団跡事件 (東安省勃利県)
          [東安省宝清県・長野] 万金山高社郷<戦死420名>、尖山更科郷<294名>、東索林埴科郷<185名>、東横林南信濃<100名>、北哈馬阿智郷<24名> [ 〃 ・茨城] 南哈馬笠間<43名> [虎林県・混成] 清和<371名>
          避難途中犠牲者をだしながらたどりついた7開拓団(3000名)は、依蘭へ脱出の道をとざされ、ごったがえしていた。8月23日夕方、不時着のソ連偵察機を焼いた(終戦不知)。25日、自決514名。26日夕刻白旗を掲げ降伏勧告にきたソ連トラック3台(女性連行用)を射撃して焼いた。27日夕刻、ソ連軍300名が攻撃、埴科郷開拓団本部228名(団員17名、家族211名)は13才の少年1名が生還したほか全滅。他の6開拓団も1464名の犠牲者を出した惨事となった。<資料>により犠牲者数異なる。


          ・通化事件 (通化省)
          46/2、 中共軍は、旧日本軍人が国府軍と内通して反乱を企てたとして、多くの無関係者が逮捕、125名を射殺された。民間人多数が巻き込まれた惨事として有名。
          ・五家站来民開拓団 (吉林省扶余県、熊本)

          現地警察に武器を回収された後、警察命令による多数住民の襲撃により、全員青酸カリ自決275名。生存者は団長命令により報告者として脱出した1名のみ。

          ・ 敦化(日満パルプ)事件 (吉林省)
          工場社宅がソ連軍に占拠され、連日夫人達が暴行され、ついに30余人が青酸カリ自殺 をはかった。死にきれず助かった人は子供をいれて5名であった。

          ・国立農事試験場 (哈爾浜)
          8月16日、場長以下45名全員自決(大部分が婦人と子供、生存1歳児一人のみ)

          ・大青森郷開拓団 (黒河省遜克県、五戸・青森・尾上統合)
          8月13日、470名の一行は小興安嶺の未踏の密林を越え、大湿地帯を渡って、遠く1200キロ彼方の北安めざして南下した。道に迷い、賊に襲われ、飢えと疲労に困憊し、山中に老幼傷病者90名を残したが、迎えに行くことも適わず、さらに難行を続け、75日目にハルピンにたどり着いた(生存者176名、死者151名、生死不明143名)。

          ・瑞穂村集団自決 (北安省綏稜県、混成)
          敗戦後、原住民に襲われ、あるいは「治安維持会」から迫害され、昭和20年9月17日未明、晴着で身を飾った団員たちが本部に集合次々と自決した。総員1056名の内、 犠牲者495人の殆どが女子、子供だったという。 その後も犠牲者、苦難が続き、 21年5月ハルピンで生存が確認されたのは僅か71名(8月引揚時点、118人)であった。

          ・亜州白山郷開拓団 (龍江省・富裕県、チチハル郊外、石川県)
           自決350名、脱出60名、祖国生還30名

          ・哈達湾開拓団 (牡丹江省寧安県、秋田ー匪襲) 8月19日、 自決247名、戦死77名

          ・鳳凰開拓団 (北安省徳都県、岐阜-ソ連軍、匪襲) 8月24日、自決216名

          【興安三事件】
          ・葛根廟事件 《慰霊碑》 五百羅漢寺(東京・目黒)
          興安総省興安街の住民東部群団と索倫・五叉溝方面からの避難民2千数百名が白城子目指し南下中、昭和20年8月14日午前11時過ぎ葛根廟近くでソ連軍戦車に蹂躙され、 一方絶望した人達が子供を殺して、自決をはかり犠牲者千数百名の惨事となった。辛うじて生き残った人々も飢え、渇きにさいなまれ、原住民に襲撃されて、さらに犠牲者をだしながら荒野を彷徨した。(なお興安街西部群団1500名は無事南下できた)

          ・ 東京荏原開拓団 [興安南省・西科前旗] 《慰霊碑》朗惺寺(東京・小山)-(朝日-89・1・17)

          東京旧荏原区武蔵小山商店街の人達が国策に応えて転業、昭和18年から19年にかけて千余名が興安街西北8キロの地点に入植した。 ソ連侵攻後、現地住民に襲撃され、終戦も知らされず、8月16日白城子に向け逃避行を開始したが、暴民に襲われ、ソ連機の攻撃を受け、双明子の青麻畑で自決をはかる者相次ぎ、300余名に及んだ。脱出組200余名も暴民に銃撃され多くの死者を出し、帰国できた者はごく僅かであった。
          【各地難民収容所】
          栄養失調、発疹チフス等のため多数死亡。ここでも多くの残留婦人、残留孤児を出した。

          [方 正] (浜江省方正県伊漢通開拓団)
          収容人員(〜昭21・5) 8640名 ソ連軍拉致-460名(5.3%・男女)、 脱走1200(13.9%)、 自殺・病死2360名(27.3%) 現地民妻2300名(26.6%) 、ハルピンに出た者・脱走 1200(13.9%)、 現地残留1120名(13%) 

          [長 春]
          長春日本人会・医療・防疫=保健所8名、擁護所40名、従業員500名
          (〜昭21・3)死亡25000名、 死亡率= 4歳以下56%、 60歳以上31%

          [黒 河] (旧日本軍将兵国共内戦に巻き込まれる)
          46・4・19、 旧日本軍人(2500名)の脱出事件にからんで、黒河街の日本人200名が黒龍江河岸で中共軍に銃殺された。

          [嫩江]
          ソ連軍鉄道部隊が、婦女子数百名を零下40度の厳冬徹宵作業に狩り出し、凍死・凍傷続出、また監視兵強姦暴行。

          [難民収容所−残酷なる死]

          [哈爾浜] 収容述べ収容人員20万、死亡5千、
          [阿城] 収容9千、 死亡2千、
          [長春] 最も多い時期収容15万、 死亡3万、
          [奉天] 最も多い時期収容10万、死亡5千(乳幼児・老人は半数死亡。 越冬開拓団収容121団19.318人、死亡4.640人) 第9次張文封開拓団(栃木)収容580、死亡125。 第9次馬蓮河久多見(岐阜)収容180、死亡129。 ある開拓団子供125人、死亡124人、
          [撫順] 収容4万、死亡5千5百、
          【2015.04.12 Sunday 17:36】 author :
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          962:オランダ管轄・バタビア裁判・第93号法廷/チェリボン憲兵隊・清水事件
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            :第93号法廷/チェリボン憲兵隊事件

             

            起訴理由概要:昭和17年4月より20年9月の間チェリボン憲兵分隊に属し検挙せられた男女を問わず尋問に際し拷問し各種の暴行を加えその結果多数を死亡させ、心身に多大の苦痛を与えた。

             

            チェリボン憲兵分隊・松岡剛三憲兵大尉・滋賀:48/8/20求刑死刑>49/1/17判決15年:弁護扇
            ・西壽憲兵曹長・福岡:死刑>5年
            ・若松修作憲兵軍曹:2年>無罪
            :清水辰雄憲兵軍曹・岩手:死刑>死刑>49/4/9銃殺
            ・山田達雄憲兵軍曹・京都:死刑>15年

             

            清水辰夫憲兵曹長岩手・駒澤大学中退・元僧侶・32歳

             

            絶筆
             さらば同胞達よ!
            この握手が終れば永久に逢へないのだと思ひつつ川辺さんの所迄来た時、枯れ老いたる川辺さんの姿が、故郷に居る父の姿に似てゐるので思はず「御父さん、只今より出発致します」と云ってしまった。
            然し川辺さんは耳が遠いので聞えなかった。
            東海林閣下、村瀬課長と一通り挨拶を終り、獄庭の中央に立ち全員「君が代」の合唱をなし、大日本万歳を三唱し最後の敬礼をなし、山口、谷口両大尉と一緒にホールセールを出てカントルに行った。
            すぐに面会室に行ったら、皆んなが待って居てくれた。西田閣下を始め松岡分隊長、小松さん、西、山田さん、チェンボンの隊員は皆んな来てくれた。
            見送り人が予想意外に多いので驚いた。
            これも私の為特別に許可を得て来てくれた事を思ふと感謝せざるを得なかった。
            逢って見れば別に話すこともなかった。
            かれこれ一時間も話した事だらう。
            山口大尉が来てM・Pが来たことを告げられた。
            いよいよ出発である。
            ここでも又別れの握手をなし、面会室を出てカントルに行ったらM・Pが待ってゐた。
            やがて手錠をかけられた。
            今度こそ本当にチビナンの日本人と御別れである。
            谷口大尉より「エスコット」を一本貰いライターを以て火をくれた。
            両側に居並ぶ同胞の見送りをうけ激励の言葉を受けチビナンを後にしたのは八時半頃と思ふ。
            ヂープのエンヂンは非常に軽かった。
            町は平穏である。
            裁判の時幾回となく行った白亜の建物を右に見、やがてヂープは左に曲がった。
            右の運河にはネシアの女達が洗濯を盛んにしてゐた。
            やがて右の小路に曲がり着いた所はグルドックである。
            事務室に入り休んでをると軍曹が来た。
            獄衣と着換へろと言ふから服を脱ぎ獄衣と着換えた。
            佐々木惣一さんと西さんが包んでくれた豆板と砂糖の包みを検査したが豆板だけ渡して砂糖は保管して置くと云って渡してくれなかった。
            別に検査は何もなかった。
            スラバヤの人達はよつんばいになって尻の穴まで検査されたと云ってをったがそんなことは何もなかった。
            看守につれられ独房に入った。
            ここは我々がかってグルドックにおった時水くみをやった独房でJブロックである。
            私の独房は17号室で英軍当時ボコールの玉峰氏が入った室である。
            兎に角グルドックに着いたのは九時頃だったと思ふ。
            11時過ぎ検事代理とロシア人通訳が来て嘆願書が却下されたので死刑を執行する。
            何か云ふことはないかと聞くから、何もないがどうして検事が来ないかと聞いたら「一寸身体具合が悪いから代理が来たんだ」と女みたいなやさしい顔をした25位の男が答へた。
            通訳さんは遺言書を書きたければ紙と鉛筆をやる様に話すがどうかと云はれたので私は「お願ひする」と答へた。
            それから検事代理と通訳さんは帰って行った。
            やがて昼食が来た。
            肉ばかりの多いナシゴーレンとスープが来た。
            馬鹿に御馳走が多いではないか云ったら看守は「日本人には特別の待遇をしてゐる。なんでも好きなものを注文してくれ」と云った。
            昼食を食べしばらく横になったら曹長が来て飯は充分かと聞くから充分であると答へたら何でも好きなものを注文してくれ、出来ないものは出来ないと云ふからこの刑務所で許す範囲ならどんな料理でもする。
            私は有難うと云った。
            この曹長は混血で私がかってグルドックにをった時居た人で、其当時は階級章はつけてゐなかったから分らないが、兎に角記憶にある人である。
            午後2時ごろになったら佐藤さんがやって来た。
            実は今日午前八時迄検事局に来いと云はれたから行って見たら、清水さんの嘆願者が却下になって、執行する旨通知を受けた。
            そう云へばここ二、三日頭が痛くて、くしゃくしゃして、誰に当るともなく全く困ってをった。
            「やはり執行の通知のある時には予感がしますよ」と占師の様な事を云った。
            私は佐藤さんに「いよいよ明日は御別れですね、長いこと御世話になりました」と云ったら、佐藤さんは「いや明日ではありません、兎に角今週中に執行するそうです。然し何時ともはっきり検事が云ひませんでした」と云ったのでそう云へばロシア人の通訳さんが土曜日に執行すると云ったが、今日は一体何曜日ですかと聞いたら、佐藤さんは「水曜日ですよ」と答へたので私は「てっきり今日は金曜日だと思ひまして、明日執行されるものと覚悟しておりましたが、成程よく考へて見ると、執行通知の来たのは火曜で、火曜日はキリストの坊さんが来る日だ、「余程キンタマが上がって居るんだなあ」と思はず云ったら、佐藤さんは「しっかりしなさい」と云はれた。
            ...すっかり覚悟はきめたものの、二日延ばされるとは困ったことになったと考へたり、又どうせ生きるなら1分でも一秒でも生きたらよいではないかとも考へたりした。
            夕食はやはり特別に作ったものでぺろりと平げてしまった。
            燈がついた。十燭光位の電灯であるが、つかないよりましである。
            然し困った事には何時になってもアンペラをくれないのである。
            段々夜が更けて寒くなって来た。
            それに蚊が多くて眠れない。
            もっとも前日迄は毛布と蚊帳を吊って居ったから、たいして寒くもなく蚊に襲はれる心配はなかったので、一晩位ならば我慢するが、これが三日も続いたらどうなるだらうと思った。
            兎に角寒くてねむれなかった所が看守が外戸を開けて、たいくつだらうから話をしようではないかと云ひ中戸の外に椅子をもって腰をかけ色々話をした。
            私の入った17号は一番最初曽根大尉、玉峰通訳、星野曹長らのそうそうたる連中のゐた室であった。
            然しいづれも皆立派であると指を立てて見せた。
            余程古い看守である。
            一時間交代づつ看守が変るがどれも印象はよかった。
            とうとう一晩話をつづけた。
            朝になってから眠った。
            看守が大きい声で呼ぶので目をさましたら、松本弁護士が来て居た。何時かと聞いたら十一時ですよと云ふのであわてて起きた。
            「良くねむるんですね」と云ふから、「いや、夜は寒いのと蚊が多くてねむられないから昼眠ることにしましたよ」と答へた。
            松本弁護士から色々激励され、「この死は決して犬死ではない、吾々若い者は日本内地に還ったら、この運動を起さなければならない。安心して逝ってくれ」と云はれました。
            色々話はつきなかった。
            面会時間が一時間しかなかったので遂に別れなければならなかった。
            松本さんがかへった後、所長が鉛筆と紙をもって来てくれた。
            「何でも書きたいだけ書いてくれ、事務室に請求すれば何時でもやる。然し書いた紙数だけは後で員数をかぞえるから、その時事務室からやった紙と一致せねばならぬ」と云はれた。
            午後になって佐藤坊さんがやって来た。
            佐藤坊さんの云ふのには「チビナンではもう処刑されたものと思って、本朝、黙祷をやった。清水さんはもう仏になってますよ、私が半沢さんに実は土曜日に延期になりましたよと云ったらびっくりして居りました」と云はれた。
            然し清水がもう仏になったと思ふと生きてをる自分の姿が誠にあさましかった。
            明八日は午後又来ますが其時引導を渡すと云はれた。
            チビナンに於て半沢さんの淋しがっておる気持を云ってくれた。
            今晩もまたねむられないと思ふと全く生きているのがいやになって来た。
            案の定、蚊がぶんぶんせめて来た。
            後半夜になると寒くてたまらない、又例の如く看守と話して夜を過した。
            こんな事が一週間も延期されたら精神的にまいってしまう。
            若い元気のある私でさへ之丈まいってしまったが、これから来られる年寄の方は本当に困る事と思ふ。
            ねむらなければ種々悩みが襲ってくる。
            妻のある人は妻を思ひ浮かべるであらう、私は妻子がないから別に考へる事もないが、それでも父母の事、兄弟の事が浮かんできて非常に悩まされた。
            殊に遺言書を書く時は一層深刻なものである。
            ジョクジャの佐藤大尉が佐藤坊さんに対し「私には結婚適齢期になる娘があるが、私が戦犯者として、しかも死刑を受け死んだ後、私の娘をもらってくれる人があるだらうか」と嘆いたと言ふが事実そこまで深刻に考へさせられる。
            死刑求刑を受けた時の心理状態判決後の心理状態嘆願書却下により呼び出し状が来て限られた時間内に於ける心理状態、是等を分析して説明したならば各々異った意味がもたれるであらう。
            死の恐怖は全然なく、只愛著心が起るのみである。
            銃口の前にたちたる其の心理状態は未だはっきりしたものがないが、恐らく死の恐怖から来る悩みはないと思ふ。
            二日間死を延期してもらったが死に対する恐怖観念ではなく愛執の観念であったのである。
            この心理状態を現在居られる独房の方々に参考迄申述べるつもりである。
            書くことがえらい横道にそれたが再び元にもどり書き続けたいと思ふ。
            八日午後2時、佐藤坊さんがやって来た。
            刑場に於ける今迄の前例を拝聴後、続いて家内の冥福を祈る為読経に移り、それが終って面会時間が一杯だったので佐藤坊さんは明日7時に来る約束をしてかへられた。
            其の後、藤井氏が三十分間の予定で面会に来られ色々と話した。
            いよいよ明日は永遠にかへらぬ日である。
            総てのものが一切無になる日である。
            光陰は矢の如く過ぎて行く。
            いたづらに露命を無常の風に残すこと勿れ。
            今其の意味がはっきりして来た。
            然り。
            出発から佐藤坊さんに引導を渡される所迄書きました。
            独房の皆様にだけ読んで頂ければ幸甚の至りです。
            【2012.05.18 Friday 01:01】 author :
            | 戦争犯罪 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            863:ユスリタカリ利権目当てに、精算済の戦争責任を解決していないかのように蒸し返す、林博史と特亜系日本人
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              今日の無責任社会・日本の現状を変えるためにこそ戦後の出発点の見直し、すなわち戦争責任問題の解決を!

               現在の日本の政治や経済を見ると、日本は無責任社会です。何をやっても、失敗の原因と責任を明らかにし、メスをいれるのではなく、あいまいなままにして誰も責任を取らない、あるいは金の力で当面の矛盾をしのぎ先送りする、など無責任が蔓延しています。何百兆円も借金を作りながら、目先のことしか考えずに不必要な公共事業を次々におこなう政治家や業界、それに巣くう利権屋たちが日本の権力を握っている現状はまさにその典型です。こうした問題は戦争責任問題への対処の仕方と同じです。経済援助だといって札束をちらつかせて、相手を黙らせてきたやり方もその一つでしょう。戦後の日本の出発の間違いがこうした現状を生み出したといってよいと思います。昭和天皇が戦争の責任をまったく取ろうとしなかったことは、戦後日本の頽廃の出発点でしょう。戦争責任問題への取組みは、こうした日本の無責任社会を変えていくためにも不可欠な課題です。・・・林博史の「基本的なスタンス」
               
               
               日本社会の諸問題の根源には、日本の特亜化がある。
               
               特亜があらゆる部分に浸透し、そこで地位を得て新たに特亜を引き込み勢力を拡げるから、これに影響された日本人も特亜化していく。
               そして、そんな無責任社会を批判し政権を奪った特亜政党によってますます特亜化し、韓国・チナに近付いてるww。
               
               「愚かで人間性の欠如した日本人」なんて言われてるボクらには敬称不要の林博史と特亜系日本人が日本社会の無責任を批判しても、彼らが力を得れば韓国化・チナ化し、究極は北朝鮮化・・・チョ〜無責任化するだけだよ。
               
               そんな特亜系は、無責任社会と解決済の戦争責任を混同させ、ユスリタカリ利権確保にご執心なんだね。
               日本の戦争責任は、講和条約と2国間条約で完全解決してるんだよ。
               従って、国家間の戦争責任問題は刑事・民事共に終了し、個人賠償責任は相互に自国政府管轄になってるww。
               それを、いつまでもユスリタカリ利権目当てに反日プロパガンダやってるんだから、特亜系ってホント卑劣な奴らだよw。
               
               日本は、他の枢軸国と異なり有条件降伏している為、従前形式の講和条約により戦争終結し、各国との2国間条約で戦争責任問題は完全解決し、国交回復している。
               当然、明文の有無に関わらずアムネスティ・大赦条項が発効し、条約締結国双方に過去を水に流す義務がある。
               一方、枢軸国は調印無用の変則押し付け講和だったし、ドイツに至っては戦勝国の一方的講和宣言だったから、戦後に人道犯罪の賠償はしてるけど日本のような国家賠償はしとらへんのだよ。
               だから、ドイツはナチの人道罪は認めてるけど侵略罪は認めてへんし、当然相互に賠償問題を残しているのだが、そこは大人の国家群だから、上手くやってるんだな。
               ところが、完全解決した筈の日本が未だに賠償グダグダ言われてるのは、ユスリタカリ国家・特亜とその利権を諦らめ切れない特亜系日本人のセ〜なんだよ。
               
               「日本の無責任社会を変えていくためにも不可欠な課題」と賠償オカワリ利権に縋ってる林博史と特亜系の方が、ヨッポド無責任じゃん。
               またこいつらの常套句が「昭和天皇の戦争責任」なんだが、立憲君主国で国民が決めた事を天皇が反対出来る法的権限があったのか。
               また、南京を落して陸軍参謀本部が戦争を止めるつもりだったのに、支那膺懲キャンペーンやったのは特亜系新聞だし、これに煽られて軍部を叩いたのはお前ら国民だっただろ。
               日米開戦前も同じように弱腰東條を叩いてたのに、戦後は一転「軍部ガー、天皇ガー」。
               お前ら特亜系が、一番無責任なんだよ。
               
               
               
               確かに、「天皇陛下バンザイ」を唱えて戦死していった方達を思えば、陛下に因縁付けたくなる奴もいるだろうが・・・
               
              硫黄島の高松宮殿下  〈初出・『明日への選択』平成10年2月号〉

              『高松宮日記』全八巻の完結を前に、『This is 読売』一、二月号に連載された高松宮妃殿下と作家の阿川弘之氏の対談の中に、初めて紹介されるエピソードがある。昭和四十六年三月、高松宮殿下が硫黄島戦跡をご訪問になった時のことである。

              硫黄島は大東亜戦争末期、米軍七万五千の猛攻を、二万余の日本軍将兵が祖国防衛のため、一ヶ月以上に渡って奮戦し玉砕(全滅)した島である。戦後、昭和四十三年まで米国の管理下にあったため、殿下のご訪問当時は、まだ未整理の洞窟があり、遺骨はそのまま散乱していたという。殿下が先ずお訪ねになったのは、米軍の火焔放射器でやられ、ブルドーザーで生き埋めにされかけ、苦しみもがきながら脱出を試みた兵隊たちが、折れ重なって死んだ跡地だった。「前もっての説明何もなしで洞窟の前へ立たれた殿下は、ハッと息を呑む気配をお見せになり、やがて地べたに正座し、両手をついて首を垂れて、暝想状態に入られた。一言もおっしゃらないから、何を念じていらっしゃるのか祈っていらっしゃるのか分からないけれど、随行の者みな、電気に打たれたような気分だったと聞いております。大分長い時間そうしていらして、やっと立ち上がられた」

               次にお訪ねになったのは、遺骨の整理が既に済んでいる壕だった。とはいえ、拾い尽せなかった骨もあり、至る所に散らばったままの骨片もあった。仕方なしに海上自衛隊駐屯部隊の隊員も、ふだんは靴で遺骨を踏んで歩くようになってしまっていたという。 「ところが、殿下はためらわれた。そうして、つと靴を脱ぎ靴下も脱ぎ、素足になって、骨片の散らばる洞窟内へ入って行かれた。私も知ってますが、硫黄島という名前の通り、あの島の壕の中に地面から硫黄のガスが噴き出しているんです。そこを素足で視察した人は、後にも先にも高松宮様お一人だそうです」 ちなみに、平成六年二月、天皇皇后両陛下も同島を行幸啓になり、次のようにお詠みになった。

              精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)

              慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ(皇后陛下)
              【2012.02.21 Tuesday 19:06】 author :
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              860:「未来志向の歴史学名目でゆすりたかりネタを捏造し、日本土下座を固定する事が信頼関係醸成に繋がる」と日本人を騙す林博史と特亜系日本人
              0
                未来志向だからこそ戦争責任問題に取り組む!

                 歴史を振り返るのは、けっして過去を見るためではなく、現在の自分たちがどこにいるのか、よりよい未来を築くためにどうすればよいのか、それを考えようとするとき、私たちは歴史を振り返ります。そもそも歴史学は未来のための学問です。今日の日本を考えるとき、韓国・北朝鮮や中国、東南アジア、さらには世界の人々との間に、信頼関係を作ることができていません。その最大の問題の一つが戦争責任問題です。あれだけのひどいことをさんざんしておきながら、その事実を否定したり、反省しないままに過去のことだとうそぶいている日本人が信頼されないのは当然でしょう。これからアジアや世界の人々と、政治・経済・安全保障・環境などさまざまな分野で協力していくときに、日本がおこなった侵略戦争の問題は何よりもまず解決しておかなければならない問題です。
                 

                 歴史学は確かに未来のための学問なんだが、「愚かで人間性の欠如した日本人」なんて言われてるボクらには敬称不要の林博史と特亜系日本人の場合は、日本人にド〜タカルかの技法に過ぎんのだな。
                 だから、日本に対してのみ信頼醸成を強要するんだが、日本人が奴らの主張する「あれだけのひどいことをさんざんしておきながら」の、その事実・実態を知った時、特亜に対する信頼醸成の機会は全く失われる事になるんだよ。
                 
                 歪曲捏造史で日本従属を強要する特亜国家と、政治・経済・安全保障・環境などさまざまな分野で協力するなど、日本にユスリタカリするだけ。

                 日本がその意思を示せば、特亜の方が信頼醸成意思を示さざるを得なくなるんだがねw。
                【2012.02.20 Monday 03:36】 author :
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                859:「現在進行中のチナ帝国主義・戦争犯罪・人道犯罪より、70年前の日本による戦争責任解決が優先」と嘯く林博史と特亜系日本人
                0
                   「愚かで人間性の欠如した日本人」なんて言われてるボクらには敬称不要の林博史は、「世界全体の帝国主義や戦争犯罪をなくし解決するための重要なステップとして、日本の戦争責任問題の解決を!」と主張している。
                   
                   一見、マトモな事言ってるヨ〜で、その主張は典型的特亜系www。
                   
                   日本が犯したさまざまな侵略戦争、植民地支配、それらのなかでの数多くの戦争犯罪や人道に対する罪などについて、きちんと調べ明らかにして事実を認め、その責任と取ること(謝罪、賠償、くりかえさないための教育や対策などを含む)は、何よりも日本国民の責任です。
                   
                   「日本が犯した侵略戦争」とユ〜事実を認めるなら、主観的言い掛りは認められんのだから、その犯罪定義は東京裁判判決以外には存在しない。
                   そこで侵略定義されたのは主として欧米植民地に対する侵略であり、解放名目であっても他国領土・植民地に侵略したらアカンって事だ。
                   この事実を東南アジア侵略に歪曲してるのが、林博史ら特亜系日本人だろ。
                   
                   まず欧米植民地を侵略した事実を認め、欧米に対し謝罪反省しろよ。
                   その反省が無いから、チナが農奴解放名目でチベット侵略した時、これを非難すべき日本国民の責任放棄に繋がったんだろや。
                   
                   ついでに、チナが「もう植民地済だから、解放名目で進攻したら、日本と同じ侵略だ。ダライ・ラマはおらんけど親中パンチェン・ラマがおるぞ」って言ったら、満洲侵略定義で対抗し「ソ連の満洲侵略が無罪になってんだから、チベット解放は聖戦」と言い返せるだろww。
                   
                   
                   次に、植民地支配だ。
                   朝鮮併合は、国際法上、またその実態からも、明らかに植民地支配では無く、朝鮮支援の併合に過ぎなかった。
                   また台湾領有も、戦後賠償の領土割譲であって、台湾人の国籍選択の自由は保障しており、その領有実態も植民地支配とは異質のものである。
                   そして何より、戦犯裁判に起訴された事実は無く、違法認定事実は存在しなかった。
                   しかしそれ以上に、林博史ら特亜系日本人に歪曲・隠蔽されてしまっているのは、戦犯裁判が日本軍・日本人による欧米植民地解放・独立支援を戦争犯罪として有罪・死刑としている点である。
                   講和条約でも戦犯判決を受諾しているのだから、日本国民が反省し実行すべきは、「日本の植民地支配についての謝罪賠償」では無く、有罪とされた欧米植民地支配妨害の罪と東南アジア独立支援犯罪について、欧米に対する謝罪と賠償だろってw。
                   
                   最後に人道犯罪だが、日本に対し「人道に対する罪」が認定された事実はない。
                   当時の戦犯訴追機関が日本の人道犯罪を起訴していない以上、見逃されたとか無視されたという主張は、単なる言い掛かりであり、明白な証拠が提示され証明が為されない限り、これを主張する林博史と特亜系日本人は名誉毀損・誹謗中傷で日本政府に告訴されるべきであるww。

                   
                   私たちが自らの責任を果たすことによってのみ、他国・他国民のそうした行為を批判し、やめるように主張することができるようになります。自国への批判の基準は当然、普遍的なものでなければなりません。
                   
                   対日戦犯裁判判決を歪曲捏造し、日本国民に事実無根の責任・自責感を強要して萎縮させ、特亜露への正当な批判を封殺する明白な意図を持っている以外に、何かあるの?
                   
                   
                   たとえばアメリカが太平洋戦争中におこなった原爆投下や都市への空襲、朝鮮戦争やベトナム戦争での都市への空襲や住民虐殺、生活破壊、いまなおアメリカが各地でおこなっている同様の行為も、私は戦争犯罪としてきびしく批判しています。
                   
                   対米侵略の謝罪反省がないクセに対米批判はするけど、母国・特亜批判は絶対セン・・・それが、林博史と特亜系日本人だろ。
                   
                   
                   日本がおこなった戦争を侵略戦争と認めない人々は、そうしたアメリカの数々の犯罪を批判せず、むしろ日米安保によって積極的に協力支持さえしています。他人の間違いを持ち出して自分の間違いを帳消しにするのは卑怯です。他国の犯罪を許さず、他国の犯罪を批判できる資格を得るためにも、自らの犯罪をきちんと総括することが必要不可欠でしょう。
                   
                   アメリカによる過去の対日政策の誤りは犯罪的だと思うけど、チナ帝国主義を批判出来ない林博史と特亜系日本人にはアメリカを批判する資格は無い。
                   また、日本人の間違いを持ち出して特亜の間違いを帳消しにするのは卑怯なんだよw。
                   まず、お前ら特亜の犯罪をきちんと総括する事が必要不可欠なんだが、それが出来るんなら特亜じゃないんだから、無理難題だわなwww。
                  【2012.02.19 Sunday 15:41】 author :
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                  304:リカバリー 「上海上陸から南京を陥れた日本軍は侵略軍ではない」と東京裁判は認めたが、その頃チナ軍は何をしていたか
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                     独指導下のチナ軍が、上海周辺の非武装地帯に停戦協定違反のゼークトラインを構築し、日本軍を先制攻撃して塹壕戦に引きずり込み、殲滅しようとしたのが日チナ事変の始まりである。
                     ・・・チナ軍はA級戦犯・侵略戦争してました。


                     チナ軍にとって、戦争法規・慣例は、欧米の支援を得るため日本軍非難に利用するだけで、遵守する気は全くなかった。

                     租界を無差別爆撃したのも、日本軍に被害を与えるより戦争に引き込むのが目的であり、爆撃のために租界にいた中国人が多数死傷しようと、「日本軍が無差別爆撃した」とプロパガンダに利用するだけであった。
                     ・・・チナ軍はB級戦犯・無防備租界を故意に複数回爆撃し、これぞC級戦犯・自国民を故意に殺害してプロパガンダに利用してました。


                     その頃日本軍は、戦闘地域の租界にいた外国人・中国人を、安全地域に保護誘導していた。(写真・報道あり)
                     これについては、あのダーディン記者も同様証言している。
                     また日本軍は、中立に反し租界内にチナ兵配置を許していた外国人にも、危害は加えなかった。
                     ・・・上海戦は、「日本軍の侵略に応戦しただけ」、と嘯いてました。


                     ゼークトラインを突破されたチナ軍は、南京に向け敗走する。
                     前線兵力約33万のうち、約8万以上が塹壕戦で倒れたとしても、20万以上が南京を目指したのである。
                     ・・・退却中、チナ軍には師団毎の兵站システム・合法な徴発システムは無く、通例行ってきた通り、中国人集落から略奪してました。


                     当時のチナでは、軍事地域に指定された中国人は1日以内の退去が法定、つまり清野作戦が定法であったから、その際の略奪も違法という認識は無かった。
                     現代のチナ軍が、チベット・ウイグル、そして同族にさえ、虐殺・略奪を平気でやってるのだから、中国人同胞でも言葉が通じない・筆談が出来る兵士が少なかった当時、何をしたかは十分推測出来る。
                     一方日本軍は、末端の兵まで筆談・折衝した例が少なくない。
                     ・・・チナ・全軍は、上海・南京間の城・町・村・集落で、中国人相手に殺人・暴行・強姦・強盗・窃盗・放火・器物損壊してました。
                     尚、チナの違法な便衣兵戦術も、既に始まっていました。


                     その頃日本軍は、各師団毎に兵站が確保されていたが、それでも並行追撃戦では補給が間に合わない。
                     そこで事前に、戦争法規上合法な徴発システムを、全部隊に周知させていた。
                     前線部隊が徴発時に証明書を発行し、後続の主計が精算するのだが、精算額が適正価格以上で、中国人も歓迎していたという記録がある。
                     先行するチナ軍が既に処分済み集落などは、チナ軍も逃亡優先なので完全清野状態には出来ず、並行・後続した日本軍が無住地域で徴発することもあったし、聖人君子だったとユ〜気は無い。
                     
                     ここで、追撃中の日本軍のB級犯罪を検討してみよう。
                     国際社会の目を意識していた日本軍法務担当の勧告に、軍上層部も当然ながら同意していたから、上海の攻防戦・追撃戦では、明らかに日本軍は戦争法規・慣例を遵守していた。外人記者証言アリ。
                    ・・・チナ軍の作戦自体が国際協定違反・A級犯罪だったように、日本兵俘虜「大虐殺」など、全軍B級犯罪もやってました。


                     首都・南京攻略に際し、日本軍は事前に降伏勧告を行っているが、チナ軍は降伏を拒否し、全軍に投降はもちろん退却も禁じ、徹底抗戦を称えていた。
                     激戦の末、日本軍は南京を攻略する。
                    ・・・チナ軍は落城前に司令部が敵前逃亡し、チナ兵は大混乱に陥っていました。
                     自軍の兵士をトーチカに鎖で固定して戦わせたり、自軍の背後から友軍に発砲したり、中国軍退却部隊近づくと城内から発砲し、追い払ってました。
                     また城内・安全区に残る中国人に対し、殺人・暴行・強姦・強盗・窃盗・放火・器物損壊してました。
                     けれど、「愛国チナ兵は、腹も減らず、眠りもせず、寒い南京の冬に軍服以外に自前の便衣を用意し、4週間以上戦い続けました。」と、特亜系日本人は言っとりますwww。
                    【2011.07.11 Monday 00:02】 author :
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                    300:ポツダム宣言が規定する処罰対象・戦争犯罪人
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                      処罰対象に関するポツダム宣言条項は、以下の通りである。

                      五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
                          吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス

                       六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

                      十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ


                       第6項は、チナのプロパガンダに乗せられて規定された条項だが、日本に「世界征服の挙に出づる権力及勢力」なんて、元々存在しなかったんだから、無効条項であるw。
                       とは言え、本条項は過誤を犯さしめたる者の権力・勢力の除去・・・公職追放・財閥解体等であって、戦争犯罪人処罰規定ではない。

                       第10項の、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし」に基づいて戦犯裁判が実施されたのであるが、本項の規定する戦争犯罪について連合国は、以下のように事前に公表している。

                       1943/12・連合国戦争犯罪審査委員会は「戦争犯罪」について、1919年パリ講和会議の「戦争に関する責任を調査する十五人委員会」が公表した「戦争の法規および慣例違反具体項目」32項を採択・公表、1944/5に第33項「無差別な集団逮捕」が追加採用・公表された。


                      1919年パリ講和会議・「戦争に関する責任を調査する十五人委員会」が決定した戦争の法規および慣例違反具体項目

                      第1項「謀殺および集団殺害(組織的テロ行為)」
                      第2項「人質の殺害」
                      第3項「一般民衆の拷問」
                      第4項「故意に一般民衆を飢餓に陥らせること」
                      第5項「強姦」
                      第6項「強制的売淫のための婦女子の誘拐」
                      第7項「一般民衆を放逐すること」
                      第8項「非人道的状態の下における一般民衆の抑留」
                      第9項「一般民衆を強制して、敵の軍事行動に関係のある作業に従事させること」
                      第10項「軍事占領中における主権の簒奪」
                      第11項「占領地域住民の強制徴兵」
                      第12項「占領地域住民の国籍剥奪を企てること」
                      第13項「略奪」
                      第14項「財産の没収」
                      第15項「不法もしくは過重な賦課金または徴発の強要」
                      第16項「通貨の変造または偽造通貨の発行」
                      第17項「連座制を科すること」
                      第18項「財産をほしいままに荒らし、または破壊すること」
                      第19項「無防備地域を故意に砲爆撃すること」
                      第20項「宗教的、慈善的、教育的、もしくは歴史的建造物または記念物をほしいままに破壊すること」
                      第21項「無警告で、または船客もしくは乗務員の安全のための手段を講ずることなく、客船または商船を破壊すること」
                      第22項「漁船または救助船の破壊」
                      第23項「病院を故意に砲爆撃すること」
                      第24項「病院船の攻撃または破壊」
                      第25項「赤十字に関する他の諸規程の違反」
                      第26項「毒性および窒息性ガスの使用」
                      第27項「爆発性もしくは飛散性銃弾またはその他の非人道的器具の使用」
                      第28項「助命するなとの命令を出すこと」
                      第29項「負傷者または俘虜の虐待」
                      第30項「許容されない方法で、俘虜を収容させること」
                      第31項「休戦旗の濫用」
                      第32項「井泉への毒物投入」
                      第33項「無差別な集団逮捕」(1944/5、連合国戦争犯罪審査委員会追加項目)

                      「15人委員」:日米英伊・各2名、ベルギー・ギリシャ・ポーランド・ルーマニア・セルビア・不明・不明・各1名

                      念のため、その他の戦争の法規および慣例に関する主な条約

                      1907/10/18、ヘーグ・陸戦の法規慣例に関する条約
                      1907/10/18、ヘーグ・海戦に於ける捕獲行使の制限に関する条約
                      1929/07/27、ジュネーブ・赤十字条約
                      1929/07/27、ジュネーブ・俘虜条約


                       以上で明らかなように、日本がポツダム宣言を提示された際には「加罰予定の戦争犯罪」が明示されており、これらの中に東京裁判の訴因となった「平和に対する罪」に関連する項目は、一切存在しない。

                       
                       従って、「平和に対する罪」を訴追した東京裁判は、事後法問題以前に、ポツダム条件を離脱した処罰対象の追加であり、受諾条件に違反するww。
                      【2011.07.10 Sunday 04:56】 author :
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                      295:リカバリー 日本の戦略爆撃と、米国の無差別絨毯爆撃
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                         日本が先に無差別爆撃を行ったと非難して、米の無差別爆撃を擁護・支持する特亜系日本人がいる。
                         成る程、日本の戦略爆撃は日本人の価値観でしか理解出来ないのだろうし、米国の無差別絨毯爆撃とは異質のものである事も理解出来ないのだろう。

                         日本初の戦略爆撃は、1931/10、張学良の根拠地・チナ錦州爆撃であった。
                         
                        東京裁判法廷検察官ダニガンに対する石原莞爾の供述
                         「東北軍の状況を偵察するために、八八式偵察機六機、押収(フランス製の25型偵察・爆載可)ポテー機五機をもって該地附近を偵察せしめましたところ応射を受けたので、自衛上その軍政権庁舎である交通大学および二八師の兵営ならびに張作相の私邸等に約七五発の爆弾を投下したにすぎません。」
                         
                         主として偵察機11機率いて、指揮機(フォッカー・スーパーユニバーサル?)に搭乗した石原自身が「偵察」と主張し、かつ75発といっても25キロ爆弾では爆撃目的とまでは言い難く、石原が無差別爆撃の戦犯として起訴される事はなかった。
                         錦州爆撃は対象が限定されており、誤爆があったからといって無差別爆撃とは言えないが、石原の目的は戦略爆撃であり・・・「成功」している。
                         
                         続く上海南京戦における渡洋爆撃は、あくまでも地上戦支援のための戦術爆撃であり、爆撃目標は限定されていた。
                         支援戦闘機無しの長距離爆撃で、出撃した半数以上が撃墜・未帰還となる事もある決死行であり、友軍支援の爆撃であれば、軍事施設・政府施設・関連施設に対する精密爆撃を優先実行したのは明らかである。
                         民間施設への誤爆は防ぎようが無いが、作戦目的に反する「無差別爆撃を行った」というのは特亜人の匪賊襲撃的発想であって、日本軍人の認識とは全く異なる。

                         のちの重慶と同様、南京爆撃1937/8/15〜12/12に際して日本軍が民間施設を爆撃したのは事実であるが、その理由は単純である。
                         
                         チナ軍は、中国民間人の犠牲を全く考慮していなかったため、日本軍が民間地域への攻撃を避けるのを利用して、民間施設に対空砲台を秘匿設置していた。
                         これは便衣兵戦術・・・交戦法規に反する違法なゲリラ戦と同様、日本軍が反撃を決意するまでは大きな被害を与える事が出来、日本軍の反撃が始まれば市民の犠牲を利用して「日本軍の非道な無差別爆撃」プロパガンダに利用したのである。
                         
                         機数・搭載爆弾数に制限のある日本軍爆撃機は、精密爆撃の精度を上げる為、より低空で飛行するのだが、そこを攻撃対象外の無防備地域であった民間施設から対空砲火で狙い撃ちされるのだから、日本軍の被害は大きくなる。
                         これに対処するには、高度を保ち命中精度を落として軍事施設などを爆撃するか、まず民間施設の対空兵器を攻撃するしかない。
                         
                         そのため、爆撃偵察時に確認した南京城内の民間施設(大学など)の対空砲台を爆撃したのである。
                         
                        日本軍の戦闘要領指示に
                        「爆撃は必ずしも目標に直撃するを要せず、敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主願とするを以て、敵の防御砲火を考慮し、投下点を高度二千ないし三千メートル付近に選定し、かつ一航過にて投下を完了する如く努められたし」
                         などとあるのを、無差別爆撃命令の証拠とする説があるが、「精密爆撃にこだわらず、高度を維持して一航過で作戦終了しろ。」・・・撃墜・不時着が続出していた爆撃隊に対する当然の指示であろう。
                         
                         「民間地域にある対空陣地は、民家への誤爆を避けるため被弾・撃墜を恐れず、低空精密爆撃を反復航過敢行すべし。」、こんな自爆命令を出す軍は、世界中何処にも無いww。
                         
                         
                         次に重慶爆撃1938/12/4〜1943/8/23、である。
                         重慶爆撃に際し、地上軍の侵攻計画はなかったから、爆撃隊は戦略爆撃を行った。
                         
                         もし日本軍に、無差別爆撃の思想があれば、重慶爆撃当初から飛行場と共に市街地を爆撃していた筈である。
                         しかし日本軍の爆撃対象は、戦略爆撃対象に限定されていた・・・が、この説には批判があるようだ。
                         
                        1938/12/25、陸軍第一飛行団長寺倉少将命令書
                        「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ、蒋政権ノ上下ヲ震撼セントス、攻撃日時ヲ明二十六日十三時ト予定ス」「飛行第六十戦隊及飛行第九十八戦隊ハ相共同シテ明二十六日十三時ヲ期シ重慶市街ヲ攻撃スルノ準備ニ在ルヘシ 目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園、都軍公署・・公安局県政府ヲ連ヌル地区内トシ副目標ヲ重慶飛行場トス 爆弾は百瓩以上ノモノヲ使用スヘシ」

                         重慶でも、南京同様に市街地に対空砲台が設置されていたため、高空や夜間爆撃が行われたが、損害が大きな割に爆撃効果が少ない。
                         そこで、昼間に砲台のある市街地を爆撃するようになったのは、1940/6以降である事を爆撃隊員が証言している。
                         
                         また、日本政府が駐日米大使に、爆撃強化を通告したのも1940/6/14と、ほぼ一致している。
                         
                         対空砲台が市街地に無ければ、戦略目標の「都軍公署・・公安局県政府ヲ連ヌル地区内トシ副目標ヲ重慶飛行場」に集中攻撃して戦果を上げたかったであろうから、無防備の住民居住区を目標とした米の無差別絨毯爆撃とは異質のものである。
                         

                        (無差別爆撃という)抗議に対し,日本側は「攻撃は敵の軍事目標に限定されている」と回答。
                         憤慨したアメリカ政府は,1939年後半、報復措置として航空機関係製品の輸出を禁止。さらに、1940/1/26で期限の切れる通商航海条約を更新しないと発表する。
                         条約失効翌日、国務長官コーデル・ハルは、駐米日本大使に、日本軍によって爆撃された35以上の中国の都市の名と、一部には日時まで明記してあるリストを渡した。
                         このリストには、
                        「中国にある米国資産で、日本軍の爆撃によって損害を受け、しかも、その位置は事前に日本に日本当局側に通告され、米国国旗を掲げていたもの」
                        の事例、約200も引用されていた。

                         日本側が、「中国側の軍事機関や施設以外のものを爆撃した事はない」と否定するのに対し、ハル長官はこう述べた。
                        「公的機関から、あるいは私的な情報や新聞などから、中国にある日本軍が、全く軍事的機関や施設のない場所で、住民を爆撃して銃撃を加えた多数の事例についての詳細な報告が、我が国に来ている。
                         さらに、焼夷弾の使用は(必然的に戦闘員でない市民や、その財産に、無惨な損害を与えて)住民に大損害を与えてきた。
                         多くの場合、日本軍の航空攻撃は、武装していない住民達を恐怖に陥れようと意図しているとしか考えられない」

                         しかし日本軍は、重慶爆撃を続けたばかりでなく、1940/6/14には、日本政府は駐日アメリカ大使に対し、
                        「これらの攻撃を強化しようと意図している」事、
                        「中国内に残留しているアメリカ官憲あるいはアメリカ市民の受ける損害には責任を負えない」
                        と通告してきた。
                        (Carl Berger 「B29」、サンケイ新聞社出版局、1971/3/5、P.50-51,抜粋要約)

                         1939/5の空襲で重慶の下町地区が炎上し、二日間で死者3991人(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)
                        「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン 「日米航空戦史」ブログ主・注、チナトータル主張を考慮すると相当水増し)


                        第三艦隊戦闘詳報(第五一四号) (1939)五月四日
                        「一.第一空襲部隊は中攻二十七機(14fg十五機 13fg十二機)ヲ以テ雲ト山頂ノ間ヲ縫ヒ夕闇ヲ選ヒ二○三○頃再度敵首都ノ攻撃ヲ実施シ 重慶防空司令部・委員長行営・県政府ヲ中心トシテ中央公園ヲ通スル南北線以西市街地全面ニ亘リ猛爆撃ヲ加ヘ 之ニ壊滅的損害ヲ与ヘタリ市街地周辺数十門ノ高角砲アリ 殊ニ市街西側各国領事館所在付近防御砲火熾烈ニシテ飛行機隊ハ敵戦闘機ヲ撃退シツツ相当ノ被弾アリシモ負傷者ナク帰還セリ」

                        この爆撃で中央公園以西の銀行街、絹織物商店街、映画館、住宅密集地などが焼失し、
                        前日の空襲と合わせて4889棟の建物家屋が被害を受けた。
                        (「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」)


                         特亜系日本人の特徴は、日本批判であれば、反日プロパガンダ主張も無批判に受け入れてしまうところにある。
                         クリストファー・ソーンによれば、英情報局は、交戦中のチナ侵略被害主張について、米英の支援を受ける為の「誇張」という認識を持っていたようだ。
                         

                         米の無差別絨毯爆撃については、誇りある米軍人が非人道的行為であると反対し更迭されているが、日本軍においても、非人道的行為という認識と共に、乏しい爆弾を軍事施設ではなく市街地に投下しても戦果とは認識していなかった。
                         
                         1944以降、日本本土空襲を指揮したハンセル准将は、高々度精密爆撃で戦略目的を破壊する方針を持っていた。
                         しかし、高々度精密爆撃は、ジェット気流の影響で命中率は極めて低かったが、この場合、民家を誤爆したことになるが、これを無差別爆撃とは言わない。
                         
                         一方、チナ成都基地の指揮官カーチス・ルメイ少将は、焼夷弾による都市無差別絨毯爆撃を主唱し、日本軍支配都市・漢口に対し無差別絨毯爆撃を実行したのである。
                         
                         漢口での虐殺効果に満足した米政府は、ハンセル准将を更迭し、虐殺者・ルメイを日本本土空襲指揮官に任命する。
                         当時、米政府は「市民を標的とした都市爆撃は、戦争継続の意思を奪うのではなく、逆に抗戦意識を増す」というドレスデン報告を知りながら、戦争終結より市民虐殺を選択したのである。
                        【2011.07.09 Saturday 10:50】 author :
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